第20話 迷い道

 裏方に徹する先輩の姿への憧れが出発点になったこの仕事は、目立ちたくない自分に向いてると思ったし、その方が楽だった。周りから認められて拍手喝采を浴びるなんて居心地が悪いことしたら逃げ出したい気持ちになる。

「上手くいかないもんだな」

 思わず独り言する。

「おう、仕事終わった?」

「あ、山崎」

「出待ちでもしないとゆっくり会えないからな」

 自転車を引いて歩く僕の横に並んで山崎が言った。

「なんだよ、結納って、もう吾川家の一員か?」

「うん、いつ離れ離れになってもいいように、会える時は会っていたいんだ」

 なにそれ…悲しそうな山崎の表情に自転車を止めた。

「今度はなに、もう別れ話?」

「吾川、宇宙飛行士になりたいんだってさ、壮大だろ夢が…あいつ、兄貴が嫁さんもらったら自分はもう何やっても良いんだってさ。そういやあ俺は夢なんてないな~って。吾川に憧れてこの学校に入ったけど、そっから先考えてなかった。お前は?」

 気を抜いて黙って聞いてると反対に質問されてしまった。

「僕、僕は…」

「お前にはピアノがあるか~上手かった。上手くなった。聴く度に上手くなってる。才能あるんだな」

「なんて、努力だよ努力。夏休みに特訓したんだ。星の綺麗なところで」

「あ、じいさんとこ?」

「うんそれで、少しホームシック。帰りたいな~って、ピアノ弾くと思い出しちゃって、むこうで弾いてた時はもっと明るく弾けてたのにな。こっち来たら懐かしくって、悲しくなっちゃうっていうさ」

 なんだか悲しい夜だった。久々の再会だって言うのに、しんみりして、山崎と僕は自転車を押しているせいで傾きながら不自然に肩を組んだり、ようやく覚えた校歌を歌ったりして心の隙間を埋め合っていたような気がした。


「どうなってるの?」

「心配よね。覇気がないっていうか、朝から元気がないの。山崎君が言うにはホームシックなんだって、おじいちゃんの家の」

「はあ~おじいちゃんが懐かしくてあんなに元気がなくなっちゃうって、どういう…コホン、トントン、シンちょっと」

「休み時間は寝かせろ!授業は聞かないとまずいからさぼれない」

「シン、まったく~これは重症だ。もう浮かび上がって来ないかもね」

「あの…私の友達ああいう状態になった後、引き籠りになって、いつもは話しするの好きなのに黙りこくって。よく似てる。とにかく元気がなくなるの。話をするのも面倒くさがって…」

 聡里優実だ。僕の横に来て冴ちゃんと話してる。近くで聞くとこんな声なんだ。引き籠りに何かならないよ。そう言いたかったが関わりあいになりたくなくてそのまま眠ったふりをした。


「あの子何?」

 不思議な顔で冴ちゃんが覗き込む。

「聡里優実」

「あの子何か感じない?直感的に…理由はわかないんだけど」

 冴ちゃんの感じた感触はどんなものだろう。

「背筋が寒くなるみたいな、言葉が出なくなったのよ。声掛けられただけで、私みたいなタフなのが」

 天を仰いで続きを考えている。

「う~ん、浮かばない。何とか言ったら」

「僕は彼女を見ると眠たくなるんだよね。過去の夢の中に落ちていく様な気になる。もともと学校休んでたくらいだから訳があるんだろうけれど…暗いからかな、雰囲気が」

「ふ~ん、不思議ね。シンも感じていたんだ」

「うん、だから、眠ったふりしてる」

「なんだそれが原因なの?ホームシックは嘘なの」

 嘘とは人聞きが悪き…

「そこからは立ち治ったことにしてる。帰りたくなるよ。じいちゃんにもまた会いたい。でも、冬までがんばろうってね。また、行くさ」

「おじいちゃんか…似合わない事言うのね~また冬に行く気なんだ。

あの子はどんな子なの?」

 聡里優実はもともと、付属中学校から持ち上がりの生徒で三年生の三学期から体を壊して休みがちだった。それで新学期だけ休学して夏休み明けから復学したらしい。

「どんなイメージ?」

「静か、とにかくシーンとしたオーラが半端ない」

「じゃあ、授業中も何も言わないのね」

「うん、これといって引っかかることは無いんだけどな。僕、行くわ、仕事仕事」

「気を付けてね」

 自転車をこぎ出そうと辺りを見渡すと、僕たちの話を聞いていたのか聡里優実がすぐそこの柱の向こうに立っていた。

「冴ちゃん、そのまま振り向かないで、聡里優実がいる。まさかな、僕たちを監視…?あそこまで声は届かないだろうけど」

「声とは違う方法がある?意識が盗めるみたいな。在ると思う?」

「わかんない。そんなものあったら怖いな~冴ちゃん僕行くよ!気を付けて」

「わかった」

 心残りだった…


 聡里優実を観察するのは容易なことではない。振り向かれた瞬間に目でも合ってしまおうなら、心は曇り始めてしまう。さりげなく見て見ない振りをしながら解析する。

 神経がそっちに集中しているから朝ヶ谷の不審な視線にも気がつかない。

 冴ちゃんが昼休みにやって来て僕の前に陣取る。よく考えてみれば僕の前イコール朝ヶ谷の席なわけだから、その間朝ヶ谷はこの席にいないことになる。あいつはその間どこに行っているのか?

 教室の中を眺めまわすと、朝ヶ谷は後ろのロッカーの辺りで他のクラスメイトと格闘技の話でもしているのか和気あいあいと動いている。

「朝ヶ谷っていつも休み時間はあそこにいるの?」

「うん、ジェントルマンだから私に快く席を譲ってくれるわ。彼はああ見えて社交的よ。シンと違って友達も多いわ。もともとこの学校の中学からの持ち上がり組らしいから」

「中、高この学校なの?知らなかったな~じゃあ、聡里優実の事もあいつは知ってたってことだ」

 でも、変な聞き方をするとおかしな勘ぐられ方をしそうで、相手が朝ヶ谷というところが強敵だった。

 聡里優実について聞いてみたい。その気持ちは膨らむばかりだった。


「なあ、朝ヶ谷。おまえ中高持ち上がりだろ、そういうのってこの学校多いの?」

「全員は上がれないよ。学年で三割くらいかな。ちゃんと成績上げとかないと、三年で焦ってもなかなか、みんな頑張るからね」

「この組には?」

「この組にも十人くらいはいるよ。入ってすぐ打ち解けられる仲間がいるのは心強いね。僕みたいな人見知りには頼もしいシステムだよ」

「聡里優実も成績良かったの?」

 遠まわりながらついに核心に触れる。

「あいつは学年で十番以内じゃない。だから休学してもOKって判断されたんだと思うよ。お前気にしてるだろう、あいつの事。チラチラ見たりして、まあそれもありだよね。阿弥陀田くん」

 余裕な感じで肩を叩く。

「まさか、そんなことないよ」

「でも、あいつは謎だよな。中一の時も同じクラスだったけど、ほとんど口利かないし、休み時間も本を開いてるから、勉強が出来るのは想像がつくよ。でも、何が好きなのか、何が得意なのか、掴めない。

 悪いな、たいした役に立てなくてさ」

 そう言って顔を覗き込むようにして笑った。

「ふ~ん」

 僕はまた考え込む。朝ヶ谷の反応なんてどうでも良かった。誤解を受ける感情なんて始めっから無いと思っていたし、純粋に不思議で仕方なかったから。

 それから特に何もないまま一週間が過ぎた。僕のホームシックもすっかり治まって、これまで通り毎日淡々と学校と仕事の往復に明け暮れた。


「はいこれ、今年の課題曲。コンクールに申し込んで置いたから。新たな挑戦。やってみて、仕事の合間に練習していいよ。協力するから」

「ほんとに僕…コンクール向きですか?」

「うん、間違いない」

「そうか、それなら…頑張ってみます」

 ピアノに関しては自分の勘より、先輩の勘を信用していた。先輩がやれって言うならやってみる。その方が考えもぶれなくて楽に取り組めた。

「新しい譜面。緊張しますね」

「気持ちを込めて弾ける曲で良かった。これなら良い成績取れそうな気がする。好きな曲調じゃない」

「あ、どうかな。そうかな」

 自分の事が一番良くわからない。だから、先輩の意見は貴重だった。


 家に帰ると冴ちゃんとマヤが来ていた。何の作戦会議か知らないけれど、僕より先に夕飯をすませ、親父と話をしていた。

「阿弥陀田くん…」

「なんだよ改まって…シンで良いよ」

 冴ちゃんはいつも僕を驚かす。

「聡里優実の正体がわかりました」

 冷静な冴ちゃんの声にすぐには何を言ったのかわからなかった。

「え!聡里優実の正体?」


「はい。お父さんに確かめたわ。天使の園の子ですって。シンは前に会ったことがある可能性大ね」

 前に会ったことがある?

「ああ、演奏しに行った。天使の園の…」

 二人は大きくうなづいて、

「その時の印象が心に残ってて反応したんじゃないのかな~シン二度目に弱いでしょ…小さな印象がちゃんと残るところは、素直な良い素質だと思うわ」

 褒められてもしょうがない。

「それだけ、それだけで引っかかるかな…」

「それだけで十分、あなたは天使の矢で二度も失神したくらいですから」

 やめてよ。ここでばらす…親父を横目でけん制した。

「でも、冴ちゃんだって何か感じるようなこと言ってなかった。それならお互いに共通する何かがあるんだろうって考えたんだけど…」

「私が感じたのはもっと違うものかな、シンに対するライバル心みたいな。だって、あなた心ここにあらずって、危ない感じだったもの」

 僕は親父に説明を求めた。そういう顔をして向き直った。

「あの子の両親は生きてるよ。複雑で話せないところもあるけど」

「人間なんだよね。ご両親」

「うん、そうだな。人間だな」

 少し歯切れの悪い感じがした。人間だなって確認するみたいに言ったのが心に残った。

「ちょっと良い。天使の園には天使もいるの?」

 今さら不思議な質問に聞こえるかもしれない。でも、確かめた事は無かった。というより疑ったことがなくて不安になった。

 天使もいるって思うなら見抜けることもあったんだろうか?僕はちっともわかって無くて、自分と冴ちゃんとマヤの家族以外はみんな人間って思い込んで来たんだ。

「いいよ、もう。もう少し自分で考えてみる。答えを急ぐことでもないし、知ったからってどうなるって事でもないから、今日はもう寝るよ。明日も忙しいから」

 そう言って部屋を出た。

 転がったアルバムを見て思い出した。そういえばあと二人。この国にいるはずの仲間を探すことをすっかり忘れていた。この頃話題にも上らない。切ないな…ふとそんなことを思い出しながら考えにふける。

 朝ヶ谷や山崎の顔が浮かぶ、自分とは違った、全然違った存在なのに上手く共存できてる。僕は知っている。自分が違うことを知っている。でも、みんなは知らない。そのことが胸を苦しくさせた。

「いっそばらしても良いことなのかな…」

 そう思うすぐそばから否定的な気持ちが持ち上がる。決して言ってはいけない事。僕たちは人と人を巡り合わせる使命があってこっちに来ている。天使なんだから、そう、天使なんだから…

「当分聡里優実には何も言わないでいるよ。僕が父さんの息子って知らなくても大丈夫でしょ」

 そう言うと、

「そうだな」

 と小さな声で呟いた親父を思い出した。

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