第14話 不思議な矢

 次の日は何事もなく平和に終わり、その次の日は先輩にお膳立てしてもらった『天使の園』に練習曲の仕上がりがどれほどか伺いに出掛けた。

 今日は冴ちゃんとマヤがあの矢の偵察に出かける日でもあった。朝、家を出て自転車を走らせている間いろんな事が頭の中を巡って気になって仕方がなかったのに、『天使の園』についた途端自分の事で精一杯で、矢についての思考は一切停止していた。

 二人はまず、雪野ちゃんに頼んでマネージャーの手伝いをやってみたいと言ったらしい。やったことないから経験させてと言って、古い道具の手入れなんかさせて欲しいとか言って、あの矢の前にようやく立てたと…

 そして、ここからが本題…まずは、第一印象。

「これ、これがシンの言ってた矢」

 と、まじまじ眺め、何も起こりそうにない状況にちょっと笑えたらしい。でも、そうこうしてるうちに二人の手からコトリと矢が落ちて、矢の先に彫られた何かの形、二人が見たんだと言うからその形はそこに確かにあったんだろう。

 それを確認した途端二人はフラッとしたらしい。雪野ちゃんは騒々しい二人が急に静かになってさぞかし驚いただろう。ただ、僕よりはるかに根性のある二人はそのまま倒れることはなくて、這ってその場を離れ、適当にそのへんの片付けをして、僕がリハーサルを済ませて帰る頃にはこの家に到着していた。


「ただいま〜」

 呑気に家に着いた僕は二人の顔を見て、ハッと今日の計画を思い出して顔が真剣になった。

「どう、どうだったの?」

 母さんに疑われないように二人に駆け寄ってコソコソと聞いてみる。

「それがね。二人でフラっときたの」

 フラっときたって…ど、どういうこと…

「あれは焦ったね。このまま倒れるかなって」

 そう言ってケラケラ笑う。倒れるかなって…

「倒れそうになったと言うのが正しい」

「倒れる前にそこから離れてしばらくして正気に戻ったの」

「這って離れたね。立ち上がったら危なかった。アハハ」

「…」

 その話っぷりにたじろいでいた。やっぱり女は強いとしか言いようがない。

「でも、でも、何かあったんだね」

「二人で思い出してみたの。こんな形。矢の先に彫られてたの」

「え…」

 何かの印。何処かで見たことある気もする。思い出せないけど、確かに何処かで見た覚えがある。

「これ?こんな印があったの?二人とも見たの?」

「シンは情けないよね。何の手がかりもつかめないまま二回もね」

「そんなこと言ったって…」

 言い訳がましいことなんて言えるはずがなかった。この二人にかかったら結局笑われてお仕舞なだけだ。

「天使の矢か、はたまた悪魔の矢か…」

「そんなことあるの。悪魔なんてわたし達が言う?」

「それはそうだけど、あの力はわたし達に有利に働くものなのか、不利なものなのか、どっちかわからないからな〜」

「この印、調べてみよう。明日、日曜だから向こうに行ってみる。マイオさんいないかなあ。シンは?」

「明日もリハーサル。もうすぐ本番なんだ」

 しまった。言った後で口を押さえたけど、もう間に合わなかった。

「本番…」

「何の?」

 とてもじゃないけど発表はできない。この二人にだけは教えたくない。

「初めての演奏。日程はまだ調整中って聞いてるけど、今はそのリハーサルに毎日頑張ってるのよ」

 と、母さんが滑らかに何のためらいもなく言った。

「待って、待って、まだ調整中だから」

「隠しておこうと思ったでしょう。そういえばこの前も教会に入れてくれないの。そんなことだろうと思ったわ。とにかくそっち頑張って。わたし達は色々調べて見るから」

 意外と淡白。

「そんな大袈裟なものじゃないよ。頼むよ。結婚式の演奏って全然華やかじゃないから。凄く地味で、裏方の仕事だから。目立ったらいけないの」

「わかった、わかった。ちゃんと心得てるつもりよ。心配しないで。日程決まったら教えるのよ。ああ、お母さんに教えてもらうからいいわ。安心して練習に励んで下さい」

 はあ、上手くいかないもんだ。知らせたくないことばかり知られてしまう。

「そんなことよりこの印考えてみないと、心当たりある?」

「今この段階でこの印が何なのか誰も判断できないわよ。情報持ってる人一人もいないんだもの」

 二人から冷たい顔で見られた。はぐらかそうとしているのを見抜かれて返す言葉があるはずもなかった。

「とにかくこの印はこっちで調べてみるから、まあシンはそっち練習して」

 そう言って芸術家気取りでピアノを弾く真似をした。ああそうですかと僕はムッとした。鞄の中には今日リハーサルで来たタキシードが入っていた。一人前になったようで誇らしい気持ちはあるけど、ここでお披露目するわけにはいかない。

 先輩の最初の頃使っていたものをサイズダウンしてもらって、驚くほど僕にピッタリのタキシード。ちゃんと衣装を着けると緊張するのでそのリハーサルだと先輩は笑っていた。

 何から何まで世話を焼いてくれる先輩の優しさが骨身にしみる。

「本物は本番まで駄目だって言うから、これ、気に入ってた衣装だったんだ。ちょうど良いね」

「はい。本格的でビックリです」

「リハーサルだって手を抜くわけにはいかないね。頑張って…」

 子供たちの目が痛いくらい純粋で、真っすぐ届く。その感覚が蘇って気持ちが高ぶる。本番は地味な眼鏡なんかかけたほうが良いだろか。案外上がり症な自分に焦った。


 二人が置いていったメモに描かれた印をぼんやりと眺めながら、不安な気持ちであの矢を思い出していた。二度も身体に異変をきたしたあの矢のことは思い出すのも恐ろしい。でも、その矢に刻まれていたという印をこうやって眺めていても自分で確認したものでないだけに、それほど脅威に感じるものでもなかった。

「こんな印があったのか〜あの矢のことは考えただけでゾッとするけど、ふうん…でも、どっかで見たことあるんだよな。どっか…なんで思い出せないのかなあ」

 それは見つけにくい所にあったんだろう。矢じりの先に小さく刻まれていたらしい。

「印か〜さっきの話によると二人はその印を見てから倒れたって言ってたよな。まあ、タフな二人だからそれまでもったって…この印が決め手になって倒れたわけでもないかも知れないしな」

 夜が更けていく間先輩の演奏を聞き直していた。先輩の音は温かい。聴いていると気持ちがほぐれて透明になっていく気がする。この感じがなかなか出せない。頭の中がピアノ一色になってその夜は終わってしまった。

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