第11話 二度目の異変

 学校に着くと、こんな朝早くから何事か、実習棟の辺りが騒がしかった。

「シン、大変!朝ケ谷君が倒れたの」

「朝ケ谷が…」

 倒れた?僕は朝ケ谷のことが心配で思わず走り出していた。二度と踏み入れては行けないと誓った体育館だったこともすっかり忘れて…舞い上がった自分を押さえきれないでいた。

「朝ケ谷!!」

「阿弥陀田?なんでお前が…大丈夫だよ。最近ようやく引けるようになったんだけど、いつもと勝手が違って、力を入れ過ぎて弦が切れたんだ」

 朝ケ谷の額は弦に弾かれて切れたところから真っ赤な血が流れていた。走り寄った足元にあの忌まわしい弓矢が落ちていた。

 自分の足元の直ぐ側にあるその弓矢が怖くて一瞬息を呑んだ。触るのは避けたほうが良い。何かあったら間違いなく周りに感づかれる。

「良かったな。酷いことにならなくて、あ、保健室へ行く」

 後退りしながら少しずつ矢から離れる。

「大丈夫だよ、ビックリして気が遠くなっただけだよ。それよりお前が駆けつけてくれるなんて感動だな〜」

 嬉しそうな顔をして朝ヶ谷が僕の手を掴んだ。残像が見える…この手はあの矢を握っていた手…

「ああ、じゃあ、僕は、僕はもう行くよ。ちょっと驚き過ぎてパニクってる。お前が倒れたなんて聞いたから…」

「阿弥陀田、何かおかしいよ。様子が…」

「いや、大丈夫。僕は大丈夫だから…」

 汗が、尋常じゃない汗が出て、心拍数が上がる。やっぱりこの矢にはなにかあるに…違いない…

「阿弥陀田〜おい!阿弥陀田〜!」

 保健室に運ばれたのは、怪我をした朝ケ谷じゃなくて僕の方だった…


「シン、大丈夫…」

 誰かが僕を呼ぶ声に目を覚ました。

「さ、冴ちゃん!」

 恐怖のあまり顔が引きつる。思わず力がこもって冴ちゃんの腕を掴んだ。

「何があったの?血が駄目だった。おかしいでしょ、あべこべよ、あそこであなたが倒れるなんて」

 ふうっと息を吐く。顔をツルンと撫でる。

「ああ…怖かった。正直な感想。なんか解んなくなって」

「そうよいくら何でもあそこであなたが倒れる?なんで?やっぱり血が駄目なんでしょ。そういうのあるらしい。先生が言ってた」

「先生?担任?」

「ううん、保健室の美人の柔先生」

 先生がカーテンを小さく開けて笑った。

「いるのよ、そういう子。男子に多いわね。ほんの少しの血でも倒れちゃうの」

「ああ、そうか、血か…」

 血って朝ヶ谷の額の…ああ、いや今、考えるのはやめよう。またぶり返してどうにかなりそうだ。良かったバレずに何事もなくて…

 ひとまずそういうことにしておこう…

「もう少し休んでていいわよ。教室には連絡してあるから」

「あ、すみません。後で、後で来て…冴ちゃん」

 冴ちゃん相手にすがるような真似をして可怪しいの極みだろう。不信感まっしぐらだった。

「なに?なんか様子がおかしい。やっぱり…」

「ごめん。今は…少し寝かせて」

 そう言って僕は再び深い眠りに落ちた。


 授業も全て終わって冴ちゃんが保健室に来てくれた時には、気持ちも落ち着いて、心拍数を上げずに一連の出来事を思い返せるようになっていた。

「バイト休めるの?」

「ああ、連絡した」

「ホントに休むの?まさかと思うけど、シンが、あなたがバイト休むなんて、そんなに重症なの」

「重症って…まあ、ショックが大きくて立ち治れない感じ」

「なにそれ、自分がそんなに弱かったって自信失くしちゃったの」

「弱い…冴ちゃん違うよ。あの矢だよ。あの矢を見てどうにかなった」

「あの矢…あの矢…」

「前にしただろう新入生歓迎会の時の弓道部の話。あの矢だ。あれが足元に落ちてて意識を吸われるように倒れた」

「え〜前に聞いたけど…そんな事言ってたわよね!」

「うん」

「まさか、あの矢…なの?」

 実際に体験したことのない冴ちゃんにはピンとくるはずもないだろうけれど。僕の必死さだけは伝えないと。

 自転車を押して歩きながら、人通りの無い所まで来てようやく冴ちゃんに真相を打ち明けた。かなり異常な感覚だった。どうかなりそうな自分に過剰反応が襲った。

「何かあるのかな。確かめたほうが良いよね」

「でも、ヤバイよ。誰だってこうなる可能性はあるんだ。何かあったら取り返しが付かない。あの…素朴な質問なんだけど、僕たちの体も朝ケ谷みたいに血が出たり怪我したりするのかな」

「はあ?」

「怪我したことないだろう。血が出るって普通に言ってるけどあれが血かって…ピントはずれな感覚だろ。人間と同じ反応をするのかな。なんかわかんなくて自信がないよ」

「もし出ないとしたって、出ることにしてあるんじゃない。人間に化けてるわけだから」

 そんな身も蓋もない言い方を冴ちゃんがした。そうか、そうだろうな…

「そんなことより矢は?どうにかしないと」

 近づかないほうが良いに決まってる。でも、なにかあるならそのままで良いのかって、どっちも不安で仕方なかった。

「マイオさんに聞いてみる。一度向こうに帰って」

「それあり?ありならそうしたい。この際、解決しないと何かに付けて体が反応しそうで怖いんだ」

「二度目だもんね。冷静…ん、冷徹なシンがそうなるって、何かあるかも」

 その夜、僕達はあれこれと口実を付けて天使の国へ向かった。同窓会とか何とか、親は特に疑いもせず笑って送り出してくれた。そんなもんなのか、こんな簡単に里帰り出来るなんて、浮かれてる場合じゃないけど言ってみるもんだ。とにかく安心出来る何かが欲しかった。

 なのに、あいにく僕たちの頼みの綱のマイオさんは出掛けて留守だった。

「どうする此処まで来て収穫ゼロだな。マイオさんじゃなきゃいけない。誰か他の先生に聞いてみる」

「あそこへ行ってみない。決断の館」

 決断の館。そこは僕達の原点のようなもの。あそこに行ってこの不安が安らぐ…そんな思いだった。

「うん、行ってみよう」

 僕たちは、自分たちが天使最後の試練を受けたあの、決断の館を目指した。森の中とは言うものの険しい森じゃなかった。

「確かこの辺りだと思うけど、森のちょうど真ん中辺り、そんなに判り難いところじゃなかったのに」

「遠くからでも見えてた。最後のミッションだったから目指してたしね…学校から見えてたよね」

 決断の館は何処にも見つからなかった。

「何でかな…おかしいよこれって」

 その時、二度とお目にかからないと言った。あの執事みたいな風体の天使の顔が浮かんだ。

「決断の館は二度と来れないところなの」

「謎だな。この前まで住んでた天使の国がなんか違うところみたいだ。半年でこんなに印象が変わるかな?」

「……」

「冴ちゃん。マヤを探そう。今僕たちの気持ちを解ってくれるのはマヤしかいないよ」

 僕は弱気になっていた。酷く弱気になって誰かにすがりつきたかった。

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