第7話 本業

 慣れない運動部に身を置いてしまったせいでか、毎日暗い顔をして学校に来る朝ケ谷にはかける言葉もないけど、僕の毎日は信じられないほど充実していた。

 先輩の本間さんが申し分なく格好良くて、そう成れるよう目標にするだけでも心が踊った。

 学校とバイトと家を自転車で駆けずり回る僕のことを、勝手に誤解して気の毒に思っているらしい冴ちゃんのおせっかいには手を焼いていたが、それも僕が愚痴ったり、悩みを打ち明けるならともかく、毎日楽しそうにしているのだから…そのうちどうにか納得して言わなくなることだろう。

 その冴ちゃんが珍しく今日は神妙な顔をして近づいてくる。

「ねえ、シン、毎日の暮らしには慣れたの?」

 しおらしい顔をして、前の時間の宿題を片付けている僕の前にちょこんと座り込んでため息を付いた。冴ちゃんはなんで休み時間を自分の教室で過ごさないのか?

「どうしたの?」

 青春を謳歌するって楽しみに飽きたの?そう聞きたかったが、そういう嫌味を言うのは止めておこうと横顔をちらっと眺めた。

「シンは楽しそうよね」

「ああ、充実してるよ」

 こうやって宿題を持って帰らなくてもいいように学校で片付けてるくらいだからな。と言う時間も惜しんでノートに目を戻した。

「ねえ、私たちの第一の目的をあなた忘れてるでしょう」

 第一の目的、第一の目的、思いつけない…

「それって…」

「ほらほら、私たちはまだ勉強することもあってこうやって学校ってトコに通ってるわけだけど、本当は天使としてやることがあるのよ」

 そこだけちゃんとわきまえて小声になる。きびすを返して高飛車。何かと思えば今度はそっちの説教をする気か…

 女になった冴ちゃんは男である僕には理解し難く変身してしまった。次の一手がまるで予想がつかない。僕は冴ちゃんの出方をもう少し見ようと、無反応を装いながら次の言葉を待った。

「ねえシン!」

「お前、女らしい言葉を使うようになったよな。時々昔のお前を思い出して複雑な気持ちになるよ」

 しまった、心にもなく冴ちゃんの言葉に反応してしまった自分に顔をしかめた。

「はあ〜なにそれ」

「いや、何、何の用?」

 あらぬ方向に話を飛ばしてしまった僕は、まずいことをしてしまったことに気づいて口をつぐんだ。

「確かに私は女より男に向いていたと思うわ。性格もあっさりしてるし、行動力もある。でもね、そんな女の人もいっぱいいるのよ。こういう性格は男向きってどうして決めつけられるのよ」

 それはハッキリ聖書に載っている。「男は女の頭」まあ女は男の導きを聞く。って言うような意味。今更思い返すことだけど、聖書には男と女の違いについてはっきりした記述があって折に触れてそれを学んだ。僕はそれを向こうで勉強していながら自分に置き換えて考えて見るなんて思いもしなかったけど…

 それは多分、人として書かれている聖書の性質から、自分は天使だから同じじゃないと、頭から別物だと、考えていたに違いない。

 しかし、残念ながらこの考えは、この世界ではもはや通用しなくなっている。

「僕たちの本当の役目って何?その話だろしたいのは」

 急いで話をもとに戻す。冴ちゃんに臍を曲げられたらそれこそややこしくて仕方がない。

「天使の矢よ」

「矢ってまた弓道部へ行けって話」

 うんざりした僕の顔を見て冴ちゃんは『呆れてものも言えない』そういう目つきをした。

「違うわよ。恋を成就するための天使の矢の話」

「ああ、そっちか…でもあれ、マイオさんが今時本当に矢を放つなんてナンセンスみたいなこと言ってなかったっけ」

「もちろん、矢を飛ばす話は御伽話にしても、好きな人がいたらわたし達は発射装置になってあげないといけないでしょ」

「発射装置…」

 やっぱりややこしい話になっていく、面倒くさい目線を眉間の皺とともに放つと、

「シンあなた人間界に来てから変わったわね。昔はもっと純粋で何に対しても前向きだったわ。ホントがっかり」

 そんな事はない。自慢じゃないが僕は昔からこんな性格だった。

「話もよく聞いてくれたし、なんて言うかもっとホンワカした感じだったわ」

「そりゃあ宿題もなかったし、仕事もなかったし、ただの天使だったからね。今より相当暇だったと思うよ」

 反論する気はなかった。進化なのか、変化なのかはわからないが、自分がある一定の方向に動いているのは感じていた。

「はあ、とんだ勘違いだったかも…でも、好きな人がいたら手伝ってあげないと」

「誰が誰を好きだって…?」

 それはね、冴ちゃんは凄く特別な情報を手に入れたみたいに得意気な顔をして、

「阿佐ヶ谷君、弓道部のマネージャーの雪野ちゃんが好きみたいよ」

「え?」

 僕は多分今まで見せたことがないほど迷惑と困惑の混ざった顔で冴ちゃんを見たに違いない。

「あんたね…」

 そうとう腹を立てたらしく僕のことをあんたと呼んだ。

 阿佐ヶ谷の恋を取り持つなんて気が進まない。この話はここまでで終わり、そういうつもりで立ち上がろうとすると、

「嘘よ、嘘!」

「はあぁ〜嘘って、嘘って今そう言った」

 人をおちょくるにも程がある。

「僕は忙しいって言ってるよね。冴ちゃんの遊びに付き合っていられるほど暇じゃないって。なんでそんなに突拍子も無いことばかり考えて困らせるのさ」

 僕は怒りに燃えた顔をした。ここは一つきちんと言ってやらないと冴ちゃんに良くないと思った。人の心を持て遊んではいけない。天使だって人間だってそこは一緒だ。

「ごめん、ちょっと調子に乗った。さかさま、本当は雪野ちゃんが阿佐ヶ谷君のこと好きなのよ」

「え?」

「雪野ちゃんけっこう可愛いのよ。阿佐ヶ谷君にはもったいないくらい。でも、阿佐ヶ谷君みたいな勉強の出来る真面目な子が好きなんだって。少しくらい偏屈でもそこはOKらしいわ。

 まあ、人にはタイプってもんがあるらしいから。相性みたいなもんだね。好きってそういう不思議なものらしいの」

 らしいの連発が僕たちの恋への未熟さを語っている。

「へ〜そうなんだ」

 僕は拍子抜けして腰を下ろした。確かに阿佐ヶ谷には理解し難い癖はあるけど人は悪く無い。誰にでも気さくに話しかけることも出来るし、努力家なのは体中から染み出している。

「それでその雪野ちゃんは阿佐ヶ谷に告白したいとか思ってるわけ?」

「そう言うんじゃないわ。でも、気持ちが通じたら良いな〜って思ってるのはわかる」

 そう冴ちゃんはしおらしく言った。

「もう少し待ってみようよ。様子見るっていうか、先走ってもね。まだそういうことあんまり良くわからないし、僕もね経験ないから」

「確かにそのとおりよ。自分も経験ないことをどうしようって無理あるわ」

 冴ちゃんは頭の中でグルグル考えているように色んなポーズをとった。

「あ、でもこのクラスに阿佐ヶ谷君のことを気にしてる人がいるとか、阿佐ヶ谷君が好きな人がいるとか観察してほしいの。そのくらいならね、シンにも出来るでしょ?」

「あ、ああ」

 力なく答え、そのくらいならやらないとと納得した。

「じゃ悪いけど宿題させて、家でやる時間無いんだ。バイトもあるから。阿佐ヶ谷のことは引き受けた。このところギクシャクしてるから眺めたくもないけど、そこんところは仕方ないってことで」

「よろしく、『エピソード1』になると良いと思うの。大事にゆっくりやるわ。それともう一つ…」

 そうか、阿佐ヶ谷のことを好きって思う女子がいるとはな。心がほっこりして顔がほころぶ。それだけなら楽しい話で終わったものの冴ちゃんの話には続きがあった。


 人が人を好きになることを否定したりはしない。こんな複雑な世界でもそんな素敵なことが起こるんなら、奇跡かもって、ちょっと疑いながらも心が温かくなったりする。

「それとうちのクラスの山崎君、ここのクラスの吾川さんが好きらしい」

 耳に口を寄せてコソコソ話す冴ちゃんに少し照れながら、噂好きのおばさんになったようで閉口する。

「あのガリ勉の吾川?僕の隣の?そうなの?」

 そう言えばかなりな美人かも知れない。

「なにか不満?」

「いや、本当かなと思って、ちゃんと調査して間違いがないか確認しないと、僕たちの矢はむやみに使うとヤバイよ」

「だから相談してるんじゃない。『エピソード2』ミッション開始よ。ちゃんと調べたいの」

「え、どうやって?」

「私の感じてる山崎君の気持ちが本当かどうか、シンに確かめてもらいたいの」

「まさか…」

 恋などしたことの無い僕にその山崎とやらの気持をどうやって探れっていうんだ。

「それは無理だよ。だいたい恋ってどんなものか見当もつかない。確かに僕は天使だけど、まだまだなんて言うかこっちに来て日も浅いし、わかってることのほうが少ないし、その辺りのレクチャーから始めてもらわないと」

「じゃあ今度の日曜日ダブルデートしよう」

「ダ・ブ・ル・デ・ー・ト?なにそれ」

「私と吾川さん山崎君とシンの4人でデートするの」

「待って待ってデートって何?日曜は仕事があるよ。掻き入れ時だよ」

「休んでこっちが本業だから」

「まさか、本気か冴ちゃん!」

 バイトだって本気でやってる仕事で…そういうことを思いつく冴ちゃんに腹が立つ。いったいどうしてそんなにおせっかいなんだ。とイライラする自分に疑念が湧く。そうだ、多分それは冴ちゃんが全うな天使だから…

「わかった。吾川さんは私が誘うから。任せて」

「お、おい。まだ承知してないから」

「シンは根はいい子だから裏切ったりしないわ」

 そう言い置いて冴ちゃんは勝ち誇ったように去っていった。

 待ってくれよ。面倒なことばかり言ってくる。僕だって予定ってもんがあるんだよ。日曜は新しい壁画を造るためのデザイナーさんと会うんだ。今回の壁画は音のことも考えて素材を変えるって、僕はそのプロジェクトに興味を持ってて…絶対ダメ。

 そう強く冴ちゃんに言えるはずがなかった。

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