第5話 高校生らしい学園生活
次の日学校へ行くと教室の辺りが少々騒がしい。『何?』と首を傾げながら自分に降りかかる災難にも気が付かずのんのんと自席に近づく。
こっちの世界に来てから周囲が騒がしく、心が平和じゃなくてドキドキするようになった。初めはそれも目新しくワクワクするところもあったけれど、最近はなるべく何もなく平穏な日々が続いて欲しいと願ったりする。
「何?どうしたの」
席に着こうとすると、僕の机の上にあいつが座っていた。
「おはよう。昨日はどうも」
はぁ〜それは、昨日思いがけない動揺に驚いて、呼び止められるのを避けるように逃げて帰ってしまった、あの弓道部の男だった。名前は…忘れた。
「ゆっくり話せるかと思ったら君、帰ってしまったから」
胸を押さえて間合いを測る。ドキドキしてない。確かめたかったあの動揺の理由は、やっぱりコイツではないらしい。子供じみて『モテタイ』と思った自分が気に入っていたから、そうじゃなかったことに幾分がっかりしながら、思わずそいつの顔を睨みつけてしまった。
「あの、何か」
僕の彼への興味はすっかり消えていて…特に話すことがなかった。
「ちょっとそれはないな、僕としては今年の新入生に是非入部してもらって、うちの部を盛り上げてもらわないと、最近あの体育館からヒ−ロー出てないんだよね。
君、上級生に対するその態度は…後で問題にするとして、うちの部に入らないか」
黙り込む…返す言葉がない。周りはザワッと僕の返事に興味を示している。
「昨日そのつもりで来たのかと思ったんだけど」
沈黙…
「阿弥陀田君…」
隣の席の吾川さんが僕に声をかけた。返事をしたほうが良いと、彼を待たすなとでも言うように。成績優秀な君でもこいつのしんえいたいなのか?
「いや、あのなんて言えばいいか…僕は家の事情でクラブは出来ないんです。バイトしなくちゃいけないんで…」
「バイト…なんで?うちの学校バイトの許可アリなの」
「すみません」
周りの女子たちの視線が攻めるように僕に刺さった。一瞬モテタイが為にあの部に入ろうとした自分の不純さが愛おしくなる。
「あ〜じゃあ君はクラブに入ろうと思ってあそこに来たわけじゃなくて…」
「シン、あなた弓道部に入ろうかなって言ってなかった」
隣のクラスからわざわざやって来た冴ちゃんが口を挟んだ。
「え…」
「だろだろ、君の目は完全にそういう感じだったよ」
「いやいや冗談ですよ。確かにそんな気もするにはしたんだけど…昨日体育館まで出掛けたら違ってたんです。勘違いで、そんなんでもなかったんです」
正直に言ってしまおう。その方が誤解されずに話しが早くすむ。
「そんな簡単に確かめられるはずがないだろう。君が親との間で悩んでいるのなら相談にのるよ。無理しないで、若いうちは自分の気持ちを優先して良いと僕は思う。せっかく弓道に向かおうとした気持ちを大切にして欲しい」
いや、それは違う。そういうことじゃない。決して決して無理してバイトをするとか自分を誤魔化してるとか、そんなんじゃない。
「冴ちゃん。そんな誤解を招くようなことを言わないで」
僕は冴ちゃんを睨んで困った顔をした。冴ちゃんは弓道部の先輩に見えないようぺろっと舌を出して僕にウインクした。
「え…?」
そうだった冴ちゃんは僕に青春を味わわせたらしい。クラブをやることがそうだと思い込んでいる。でも、僕はバイトで十分青春を楽しもうと思っているんだから、余計なおせっかいは要らない。
「あの、誤解されるようなこと言ったらすみません。僕バイト、決して無理してやろうと思ってませんから。ほんとにすみません」
平謝りで誤ってここは何とか逃れたい。なにせ平穏無事に学生生活を送りたい。
「君、しばらくクラブに顔を出してみないか、もう少し確かめてみたら良いと思う」
「いや、今日は先約があるので」
「じゃあ気が向いた時に、是非一度」
そうでも言わないと引っ込みがつかないんだろう。先輩はそう言って有り難いことに引き上げていった。
「冴ちゃんまずいよ。後で話すけど、ちょっとまずいんだ」
「なに?何がまずいって?」
「後で、もう授業はじまるから」
とにかく隣へ帰れ!そしていちいち顔を出すな。
「クラブ行かないの?」
「行かないよ!いったらあいつの思う壺だろ。今日からピアノの特訓なんだ。早く上手くなってパイプオルガン弾かないと」
不満そうな冴ちゃんの顔に付き合ってはいられない。
「さっきの話の続きは?」
「さっきの、ん…あ、昨日のこと?
あれからあいつを探して体育館に行ったんだ。なんかこうドキドキして、確かめたい気持ちがあって、そしたら古い弓があったんだ。普通にポツンと置いてあっただけだったんだけど。
それに触ろうとしたら背中が疼く気がして、羽が生えてきそうで気持ちが不安定になって、だから…まずいだろ。当分体育館には行かないほうが良いって思ったんだ。おっかないから、正体がバレるんじゃないかって焦った」
「古い弓、なんかある弓かな…うん、わかんないわね。まあ、怪しいものには近づかないほうが良いか…そうか、それが弓道部に入るのを止めた理由。でも、あんなに懇願されたんじゃ振り切れるかな。シン頼まれると…」
「どんなに頼まれたって無理なものは無理だよ」
僕は冴ちゃんに軽く手を上げて自転車に乗った。今日から特訓が始まるから急いで帰れるように自転車に乗ってきた。当分は余計なことを考えずピアノに集中したい。弓道部に揺れた気持ちが収まって好都合だった。
学校は小高い山の上にあって朝は一苦労だけど、帰りは快適に加速をつけて一気に坂を下った。
「おはようございます。今日から特訓でしたね。この前の部屋で本間さんが待ってますから」
受付で声をかけられた。
「あ、はい。解りました」
道に迷いながら練習室を発見してホッとした。
扉を細く明けると中で本間先輩がウエディングソングを弾いていた。その姿がとっても格好良くて、昨日の本間さんとは別人で、まさか本当に同じ人なのかと目を疑った。
「お、おはようございます」
「この曲どのくらいで弾けるようになるかな。まず耳で聞いてイメージを膨らませて手の動きを焼き付けて、てな感じで」
そう言いなが見事な鍵盤捌きを披露する。
それは…僕の目には神の如く映り、身体の芯が痺れるような衝撃だった。人間て凄いな。ここ一日二日で何度も痺れている。僕は必死にその動きを目に焼き付けながら感動していた。
「じゃ、僕は本番行ってくるから、今の自習していて、楽譜とCDも置いていくから。帰ったら聞かせてもらうよ」
立ち上がったその姿はまるでピアノの国の王子様みたいに、今から始まるセレモニーに相応しくスタイリッシュだった。演奏の間、手しか見てなかったことに気がついて、
「お見事!素晴らしい」
僕は先輩に拍手した。格好良い。本当に格好良い。顔なんてギリシャ彫刻みたいに彫りが深くて、むさ苦しいと昨日感じた髭もなんか洗練されていて、ふわりと後ろになびかせた燕尾服の裾が恐ろしく似合っていて、これ以上の音楽家はいないと僕に感じさせた。
「本間さん」
園田さんが様子をうかがおうと扉を開けて、
「ホッ今日は仕事モードね。全く極端」
園田さんは格好良い先輩も見飽きてる感じで、こんなに違うのに何のリアクションも無かった。
「バイト君、ちょっと本間さんの演奏の間、あなたこっち来て見学しなさい」
園田さんは僕のことをバイト君と呼ぶことにしたらしい。苗字で呼ばれるのは僕も不本意なのでありがたかった。
僕は園田さんに連れられて控室にまわり、そこで服を着替えさせられた。
「まあ、あなたもかなりじゃない。よく似合うわ。ちょっと七五三みたいだけど、そのうち様になるでしょう」
七五三?…みたいと続くからそれは名詞だろう。わからない言葉はスーッと流して解ったような顔をする。そしてメモしておいて後で母さんに聞くか辞書で調べる。そうやって新しい言葉を覚える癖がついている。この歳になるとわからないからとなんでも聞き返すとまずいことも解ってきた。
教会に入ると園田さんが僕の立ち位置を作ってくれた。
「ここから良く見えるから」
と言い置いて消えた。確かに先輩は良く見えるけど、ここに立って何をすれば良いのか、何もしないほうが良いのかわからないのが不安だった。
先輩はすっかり気配を消して、舞台装置の一つみたいにピアノと同化してスタッフの指示を待っていた。
昨日僕たちの前で自由にゆるゆると振る舞っていた先輩は何処に行ったのか?しかし結婚式のBGMを演奏するとは切ないものだ。僕的には感動するような素晴らしい演奏なのに、スポットライトも当たらなければ、演奏者の紹介もしてもらえない。それでも僕には十分に先輩が輝いていた。
「どうでした?」
「いやあ、良い勉強になりました。演奏も素晴らしかったけど、それより目立たないであんな素晴らしい演奏をきっちりこなすのが凄くて、大人の仕事はさすがだなって…」
「ま、そんなこと思ったんですか。あそこに連れていくとたいてい頭に血が昇って立ってるのがやっとなのに、意識が飛んじゃう子もいるんですよ。あなたも大概肝が座ってて、ま、上出来ね。将来が楽しみだわ」
園田さんはそう言ったけど、僕にしてみれば昨日先輩に会った時のあの衝撃のほうが今の自分の立ち位置より数段上だった。
「あ、こっちへ」
促されるままついていくと広いエントランスの中にあれほど再会を戸惑っていた父親が待っていた。
「あ…」
なんてあっけない結末なんだ。これでも楽しみにしてたっていうか、描いてたシチュエーションがあったのに、心の準備もないままこのタイミングで会ってしまうなんて…
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