第4話 結婚相談所というところ
複雑な思いを渾身の力で漕ぐペダルに預けて、約束の場所まで一気に駆け抜ける。
父親の顔を見るのは何時振りだろう…
記憶をたどると相当昔だった気がして、懐かしいという思い出が無いことにいささか不安を覚える。こうして座っていても校長室に呼び出されているようで、ソワソワと落ち着かない。情けない気持ち。
親に会うという親しみが湧いてこない。天使の親子って人間とは違うのか?
そういえば今朝、朝ケ谷も親とゆっくり話す時間が無いようなことを言っていたな。何処の世界もそうそう親と子は打ち解け合っているものではないのか。
冴ちゃんが似合うと言ってくれた制服のボタンをかけ直して、神妙な顔で父親が来るのを待っていた。
カチッ、扉が開く。
「あの〜たった今、本日社長は忙しくて戻れないと連絡がありました」
「え…?あ、そうなの」
なんで…ちょっと残念な気持ち。意識してなかったけど仕事をすることよりも父親に会うことの方が自分には大切な目的だったんだと思い知らされる。此処に座っている意味がなくてガッカリする。
「私は、式典全般の音響を担当しております園田と申します。ま、社長のお坊ちゃまとお聞きしましたけど仕事は厳しく、甘いものでは有りません。
お客様のご要望に答えられるような、真摯な態度で取り組んでいただかないと困ります。最近のお客様のご要望は多義にわたっておりまして、まして高額な予算を頂いて式を挙げさせて頂くのですから、とにかく最高の満足のために私どもの出来る最高のサービスを…」
その後、長い演説が続いた。僕はこの後の話を何一つ覚えていない。園田という音響担当のおばさんが、今後僕に厳しくしていく方針と、お客様の満足度がどうのという中身だったと思うが、父親がいないという、思ってもみない結果に意外にも落ち込んでいた。
「じゃ…そんなところで」
「あ、あ、こちらこそ宜しくお願いいたします」
僕はその園田という人の長い演説に気後れして、何も考えられず、後にスゴスゴついて部屋を出た。父親との再会は、今日は果たせそうになかった。
「あの、父の仕事はそんなにハードなんでしょうか?」
簡単に質問したように見えたろうけれど、それは、長い間抱いていた疑問だった。
「いえいえ、社長なんですからどっしり構えて部下に任せてくだされば良いのに、何でも顔を出さないと気がすまない性格なんで、どんどん仕事が増えてしまうんですよ。まあ、確かに社長に顔を出して頂くとその場で片付くことが多いので皆んなが頼りにしてしまうんですけど」
「今日は…」
「今日はパーティーに出席で御座います。ま、品の良い合コンなんですけど、出会いを一杯作って、種まきしないとこういった商売はあがったりなんで」
さっきまでの口調と違って好意的な感じもした。
「ピアノは得意でいらっしゃいますの?」
「いえ、得意と言うわけでは」
「まあじゃあ何故?」
それは僕が聞きたい話だった。
「当分練習しろって言われてます」
そう聞いている。
「まあ〜そうなんですか。今から練習ですか。私はてっきり今日からでも素晴らしい演奏が聞けるもんだと楽しみにしてました」
だろ、誰でもそう思うと僕も思った。
親父からどんな話を聞かされてたのか、にわかに慌てだした園田さんは、めぼしい人事を図りながら携帯を取り出…
「あ、ちょっと待ってて下さいね。もしもし、今忙しくしておいでですか?」
慌てながらも素早く対応できる園田さんが頼もしく思えて、ちょっと見直した。
「いままで演奏のお願いしかしてなかったんですけど、その他に頼みたい事ができたんですけど、ええ、ええ、コーチして頂きたい生徒さんがおりますの。はい、ゆくゆくは演奏ができるように特訓して頂けたらと、はいはい、あ、来てくださるの、では後ほど」
そう言って携帯をしまった。
「ではこちらの部屋でチョット待ってて頂けますか」
「あの…」
「はい?」
「あ、いや、じゃあ」
僕はもう少し父の話を聞いてみたいと思ったけれど、さっき聞いた仕事熱心な父の話をもう少し自分で温めてみるのもいいかと天井を見上げてため息をついた。
部屋の真ん中にピアノが置かれていた。他にサイズの違う様々な黒いケースが壁に並んでいてこの中に楽器が入っているのかと近づいて眺め、ピアノに腰を掛けて子供の頃母親から習った練習曲をポロポロと弾いた。
その頃そばにいたであろう両親の視線を感じながら、ちょっと懐かしい心地好い気持ちになった。ひょっとしたら忘れているだけで思い出はあるのかも知れない。悲劇の主人公になるような柄じゃないけど、得体の知れない人に会うみたいに思っている自分。母親の持つ父の印象と自分の持つ父の印象がきっと違うことに違和感があるんだろうな…と、感じていた。
どのくらい時間が経っただろう、練習曲にも飽きて最近気に入っている天使の国の国営放送で流れていたソナタを弾いていた。
バーン!
突然扉が開いて飛び込んできたのは、品が良いとは思えない、ボサボサ髪の男。その人は…きっとさっき彼女が携帯で話していた相手と思われる。
「あ、あの…」
「やあ、園田さんいないの?急げって超特急で来たのに。あ、君がそのピアノを教える?」
「あ、輝明です」
名字は言いたくなかった。
「僕はなんて呼べば…友達からなんて呼ばれてる」
「特にこれって…あ、シンって」
「何で?名前から連想し難いね」
「ああ、何となくそう呼ばれると落ち着くんです」
「そう、じゃあ、そう呼ばさてもらおうかな」
「あの、ひどい姿ですね。髪もなんて表現したらいいのか、服装も意外な感じで」
よくそれで外に出られたなという格好だった。
「突然、呼び出されたから、今日はオフで家から出る予定がなくて、夕べから酒のんで、朝起きて又飲んで、そうとういかれてたから、話が出来るだけでもマシな方、ま、今日は顔合わせだって事で勘弁してもらっていいかな」
一通り話が終わった頃園田さんが駆けつけた。
「まあ、まあ、今日は一段とひどいわね。無理に印象悪くしたいんじゃないかと思う程。あ、こちら本間さん、こちらは…」
「コホン、自己紹介は終わりましたから」
僕は自分の素性をこれ以上知られなくて園田さんの勢いを止めた。
「あら、そう、じゃあこれからどうするか考えてもらって、連絡だけ取れるように確認して下さいね」
園田さんも空気を察してそう言った。
「あの、ちょっとピアノ弾いてもらって良いですか」
「え…」
「今からスタートって感じ?それともどうかなと思って」
「そうよね。そこが肝心よね。聞いてみる?私も聞いてみたいわ。使い物にならないってことも…」
ひどいな。それ、確かに自分が上手いのかも下手なのかも判ってはいない。この仕事を聞いた時に正直大丈夫かなと思ったんだから。
僕はさっき弾いてみた練習曲をポロポロと正確にではなく多分自己流に弾いてみた。かのボントールが国営放送で機嫌よく弾いていた時のライブ映像を瞼に浮かべて…
ボロボロ音大生は目を閉じてその旋律を追いかけながら、
「荒削りだけど、繊細なところもあって僕は気に入りました。園田さんは?」
「そうね。特訓する価値はありそう。まだまだ未知数だけど…」
と、二人でニンマリ笑って、僕はひとまず合格した。
「じゃあ結婚式場を案内しましょう。レッスンは明日からで良いから、本間さんありがとうございました。おくつろぎのところお呼びだてしてすいません。お願いしますね」
「男ってところが気に入りました」
「は…なぜ?」
「仕込み概があるじゃないですか、何となくですけど…遠慮しなくていいかな」
本間さんは僕のことが、と言うか男という僕が気に入ったみたいだった。
「此処が教会です。立派なパイプオルガンでしょ。奮発して購入しました。本格的な式場を目指してますからね。本物志向の方が多いんですよ。
日本は結婚年齢が上がって贅沢になったと思いますよ。結婚式をあげない人も多くて、極端なんですけどね。なんにしても」
結婚式というものがピンとこなかった。本物志向というが、教会もあり、神殿もあり、その一つ一つが風変わりな造りで、どこに本物を感じようとしているのかよくわからなかった。
レストランへ行くと、今日は大人数の予約が入っていて最大級に忙しそうに部屋全体がテキパキと動いていた。
此処のレストランは結婚式の披露宴でも使われるが、一般向けにも開放していて、料理も美味しいと評判だそうだ。
合コンから結婚式、誕生祝い、記念日の食事会、クラス会、そしてお葬式。なんでも冠婚葬祭につけ込んで儲けているらしく、一度ここの料理を食べたら抜けられなくなるとお客様は口を揃えて言う。そこは魔力を持つ天使が運営するレストランならではだと僕は自嘲気味に感じた。
「此処でも演奏会を開くんですよ。使い物になれば出番多いですから」
使いものになればとは手厳しい。とたんに背中が寒くなった。
「どうだった?」
「うん、凄い。あれは結婚式場と言うより総合カルチャーゾーンだね。なかなかのスケール。衣装室なんて凄く大きくて、隣にオリジナルの仕立て室があって、デザインから縫製から自分のところでやるんだって、レストランも忙しそうだったな。父さん何から何まで首突っ込んで采配降ってるらしいから家に帰る暇なんて無いね。
きっと、あ、今日は仕事で出かけたって会えなかったよ。全く僕には縁遠い人なんだな」
「何言ってるの、そのうちゆっくり会えるわよ」
「だと良いけど、冴ちゃんが大王様みたいだねって言ってたよ。でも、今日はお目通りを願って行ったわけだから、それでも会えないなんて大王様より偉いのかもな」
あそこ一つで相当な数の従業員が働いているらしい。ある意味ワクワクするし働くのも楽しみになった。父親の仕事。考えてみれば自覚のないもので始めてそこに関わって大変なんだなとわかる気がした。
「ピアノのレッスンしないと、ずいぶん弾いてないから」
「ピアノやるの?」
「うん演奏のバイトらしいんだ」
「へえ、ピアノ好きだったものね」
「ピアノ好きだったの僕?」
「ええ、よくお父さんに習ってたわ」
そうかあの曲を教えてくれたのは母さんじゃなくて父さん。一つも蘇ってこない思い出には参るけど、父さんとそんなこともしたのかと照れくさかった。
「明日から仕事に行くの?」
「うん、当分は練習。いろいろ見学するよ」
ゆっくり見習いして仕事を覚えて、ピアノじゃなくても何かで一人前に成れれば良いかとのんきに考えて活気よく働いていた人を思い出していた。
まずは母さんの手料理を食べるとしよう。お腹が空いた。美味しいものを食べると身体がシャンとする。もっと頑張ろうという気持ちになる。
「美味しいなこのスープ。体が温まる」
そんなふうに第一日目は終わった。
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