第3話 モテたいという反応

「おはよう!」

「あ、おはよう…」

「なんだか疲れてるわね」

 自転車を押して歩いているだけなのに、何かを見透かされている。

「家に帰ると緊張しちゃうんだ。ずいぶん会ってなかった親父のいるところだろ。でも、朝起きるともういなくて、帰りは遅くてまだ会えてないんだ。会えないから緊張してるのかな」

「まるで、大王様ね。一度きちんとお目通りをお願いすれば」

 冴ちゃんの言い方が可笑しくてちょっと笑った。

「今日からバイトするんだ。親父のところで」

「バイトするの?クラブはしないの」

「クラブ?」

「私はやるわ。高校に通ってクラブするのが夢だったの」

「クラブってなに?」

「部活よ!放課後に運動クラブとか文化クラブとか好きなことに没頭するのよ。あなたはしないの?ホントに予備知識ゼロなのね」

 いちいち冷たく軽蔑される。

「ふ〜ん。クラブかぁ、よくわかんない。イメージわかない。でも、バイトするって先生から許可もらってるし、そっちがメインだから。学校はオマケでいいや」

「学生の間だけなのよ。好きなこと出来るの」

「そんなの良いよ。好きなことって特に無いし。こっち来て仕事するって、決めてたことだし」

 冴ちゃんが上から下まで眺めてニヤッと笑った。

「何?…」

「制服似合ってる。髪の毛も黒に変わったのね」

 マジマジと見られると照れる…

「決断の館から帰って朝起きたら変わってた。クリクリも無くなって自分じゃ無いみたいだった」

「シンは可愛かったから」

「可愛かった…?」

「だっていつまでも可愛くちゃ駄目でしょう」

 複雑な気持ちでそうなんだろうなと思う。僕たち天使の最大の特徴はブロンドの巻き髪。でもあれじゃあこの国には合わない。まるで外国人か外国かぶれしたミュージシャン。ヨーロッパに派遣されるなら、あれはあれで良かったんだろうけど…

「シンこっちの名前は?まだ聞いてなかった」

「テルアキ、阿弥陀田輝明、僕も入試の日に知らされた。良い名前なんだか悪い名前なんだか理解できないよ。ま、でも、こっちの方が驚くから、名前より、僕ピアノが

相当上手いらしいぜ。バイトは賛美歌の生演奏なんだって」

「だってって出来るの?」

「いや、そういうプロフィールだよ。ピアノは好きだけど上手いっていう感じじゃない。それで、しばらく特訓するんだ」

「今日の午後、クラブの説明会があるらしいわ。入らなくても説明会は出席しないと」

「そうなんだ〜」

 冴ちゃんは何故か学校の事を熟知していた。楽しそうに話してる姿から想像するに、学生生活を満喫するつもりでいるらしい。僕にとって学校の授業は消化科目。恐ろしいほど退屈だった。

 クラスの人数が多くてサボっていても大丈夫だろうとつい安心して、気を抜いてしまう。出席番号3番の僕は廊下側の冴えない席で、先生から遠く目が合うこともないから死角になっているはず。

 隣の席の吾川由美は見るからにガリ勉で、ノートの取り方も半端ない。僕は授業の受け方というものに一つも慣れてないことに気付かされて唖然としながらも、そんな傾向は昔からあったなと開き直るしか無かった。

『一年生の皆さんにお知らせです。今年のクラブ説明会をB棟中央ホールで開きます。お昼休みの間に移動を完了させてお待ち下さい』

 冴ちゃんの言っていたクラブ説明会のアナウンスが流れた。

「阿弥陀田君クラブは決めてるの?」

 声をかけてきたのは教室の前の席でいつも複雑なパズルを解いてる朝ケ谷だった。

「君は決めてるの?」

「僕は運動神経ゼロだから文化部。科学部とかパソコン部に入ろうかと思ってる」

 確かに君にはそれが似合ってる気がする。頭良さそうだし、コツコツと研究する事に向いてると思う。

「何かに入っておかないと先生の印象が悪くなって、進学相談の時変なハンデがつくと自分が損だからね。君は?」

「僕は特に考えてないんだ。クラブはしなくても良いかなと思ってる。親父の仕事を手伝うためにバイトの許可ももらってるし…」

「それは良いね。将来安泰だね。お父さん経営者なんだ。それは羨ましい話だよ」

「そう…?」

 朝ケ谷は無表情を返す。ガリ勉のマイペースで先生の評判なんか気にしていない奴かと思っていたら、色々考えてるみたいで驚かされる。

 僕は恵まれているらしい。彼のお父さんも猛烈サラリーマンとやらで、家にほとんどいないのに、サラリーマンだから自分の就職にはなんのメリットもないとぼやいていた。

 バイト先も就職先も決まっているみたいに思われた僕は、この先朝ケ谷から友達扱いしてもらえるのだろうか…

 そんな話をしているうちにクラブ説明会は始まった。クラブをするつもりのなかった僕は積極的に見ようなどと思っていなかったが、代わる代わる壇上に上がる、いわゆる先輩たちのパフォーマンスはそれなりに面白かった。

 軽音楽部の賑やかしいパフォーマンスが終わると壇上に畳のような壁が設置され一人の男子生徒が現れた。すると一瞬シーンとなり、その後会場が、ちょうど森の中で空砲を撃った時のざわめきのような大騒ぎが起こって僕は息を呑んだ。

「何あれ?」

 隣に冴ちゃんが寄って来て耳打ちした。

「三年の立花先輩」

「何のクラブ?」

「驚くこと無かれ弓道部。和弓よ」

「和弓…なにそれ」

「日本式のアーチェリーよ」

「日本式のアーチェリー?」

 僕は弓を引く真似をした。

「そうそうわたし達も形だけやったわよね」

「それでこの騒ぎ?」

「立花先輩の親衛隊らしいわ」

「しんえいたい?」

「先輩が大好きでどこにも出動するファンの群れらしいよ。私もクラスの友達に聞いたんだけど」

「ファンであんなに会場が揺れるほど騒ぐの?」

「驚いた?平和な天使の国にはない現象ね。人間界にはああいう、なんて言うか心の高揚というか、気持ちの高ぶりというか、そういう事があるみたいね」

「こういうのが高じて結婚に繋がるの?」

「さあ、それはどうかな。よくわかんないな〜」

 まだ、人間界に来て間もない僕たちにはわからないことが多かった。でも、登場するだけであんな騒ぎになるなんて、なんかドキドキして…その後、渾身の力を込めて弓を引くと、

「あ、あれ、あんなに引けるもんなんだ…」

 その後に会場は静まり返り、的を射抜くズサッという音が響くと、その所作の美しさに、自分の胸まで射抜かれた気分になった。

「凄い、凄すぎる」

 得体の知れない感動が下腹からグワッと湧いてきて、クラブなんて何一つ興味の無かった僕なのに『弓道部』という文字が胸の中に刻まれてしまった。

「僕、弓道部に入部しようかな…」

 思わず言葉が漏れる。

「なんで…」

「大学に入る時クラブやってると有利らしいよ。と、朝ケ谷が言ってた」

「まさか、そんな事でクラブやったりしないでしょう、あなたが」

「バレた?」

「じゃなんで」

 もてたいなんて口が裂けても言えない。

「あれは使える。鍛えて命中率上げる」

「真面目に言ってるの?今時天使の矢で恋が成就するって話無いって、講義のついでに習ったじゃない」

 呆れる冴ちゃんの顔が僕を疑っている。

 あの立花って奴が格好良いのか、弓道が格好良いのか、判断はつき兼ねたけど、とにかくあの時の会場のどよめきは、今まで一度も味わったことのない痺れるような感覚だった。あの感覚をもう一度確かめたくて、僕は授業が終わったら道場へ行ってみようと思っていた。


「あの、弓道場って何処にあるんですか?」

 裏庭に出ると庭木の手入れをしている親父さんが一休みして水筒からなにか飲んでいた。コップを持つ手を止めてギロッと睨んだ親父さんは、

「弓道部?はて、そんなものあったかな。この先に古い体育館はあるけど、あれかな」

 と、顔つきとはまったく違ったとぼけた感じで答えた。

「ありがとうございます。行ってみます」

 高校というところは思ったより敷地が広くて迷路のようだ。この学校は普通科と工業科が合併しているから、入学案内で行かなかった専門棟があちこちに黒々と横たわっている。その建物の森を抜けて行き止まりを右に曲がると古い体育館らしきものに行き当たった。

「これか…」

 物事に反応して動くことなんてしない自分が、珍しく突き動かされて出掛けた来たこの衝動がいかなるものか判明出来る訳もなく、その立花先輩にもう一度会うまでは家に帰る気になれないことに困惑していた。

『ギー』さすがに古い体育館は扉も錆びついている。こういう空気がいちばん苦手なのも忘れて辺りを見渡す。中は期待に外れて無人だった。なんだ…気が抜ける。

 思い返してみれば、今日は朝から余所行きの顔をしていた。長い時間もう一人の自分を演じ、一人になったと思った途端に心の緊張が抜けて息を吐いた。

 あの決断の館で自分のこれからを決めたとしても、男になり、見た目も変わってこの世界に適応した気になったとしても、天使であることには変わりが無く、この姿も名前も借り物なんだと時折思い返す時があった。

「僕はいったい何をやっているんだろうな…」

 深いため息をつく…キョロキョロと体育館の中を見渡すと、あの時壇上で見た畳が立て掛けられていた。その横に練習用の弓が無造作に置かれていた。片付けもしないで運び込んでそのまま放ったらかしたように…

 弓に手を伸ばそうと腰を屈めると体中がドキドキと脈打った。

 ひょっとすると…立花ではなくこの弓に心が惹かれたんだろうか、天使の端くれとして…

 想像を巡らすだけで背中が疼いて今にもこの体が金髪の翼の生えた天使に戻ってしまいそうで訳がわからなくなった。

「君…来てくれたんだ。僕のことそうとう熱い目で見てくれてたから、ひょっとして入部してくれるかなって期待してたんだけど」

「あ…」

 人がいた。僕は手に取ろうとした弓が怖くなって手を引っ込めた。

「君…君?」

 僕はかなり挙動不審に、全速力でその場を離れ、来た道を迷いながら戻った。

「ヤバイ、ヤバイ、なにかおかしくなりそうで焦った〜」

 もっと単純に心が動いただけど思ったのに、何か妙に複雑な気持ちが湧いてきて自分を見失いそうになった。もてたいなんて短絡的な、不純な気持ちが気に入っていたのに…何だか違うものが出てきそうでうろたえた。

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