第2話 決断の館

 そのエントランスは信じられないくらい古風な感じで、この天使の国がどれ程の時を過ごしてきたのかと想像もつかず感動さえ覚える。

 テカテカと黒光りする床、暗くて白なのか灰色なのかはっきりしない壁、高いドーム型の屋根に丁寧に描かれた光の降り注ぐステンドグラス。正面の壁には歴代の天使の写真がかかっていた。

「おお、卒業生の写真だって。知ってる人いる」

「どれどれ相当古い写真だ」

「皆んな子供だよね。誰か面影ある?」

「若いな〜これ、ラズベリー園のパイオさんじゃない?」

「まさか…」

「あ!トプカさん?」

「まさか…」

 確信がないのは時代が流れ過ぎて風貌が変わっているから、だいたい第一回卒業生って何年前って話で、それは凄い昔のお伽噺の世界。過去なんて言ってる場合じゃない。その人が普通にラズベリー園や鳩舎で生きていそうなのが天使の国なんだった。

 皆んな楽しそうに『決断の館』にいることも忘れて写真を見ながらはしゃいでいる。と、奥から音も立てずに三つ揃えにネクタイの正装をした男の人が現れた。

 正装…たしかにそれも似合うこの場所…それは卒業する僕たちに敬意を評してだろうかと、5人は思った。

「おはようございます。私はこの館の案内役でございます。多分、今後君たちに会う機会は二度と無いと思いますので自己紹介は省略させていただきます」

「え?」

「なんて?」

 何を言ったのか直ぐに反応できなくて戸惑った。

「いや、もう会わないって、なんで?自己紹介いくらいしても良いんじゃ」

「あ、いや、ご遠慮させていただきます。さ、並んでいるこの扉から5人別々にお入り下さい」

「5人別々って、ここからは一人なの…」

 皆んなの顔が強張った。あの高い塔から飛べたのだって5人いたから…この決断の館でなにかしようって時に一人になれってそれは酷だと思う。

「え?しかし、決断というものはそれぞれ一人でしないと…」

「相談したいかも」

 そう言って覗き込んでも自己紹介もしない堅物のストレンジャーは返事もしない。

「私は恨まれるのには慣れていますので、さ、お一人ずつ扉の前に立って、さ、お入り下さい」

 それしか言わない。この関門は厳しい。

 でも、そもそも卒業の為の儀式なんだから心配することはない。あの『天使の矢』を射る講義だって単位を取るための疑似体験みたいなものだった。それぞれ通過しないといけない儀礼なんだからさっさとやってしまおう。

 扉に手をかけた。心臓がトクトクした。

 ギーッといかにもな年代物の音を出す分厚い扉を押すと、中には大きな机の向こうに仙人みたいなひげもじゃのおじいさんが座っていた。

「さ、そこへ」

落ち着いた低い声で、小さな丸椅子に腰掛けるよう促した。

「あ、はい」

「決断の館へようこそ。ここはどんなところだと、予備知識はあるかね」

「いえ、何も。何も考えてこなかったんで、何もわかりません。あ、でも何を決断するんだろう…くらい?は考えたかも…」

「そう、じゃまずは君の希望を聞くためにいろいろ質問をします。率直に答えていただけるとありがたい。重要なことを決めるのでなるべく正直に、本心を…。では、始めようか」

 質問は、自分の今後の身の振り方が主なテーマだった。どんな仕事がしたいだとか、何に興味があるかとか、父親の仕事を知っているかとか。

「父親の仕事は、結婚式場をやっていると聞いています。最近新しいセレモニーホールを作ったとか、見たことは無いので母からの話ですけど」

「その仕事に興味はありますか」

「さあ、仕事の内容まではわからないので、ずっと単身赴任で帰って来ないから、もう少し家にいられる仕事なら良いのにと思ったりはします。けど…」

「帰って来ない?それはおかしいな。帰ろうと思えば帰れるはずなんじゃが、ん…」

「そうなんですか」

「では、いつも家には母親と二人?」

「はい、気楽なもんです。あと下にもう一人…」

「父親の仕事を手伝っても良いと思いますか?」

「結婚式場をですか?」

「さよう、やりたいことが無いのならそれもどうかと」

「はあ」

 ここは、『決断の館』とは?就職斡旋所のようなもの、なんだろうか?天使の国を出るに当たって今後の身の振り方を決定する。天井を仰いで自分の今いる場所を確認した。染みがある。魚のような、松ぼっくりのような形をしている。

「コホン、最後に、これがいちばん重要なんじゃが…お前たちにはまだ性がない。まあ、突然性と言われても自覚も実感も無いだろうから、どちらかを選ぶのは相当困難だろうな。

 因みに天使には、年齢も便宜上あるだけで本当は存在しない。人間界に赴く前に自分の性を決定し、どの年齢から始めるかそれも決めなければならない。

「は?性?」

「母親は女で父親は男という性を持つ。この『決断の館』を通過する前の天使はどちらでもない。天使は生まれて一人前になった後、自分で性を決定する」

「それは何を根拠に決めれば良いんですか?」

 のんきな声で、今日の夕飯を決めるみたいに聞いた。

「ま、良い質問じゃな。複雑に考えるばかりが決断ではない。これまでの話を聞いて自分で決断出来ない?となると、では、こっちで決めるか?」

「いや〜判断基準を教えていただければ自分でも決められるかなと、思ったりもするんですけど…」

 よくわからない。時間稼ぎみたいに返事をしてみても、言われていることが飲み込めない。決めるということに若干の焦りはあるけれど、何をどうしろと言われているのか…わからない。

「方法は色々ある。性格から鑑みてどちらに向いているか。考え方の一助として、ここに出されておる成績による分析結果に従うか、母親になりたいとか父親になりたいとか何か一つでも根拠があればそれに従うという方法もある。

 思う気持ちがどちらが強いか、とか、ま…漠然としているけれど、焦らなくても時間をかけて決めれば良い。しかし、もう一度確認するが、これは判断ではなく決断。ま、決定するということが重要だな」

「決まるまで此処で暮らすんですか?」

「暮らす?ううむ、自分ひとりで決める決まりなのでこの部屋からは出られない」

「え〜軟禁状態。それは…」

 焦りより、理解しがたいものへの不安だろうか…それと決まるまで此処に居なくてはならないという閉塞感。そういうものが全部総動員して逃げ出したい気持ちにさせた。

「あ〜どうしよう」

 考える糸口も無いものと向き合うのは非常に苦しい。何度も自分の中で反復して考える。考えないとと挑戦する。

「でも、そもそも性って??」

 冷静に考えれば考えるほどわからないことだらけだった。

「どっちでも良い」

 最終的にそこに落ち着く。

「なんで決めないといけないんですか?」

「今しか決めるときがないからだな。頃合いを見計らってやるべきことはやっておかないと機会を逃す。今が一番ゆっくり物事を考えられる時じゃからだよ」

「いや、なぜ今決めるのかでなはく、何故決めなくちゃいけないかです」

 じいさんは不思議そうに顔を見つめた後、成績表に目を落としてしばらく項目を指で追いながら考え込んでいた。

「性教育の授業をサボったか、それとも余程のトンチンカンか…」

「性教育?」

「この件について考えたりする時間は十分にあったはずなのにそこに到達していない。チェック不良というやつか…

 先にプロフィールを作ろう。こっちからならアプローチしやすいかな」

「プロフィール?」

 それは履歴書のようなそれよりもう少し詳しい個人情報満載の自分説明書だった。

名前…シフォン

性別…?

年齢…?

得意な科目…数学(緻密な計算による分析力に定評がある)抜群の記憶力と洞察力で大抵の事は一度で覚える。

性格……長所…器用(なんでも平均点以上にこなす、欲がなく自分を評価されるのも好きではない)裏表がなく誰に対しても正直であろうとするあまりハッキリものを言い過ぎる。

短所…性急(集中力は人一倍あるが、そのせいか遠回りをしたり時間をかけるのが嫌い)誰に対しても上手くやれそうに見えて、人一倍警戒心が強い。興味のないことはまるで意識が働かない偏屈なところがある。

「え、それ誰が書いたんですか?」

「インストラクターによるものと推察する」

 マイオさんが書いたのかな?見てないようでちゃんと見てるんだな。秘密主義だから…本当のところはわからないように隠してたのに…

「次は…」

 父親に対する所見…子供の頃は好きだった。最近はあまり会ってないのでわからない。

「う〜んサッパリした所見だな。父親に関心がないということでは無いだろうけれど…この辺りに判断を拒む原因がありそうかな、子供の頃のことを少し思い出してみようか、どんな子供だった?」

「子供の頃…泣き虫でした。いつも不安で、苦手なものが多かったから」

「苦手なもの?」

「はい、虫とか、お化けとか、暗闇とか、草むらとか、高いところとか、ベタベタしたものとか、黒いもの、稲妻…」

「嫌いなものが偏ってるというか、食べ物とかが出てこないところが君らしいというか、今はどうです」

「今?」

「そういった苦手なものが今もまだ引き続き苦手ですか?」

「今…はい、今でもお化けは嫌いです」

「お化けですか、天使がお化けが嫌いとはね。君の思考はわりと人間というか、天使らしからぬというか、人と近いところで働いている父上の影響か?話を変えよう、お父さんはそんなに家に居なかったの?」

「多分、子供の頃は居たと思うんです。遊んでもらった記憶もあるし、滑り台とか、鳩小屋とか作ってもらったものがいっぱいあるから、でも、いつからかな〜仕事が忙しくて家に居なくなったのかな」

「まあ君のお父さんは天使の仕事としては最前線で働いているからね。忙しいのかも知れない」

「はあ〜」

 此処にいる意味を見失いそうなほどリラックスしてじいさんと話し込み、外はいつしか真っ暗になった。

「あの、この部屋に来た最初の頃の話の中で、成績の分析で出された結果というのがあったと聞いたんですけど、参考までにその結果ではどっちだったんでしょうか?」

「ん、男だな。君の思考は全てにおいて男性側に針が振れている。まあ、こうして話をしていても私もそっちのほうが良いような気はする。

 しかし、あくまでこの決断は本人の意志に委ねられることになっている。一生で一度選ぶことの出来る重要な決断だから間違いがあってはつまらない。取り返しがつかないという事はこの際、100%あってはならない。

 もう一つ参考までに、これまで話してきたことを踏まえて、君が今回の5人をどちらかに分けるとしたらどうだろう?誰がどっちと分けることがふさわしいだろうか、どうかな」

 そう促されて四人の顔を思い浮かべた。ユフ、サカ、マヤ、タナその四人を…直感で分けるとしたら、ユフとサカが女。マヤとタナが男だろうか。そう頭に浮かべるとそれを見透かしたかのように、

「では、何故そう考えたか、その根拠を自分に説明してみてはどうかな」

 とにやりと笑う。

 一瞬の空気の歪み、どうにもお手揚げのこの状態の中であれこれ考えこんでみても、直感としか言いようがなくて、特に根拠はないことに気づく。

「そうだろうな性の本質を知らない者にこの選択は難しい。ただ君が考える何らかの根拠はあるわけで、ただ闇雲に分けたのではないことは確かだろう。もう少し考えてみるか、私は席を外すことにしよう」

 そう言ってじいさんはその部屋を出て行った。

 一人残った部屋の中で色々考えてみる。人は生まれる時すでに性が決まっているらしい。自分で決められないものをそのまま受け入れて生きていく。それは幸運なことなのか、理不尽なことなのか?

 こうやって自分で性を選ぶということに何か意味があるんだろうか。

『君の思考は全てにおいて男性側に針が振れている』

 それは決定的な考察に思える。あのじいさんもそう言った。でも、自分で選ぶことが出来るこの状況は、どちらでも出来るという証であり、選択すればそれは実現可能なことだと約束されている。

 そこに選べない理由がある。どっちも出来る可能性を片方潰す選択なのだ。いや決断なのだ。そう決断。そこもポイント高そうなことをじいさんは言っていた。

 そこまで考えると考えることが無意味な気がしてきた。思考が滞って疲れてきた。

 どさくさにまぎれて決めてしまうことが不安でもあるが、決めるということはどちらかでやるということを割り切ることなんだと思えば、ブレないでそっちをやる。それだけのことなのかも知れない。

「よし、分析に従おう。男にします」

 と、決断した。

「ではそうしよう」

 知らぬ間に現れたじいさんの低い落ち着いた声にさらに心が決まった。

「はい」

「父親との時間が持てると良いと思うので、仕事はさっき言ったように父親の手伝いをするってのが良いと思うがどうかな、君が大人になれば理解できることもあると期待して、ゆっくり親子をしてください。

 歳は15歳。学校に行きながらもう少し学ぶと良い。まだまだ未熟だと君自身が感じているらしいので…」

 最後は躊躇する余裕も無いくらいあっさりと僕の人となりが決まった。

 大きなため息をついて目線より高い窓越しに外を眺めると、日はトップリと暮れていた。

「もう少し詳しい案内は後で送るとして、楽しみだね、これから新しい世界が開けるよ。では…」

 じいさんが扉の向こうに消えようとしている。

「あの、ありがとうございました。また、いや、いいんです」

「その扉を開けて、真っ直ぐ歩くと森の外に出ますよ」

「あ、解りました」

 そう言い終えて背中を向けたじいさんは煙が消えるように扉の向こうの人となった。今まで一つも聞こえなかった振り子の音が部屋の中にカチカチと響いて、すでに10時近くなっていたことを教える。12時間此処に居たことになる。

 早く此処から立ち去れと催促しているように聞こえた。

 余韻にひたる間もなくそそくさと立ち上がり指定された扉を開けると、長い廊下が何処までも何処までも続いていた。

『此処を出て歩くのか』靴が乾いた音を立てて響き、交互に出る自分の足が新しい時間を刻み始めた気がした。

 トンネルを抜け後ろを振り向くと、もうそこに決断の館は無かった。


「でもビックリしたよ。隣の冴ちゃんを振り向きながら僕は本当に驚いていた。

 決断の館を出てから冴ちゃんに会ったのは、意外にも時間がかかって、それは人間界に来てからだった。

 初対面、高校入試の合格発表の日。名前の張り出されたボードの前を横切る冴ちゃんの放つ、何だか懐かしいオーラに目が釘付けになって僕は動けなくなっていた。そして、無意識のうちに尋ねていた。

「君って前にどっかで会ったことあるかなあ?」

「さあ…」

「君は僕のこと気にならない。何だかわからないけどドキドキするんだ」

「もう、何こんなところで道草食ってるの?さ、行くわよ」

「ええ、あ、おばさん?」

「何こんなところでおばさんて」

「まさか、お前タナじゃないよな…まさか女」

「そういうあんたは、シン?」

 それは僕が絶対男を選ぶとあのじいさんの前で言ったタナだった。今なら多少理解できる表現で言えば男勝りな大親友で、何をするにも一緒にいると楽しくて、その盛り上がり方といい、取り組み方といい、申し分ない相手だった。そのタナが…

「なんで、なんで女になったの?それ相当悩んで決めたんだろうね」

「ううん、私は最初から決めてたの。上二人いるけど二人共男で、一人くらい女が居たほうが母さんが楽しみかなと思って即決」

「上が兄二人って…お前兄って、上が兄二人って感覚があったわけか?」

 …僕は下にもう一人いるけど、あいつはまだ未熟な天使で、そうかあいつもいつか男か女になるわけだ。そう思うと鳥肌が立った。

 こういう問題は、口に出さない僕にはわかりにくいことで、知っていることと知らないことの境目はいつも曖昧なまま進んでいく。

「シンは男を選ぶと思っていたわ。もともときっぱりした性格だし、細々したことが嫌いでしょ。ま、2つ並べて選ぶとしたら男よね」

 僕だってお前が男を選ぶと思っていた。と言おうとしてやめた。何だか未練がましい気がしたし、女となってしまった冴ちゃんを否定するみたいで遠慮した。


 こうやって隣りにいる冴ちゃんが男だったら、僕はこんなに気を使ったり、ドキドキしただろうか。

 僕はこれから起きるいろんなことを想像できもしないのに、色んな事が起こることだけは予測できて不安になった。

 そして、あの時の三人に又何処かで出会えることを、そんな時が来ることを、不安ながらとても楽しみにしていた。

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