エンジェルハウス

@wakumo

第1話 新しい生活

「都会の真ん中によくこんな物造ったよね」

「忽然と現れたわけじゃなくて、大き過ぎて買い手の付かなかった、切り売りになる寸前の土地をまず買って、その後、時間をかけて整備したらしいよ。もともとは廃虚に近い遊園地だったんだって」

「へ〜それでこんなに緑の多い空間なんだ」

 …僕ら天使はかなり強引な力を持っている。この広大な敷地に、絵を描いたようなお城や見事な庭園を一夜にして作り出すことも現実には可能なことで、案外簡単にそうしてしまいがちな強引な力の使い方をしてしまうことも出来るのに、最近は丁寧にその町に溶け込むための準備をして今に至る。

 それは、どんな凄い施設を作っても心がついていかないことに嘆くケースが増えているからで、最近は人に紛れて生きることで人をよく理解し、その上で天使の本分を全うしようと考える物が出始めている。

 それがどういう事か理解できない僕らだったが、こうして眺める景色の美しさは格別で、理解じゃなく此処に来て最初に感じた天使の力だった。


 僕は眼下に広がるこの巨大な結婚式場を経営する、阿弥陀田朴全の長男としてこの町に登場する。世を忍ぶ仮の姿だとしても、天使のくせに阿弥陀田とは、安直だ。ほんとにそれで良いのかと頭を傾げる。

 当然、天使だから悪い事をするはずがない設定。でも、結婚式場って…ベタだなと思う辺り、僕は天使の自覚が足りないのかも知れない。

 隣に腰掛けて話す天使は、人間界に降りるための最終関門を一緒に越えた同期の冴ちゃん。僕は冴ちゃんの少し朱鷺色がかった翼がとても気に入っている。

 僕のただただ白い翼と違ってほんのりあったかい感じが、こうやって並んで腰かけていると伝わってくるような気がするんだ。

 きっと人間界で言うところの…恋に似ている。そう思う時の自分がくすぐったくて、その瞬間の幸せなこと…これがきっと恋の本質。と、確かめたこともない感情を淡い思いで胸に抱いて大事にしている。

 天使だから恋くらいはわからないと駄目だなと考えているのもあるけれど、こうして人としてこの世界にいるからには、恋の一つもしてみたいと憧れのように思っている。

 この町で学校に通いながら父さんの仕事の手伝いもして、天使の役割も果たす。三足のワラジを履いた僕は、適度に忙しくて毎日が充実していた。


 でも…まず、最初の話は此処ではなく僕らの本拠地とでもいうか、それはそれはのどかな、天使の国から始まる。僕が僕でなかった頃。穢れを知らない純真だった頃のお話。僕たちはこうやって一人前の天使としてのスタートを切ったんだ…


「天使は大人にならないの?」

 それはごく素朴な疑問で、子供の頃、何度と無く母さんに尋ねた。その度に母さんは、当然のことのように、

「大人になったらわかるわ」

 と、諭すので、その言葉から察して、いつかは大人になるんだなと、ぼんやり思ったことだった。

 親という見本が身近にありながら、何故大人になる確信が持てないのか、大人と自分を隔てていると感じる何かの存在。それは漠然と胸に広がる不安で、その不安は母さんからの気休めで頭から追い払うことは出来なかった。

 他の友達も皆んな感じてるのかも知れない。でも、聞かない。それは癖だ。なんでもすぐに聞けてしまう皆んなと違ってちっとも素直じゃない。…不確かな不安ほど解消出来ないんものはないのに…折に触れて何度も何度も沸き起こる小さな疑問。その度にその疑問を飲み込みながらこの歳になった。


「この練習が役に立つ日が本当に来るんですか?もう少し命中率の高い、コンパクトなものにしないと失敗が怖くて仕事になんない」

 そう愚痴りながら思い切り力を込めて弓を引く。手がブルブル震えて狙いが定まらない。これと言って鍛えたこともない腕には筋肉というものが全然なくて、この弓をひく為にからだを鍛えるって図が全くもって想像出来ない。

「え〜これは精神的な学習です。多分、今時弓矢で人の心に愛を植え付けるなんてナンセンスだと思う。本当は実際に人間社会で活躍している天使を講師にでも招いて、より現実に近い講義をして欲しいところなんだけど、皆んな忙しくてね。

 でも、これ必須科目なんで、やらないと最終関門にトライできいから。

「最終関門…」

 そう、その時が近づいていた。


 このところの社会事情はきっと皆さんのほうがよくご存知のことだろう。人と人の関係が希薄になって出会いも関わりも少なく、その上女性の社会進出は目覚ましく、結婚を望む声は日増しに小さくなっている。

 結婚は望まないが子供は欲しい。そんな究極の要求もあるらしいが、聖書的な考えが基本となる天使世界では、まずは結婚しないとその先は無いことになっている。

 愛に走る情熱を持ち合わせない世代。お互いを同等と思って育った世代に、友達になることの方がより近しいし自然だし…

 こういう問題は、天使の怠惰ではなくシステムの問題で、天使には男と女を闇雲にくっつける権限がないから…天使の矢は天使の思いではなく、どちらか片方の恋する思いがエネルギーになって形となり飛ばすことが出来る。

 言わば僕たちは発射装置を持っているだけで、恋は自らしていただかないと商売上がったりなのだ。

 天使会議ではそこの改善について常に議論になっている。

「思いを育てる小さな種を矢に込めて、それを子供に頃に放って気持ちを育てることは出来ないか」

『それは多分無謀な話だ』相手あっての恋なのだから…

 人間界の複雑な心の問題にまで踏み込もうとするのはどうかと思う。

 しかし、最近の傾向としてそんなおせっかいな役目まで背負い込まないと恋を成就するのは危機的状況で、その研究のために人間界にあらゆる出先機関を作って、可能性を探るため奮闘している。


「単位は落とさないように一つ一つ取っていかないとね。この科目だけは私自身疑問を感じている。でも、伝統的なものだから」

「やった方が良い?」

「やらなきゃ駄目」

「はい!」

 皆んな純真だから真剣に練習する。その生真面目さに欠けるからみんなに比べてサボってるように思われる。なのに、反射神経は抜群だから即座に対応出来る。それでたいていのものは合格点をもらって乗り切ることが出来た。それが、僕の唯一の自慢…だった。


 子供の頃から一緒に遊んだ仲間たちが、それぞれ独立の時を迎えて『決断の館』へ行く。自分にもそろそろその時が迫っている。そのせいなのかなんなのか時折これが本性かと思える自分が顔を覗かせる。

 一人になりたい。ナーバスになっていた。

『決断の館』で何を決めてどうなるのか想像もできないけど、あの館に行って帰ってくる者には理解を超えた変化がある気がする。

 不安そうにその話をすると我が家の大人は皆んな笑って、

「大丈夫、心配することないわ」

 と、言う。結局子供は何も心配しなくて良いと言うスタンス。

 天使の国はいつも穏やかな時が流れている。苦労知らずで育った子供たちは喧嘩も知らず、争うこともなく仲間意識が強い。


 昨日の翼を羽ばたかせる授業は思っていたより大変だった。

 背中の羽根は封印されている。ちゃんと一般常識を詰め込んで、ある程度成熟したとみなされた天使にしか使えないことになっている。

 人間は中身が中途半端でも一人前として扱われたり、大人の実力もないのに社会に放り出されたりするらしいが、天使の世界ではそんな理不尽なことはしない。

一人前と判断されないとその力は封印され、自分勝手に使うことは出来ないのだった。この掟に関して例外はない。厳しい面接や学力審査が行われ試される。

 少々おっちょこちょいでもかまわない。面倒くさがりでも大目に見てくれる。そこは、人間性でなく天使性を問われるわけだから判断基準が違う。決定的なことは、その根底に愛がなくてはならない。愛のない天使というものを未だかって見たことがないので、愛を持たない天使はこの世にいないのだろう…

 

 森の中にある学校。その中心にある火の見櫓のような高い塔に登って下を見下ろす。まだ飛ぶという力が備わってないから当然その高さに足がすくむ。もちろん、平気なものもいるし、下なんか見ることも出来ずに震え上がるものもいる。それは個々の性格と度胸による。

 その上に立ち皆んなで手を繋いで目を閉じる。怖くてもそういうもんだと説明されるから皆んな呼び合うように手を差し出す。そこから先は自信のあるものに巻き込まれるように深呼吸して『せーの』で飛び出す。

 この日一緒に飛んだのは5人。背中の翼がゆっくりと羽ばたいて飛行する。必ず飛べる。100%飛べる。そう言われてきたんだから疑う余地はない。

 紙飛行機のように森の上を旋回し、やがて本能に導かれて封印が解け、翼が羽ばたきを始める。それは天使に与えられた全てを超越するための能力開花の瞬間で、飛ぶ力は今まで学んだ全ての事柄への確信に繋がると教えられている。

「天使は背中の翼を使いこなせるようになると人間界に赴き天使としての働きを全うしなければならない」 

 その言葉が頭の中でグルグル回る。そう、この巣立ちとともに学生生活は終わる。


 2,3歩前のめりになってバランスを崩しながらなんとか無事着陸。ユフがその向こうで尻餅をつき、サカは羽を気にし過ぎて顔から着地。マヤは一旦上空でホバーリングし、ゆっくりスピードを落としているのに、慎重な性格だから恐る恐る足を着く、そしてタナが最後に体操選手のようにポーズを決めてストンと舞い降りた。

 その後5人で大笑いしてお互いの健闘をたたえた。皆んな良い顔をしている。

「これが最後の授業なのね」

「そうなの?まだわからないこといっぱいあるのに」

「でも、先生が言ってた。後は自分でやれって」

「……」

「何?」

「決断の館」

 その棟からいくらも離れていない森の中にその館の姿がはっきり見える。翼を使いこねせるようになった天使を待っているんだ。

「ついに、あそこに行く日がやって来たってこと」

「そういう事。ついに一人前になる」

「ワクワクしてる」

「ううん、ちょっと不安…」

「ほんと?一緒だ」

「なんだ、そう…」

「なかなか良かった。ユフ怖かった?」

「瞬間的にね。足離すの絶対嫌って思った。でも、皆んないたから」

「ね、絶対大丈夫って、今まで飛べなかったのいないから。1人も、100%って凄いから」

 天使にもいろんな性格がある。向こう見ずな奴もいれば、慎重なやつもいる。ユフは怖がりだから塔から飛び出せるか自分のことより心配した。

 怖がりって言うより物事に否定的。たいていのやつはどんなことにも積極的だし、自然になんでも受け入れる。でも、ユフはそれが苦手だからなんでも躊躇して一見厄介な感じがする。でも、皆んなの中で一番繊細に感じる。そんなユフが今日皆んなと一緒に飛べたことは本当に良かったと思う。

 始めての飛行は飛ぶのを味わうなんてことはなくて、必死で、とにかくやり終えた安堵感だけだった。振り返るとかなり高い塔が聳える。あそこから…飛んだんだ。

 そして…『決断の館』への新しい目標が俄然現実として目の前に出現。そっちのプレッシャーが大きく膨らんだ。

「よし、これで僕の生徒は全員あそこへ行く資格を得たってことだな。卒業とは少々寂しくもある。しかし、そんな事は言ってられないのだ」

 皆んな我に返るとその瞬間の興奮を思い出してトレーナーのマイオさんに走り寄った。天使歴15年、まだまだ若い顔の天使だけど、それぞれ自信が漲っていた。

「記念写真を撮ろう。皆んなこっち見て」

 マイオさんが誇らしげにシャッターを押した。


「明日、決断の館に行くことになったから」

 と、話すと、母さんは、

「いよいよね」

 と、ワクワクした顔でニコっと笑った。

「なに?」

「あなたの疑問が解ける時が来たなと思って」

「疑問?」

 どんな疑問を持っていたのかもすっかり忘れてしまうほど明日の期待に興奮して、心配とか不安とか一つも感じることはなかった。


 朝、いつものように目が覚め、鳩舎に登った。鳩舎には50羽の鳩がいる。小学校に入った時から世話をしてきた。鳩を放った高台からの眺めが最高で、視界に入る鳩を感じながら街を見下ろす。

 その時間がとても好きだった。

 朝焼けの中を何度もうねりながら現れて、だんだん遠ざかっていく景色が、今日はやけに鮮やかに写った。『決断の館』に行くことが覚悟の要ることなのかそうでもないことなのか想像もつかないけれど、いつもとは違う気持ちで鳩舎の階段を降りた。

 下で餌の配合をしていたトプカさんが「いよいよ行くんだな」と声をかけてくれた。日頃ほとんど口を利かないトプカさんからそう言われて、

『え?』っと意外な顔をしてしまった。

 トプカさんが声をかけてくれるなんてやっぱり特別なことなんだなって思った。

「は、はい。行ってきます」

 弾かれたようにそう答えるととても見が引き締まった気がした。


『決断の館』

 それは入り口の門の上、見上げた先にデデーンと掲げられていた。

「仰々しいな」

「この文字を見るだけで何か決断を迫られる感じ」

「何をどう決断するって言うのかな」

「すぐに帰れる?此処に何日もいるのかな。そう簡単に何かを決められる」

「何日もって大げさに感じるだけよ」

「皆んな通る道なんだからなんとかなるって」

 もう一度タナが言った。

『決断の館』が此処にあるってここ最近イメージの中ではあったけど、一度も近寄らなかった。今日始めて此処に立つ。ここに来ないと浮かんでこない疑問が次から次から湧いてきた。

 この扉を5人で明けるように昨日マイオさんから言われた。全員集まったら入って良いからって。そう言われたけど皆んな二の足を踏んですぐに踏ん切りを付けられなかった。

「行く?」

「そうだよね。悩んでも仕方がない」

「そんなに心配しなくても大丈夫。皆んなそう言うしさ」

 そう思わないとやってられない。

「日が暮れたら困るしね」

「では、開けます」

 最後は日頃出しゃばらないマヤが落ち着いて扉を押した。

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