第32話 犯人《後》⑥
「あれぇ、誰かと思ったら…この人、組長の家の人じゃん。何でここに居るの?」
「!?」
「すごーい、愛美!よくすぐに気付いたね!」
「えっ?ゆめだって知ってるじゃん」
「うん。でも最初全然気づかなくて、不審者だと思って警備員さんに報告しちゃった」
「えっ!?報告したのっ!?」
「うん。守衛さんと一緒に」
「だってすっごい速さで走ってるから、誰か分からなかったんだもん」と言うゆめに、愛美の頭の中はクエスチョンマークだらけになる。
警備員?守衛さん?全力疾走?一体、この短時間の間に何があったのだろう。
睫毛をパチパチと瞬く愛美に、凜々花は戸惑いながら尋ねる。
「なっ、何で愛美もゆめも、康の事知ってるの?」
珍しく大きな動揺を見せる凜々花に、愛美は当たり前のように「知ってるよぉ」と言う。
「だって朝も帰りも、組長の後ず―――っとつけて歩いてるんだもん…。この格好だからめっちゃ目立ってるし…知らない人の方が少ないよ。ねぇ?ゆめ」
「うんうん。しかもさぁ、一年の時、組長のストーカーなんじゃないか説あったよね!」
「んだ~~~!!あったあったぁ!」
「で、組長を尾行する康さんを尾行したんだよね!愛美と沙羅とゆめの三人で」
「した~~~!!」
「ス…ストーカー…」
キャッキャする二人とは反対に、ショックを受けた康は顔を引き攣らせる。
凜々花を一人で歩かせるのが心配だったので、良かれと思って護衛していたのだが…まさか、ストーカーだと疑われていただなんて。
ズーン…と肩を落とす康をよそに、二人は楽しそうに語り合う。
「組長が家に入った後に、康さん?も一緒に入っていったから、ゆめが『やばい!組長が襲われる!警察に電話する!?』ってめっちゃテンパってさぁ~」
「いやぁ、あれはビビるでしょ~!でもさぁ、その後すぐに二人で並んで家から出てきたんだよね。だから、ひょっとしてお兄さんなのかな~?って思ったんだけど、組長からお兄さんがいるなんて一言も聞いた事ないから、『もしかして、舎弟なんじゃない?』『ありえる~!』って三人で盛り上がったんだよね」
ミニコントのように当時の慌てぶりを再現しながら、ゆめと愛美は盛り上がる。
「んだんだ~!…でも組長は組長だしねっ。もしそういう家柄だとしても、関係ないよね~って三人で話してね」
「ね~っ。あっ、でも組長、ゆめ達が思ってる以上にゴリゴリのヤクザの家だったみたいだよ」
「えっ!?そうなの!?」
ギョッと目を丸くする愛美。電池が切れたロボットのように固まってしまった愛美を、凜々花は息を呑みながら見つめる。しかし、
「やっぱり私達の勘当たってたんだねぇ!やば~~い!組長、凄いじゃん!本当に未来の組長なんじゃ~ん!」
と、両手を叩いて爆笑する姿を見て、凜々花の肩からストンと力が抜けた。
てっきり、ヤクザの子だと知られたら、絶対に嫌われるだろうと思っていた。だけど、ヤクザの子かもしれないと思いながらも、ゆめや愛美、沙羅は友達で居てくれた。そして、本当の家の事を知った今も、笑顔で接してくれている。
「!…あれぇ、組長泣いてるの?珍しいねぇ…どうしたの?」
俯いて静かに涙を流す凜々花を見て、愛美が慌てて顔を覗く。
「わっ、わたし…」
「うんうん」
「本当は…ゆめや愛美に『組長』って呼んでもらうのっ…好きなの…」
「!」
涙を拭い一生懸命喋る凜々花に、ゆめがハッと目を見張る。
「でもっ…『組長』って沢山の子に呼ばれるうちにっ、段々…私の家の事がバレるんじゃないか、って…怖く、なってきちゃって…っ。バッ、バレたらきっと…怖がって、皆が友達でいてくれなくなるんじゃないか…って、おっ、思って…だからっ、ずっと…ずっと、本当のこと、言えなかったのっ…」
木戸が吐いた嘘の噂も信じていたから。心が不安でいっぱいになって、いつしか、「組長」と無邪気に呼ぶゆめに、イライラまでするようになってしまった。
「ゆっ、ゆめは何も悪くないのに…急に、『組長って呼ばないで』って言われて…こ、困った、はずなのにっ…不安とか、怒りを…ゆめに、ぶつけちゃって…冷たい態度をとって…ごめんね」
目尻の涙を拭いながら、凜々花はゆめを見つめる。
いつも凛々しくてクールな親友の、真っ赤になった瞳。こんな気弱な表情は、始めて見る。
凜々花が置かれている環境、抱いていた恐怖、木戸の問題が重なる日々は、自分なんかじゃ到底想像できない程大変だったに違いない。きっと、自分だったら耐えられない。
「そんなの、全然大丈夫だよ…。ゆめの方こそ…組長の気持ちも考えないで、いつも甘えて、わがままばっかり言って…迷惑かけて…ごめんね」
凜々花の悩みにこれっぽっちも気付かず、ただただ願望のまま振る舞っていた。そんな自分が恥ずかしいし情けない。
むぐっと下唇を噛みながら、凜々花を見つめ返す。すると、凜々花は頭を振り、
「……いつも恥ずかしいから、そっけない態度とっちゃうけど…ゆめのわがまま、嫌いじゃないよ」
と言ってニコリと笑った。
「!!」
しかしすぐに恥ずかしくなったようで、パッと目を逸らしてしまう。
「良かったねぇ、ゆめ!」
「うんっ!!組長大好き~~!」
腕を広げて飛びかかるゆめを、凜々花が慌てて抱き留める。それに続くように、愛美も嬉しそうに二人に飛びかかる。
「…愛美も…私の家の事知ったのに、仲良くしてくれてありがとう」
「え~っ!そんなの当たり前じゃん~。私が今まで見てきた組長は、最高に強くてかっこよくて、とっても恥ずかしがりやな、可愛い可愛い自慢の友達だもんっ。ヤクザかどうかなんて、関係ないよ~」
「!」
あ、私を“笹野凜々花”として見てくれている。
そう気付いた瞬間、体中が優しい気持ちで満たされていくのを感じた。
幼少期からずっと欲しかったもの。“家”じゃなくて“自分”を見てくれる友達。
その存在に出会えたことが、こんなに嬉しいなんて。
幸せだ。この学校に入りたいと、勇気を出してお願いして良かった。ここに通えて、本当に良かった。
「や~ん。組長、また目ぇウルウルしてる~」
「…愛美うるさい。…はぁ、泣いたらお腹すいてきた…」
「組長お昼食べてないの?」
「うん…お弁当忘れたのに気づいて購買に行ったんだけど…もうこれしか残ってなかった」
そう言ってゴソゴソとポケットの中から取り出したのは、固形の栄養調整食品。
「組長購買に行ってたんだ!全然違う所探しに行ってた!」
「?」
「ゆめ、組長が教室出て行ったあと、『やっぱり探してくる!』って言って、追いかけてったんだよね」
「!そうだったんだ…」
「うん。でもすぐに尾沢先生に会って、てんやわんやしてたから…ご飯の事なんてすっかり忘れてたよ~。ゆめもお腹ペコペコ~」
ガクッと肩を落とし、悲しそうにお腹を擦るゆめ。凜々花はふふっと笑うと、箱をカパッと開けた。
「じゃあゆめ、半分食べる?」
「えっ!良いの?食べる~!」
わ~い!とはしゃぐゆめを見て、愛美と凜々花が楽しそうに笑う。
そんな三人を見つめる康の目に、キラリと涙が光った。
目の前で、友達と笑顔で会話をしている凜々花が居る。
二年前までは想像できなかった憧れの日常を、今は過ごせているんだなぁ…と思うと、役目を終えたような安心感と、ほんの少しの切なさが康の胸にやってくる。
「笹野さんの事、とても大切に想われているんですね」
手の甲で鼻を拭う康を見て、方泉は目元を和らげる。
「おう!親も金もなくてやんちゃばっかりしてた、どうしようもねぇチンピラの俺を拾ってくれたのはお嬢だからな!」
十年前。すれ違い様に肩がぶつかった相手に突っかかったら、逆にボコボコに殴られて、路地裏のゴミ捨て場に捨てられた。全身死ぬほど痛いのに、誰も助けてくれないし、おまけに雨まで降ってきて。もうこのまま全て終わってしまえばいい。寧ろ早く終われ。
息をするのも一苦労の中、康は静かに目を瞑ろうとした。その時、
「お父さん、この人苦しそう」
可愛らしい少女の声が、雨音を遮って聞こえてきた。
「助けてあげようよ」
「…生きようとする根性も信念もない奴はいらん」
康を見ることもなく吐き出された言葉が、痛みで麻痺したはずの心に突き刺さる。やっぱり自分には何の価値もないんだ…と、じんわりと虚しさを感じる中、視界がふと暗くなる。焦点の合わないぼやけた世界に、あどけなくも凛とした顔立ちの少女が映り込んだ。
「…お嬢ちゃん」
鉄の味がする口を開き、僅かな力を振り絞って声を出す。
「おれはもう、死にてぇんだ…だから、ほっといてくれ…」
乾燥のしすぎか、心が傷つきすぎたのか。引っ掻かれたように痛い喉の奥を、何とか震わせる。
「早く行くぞ」
と声をかける父親に、少女は諦めてついて行く。と思いきや、グイッと康の腕を掴んだ。
「この人も家に連れていく」
力強く両手で引っ張られ、電流のような刺激が腕に走る。顔を歪める康を見て、父親はダメだと突き放す。しかし少女は首を振ると、
「だってこの人、すごく寂しそうだもん」
と言って、強引に康を連れて帰った。
最後まで反対していた父親に「私がちゃんと根性を叩き直す」と宣言した凜々花は、宣言通り、康に沢山のことを教えてあげた。
帰ってきたらちゃんと手を洗うこと。苦手な物でも残さず食べること。食後はすぐに歯磨きをすること。寝る前に必ずお風呂に入ること。間違えたら謝ること。感謝の気持ちを持つこと。人は一人では生きていない事。生きられない事。
当たり前の生活習慣から、人との接し方まで。
やる気のない康を叱りながら、地道にコツコツと教え続けてくれたおかげで、康は“普通”の事ができるようになった。きっと凜々花に出会わなかったら、あのままのたれ死んでいるか、周りを恨み続け、自暴自棄に生きる日々を過ごしていただろう。
「……木戸様のことはどうなさるつもりですか?」
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