第33話 犯人《後》⑦
そんなに大切な凜々花を苦しめた奴は、さぞかし憎いだろう。物騒な結果にならなければ良いが…と思いながら、匠真は尋ねる。
「もし被害を出すなら、知り合いの警察官を紹介しますよ。ヤクザだからと偏見を持たずに、ちゃんと話を聞いてくれる人です」
“ヤクザ”と言っても、笹野組はトップが代替わりしてからダークな事をしなくなったので、警察はあまり動向を注視していないと聞いた事があるけれど。まだ“ヤクザ”と聞いただけで必要以上に身構える人も沢山いるので、康の場合、相談する人を選んだ方が良いのでは…と、方泉は思う。
真剣に話を聞いていた康は、斜め下に視線を向ける。
その先に居るのは、使い古されたぬいぐるみのように、だらんと項垂れている木戸。光の灯らないつぶらな瞳を見て、康はムッと眉間に皺を寄せる。そして「ケッ!」と言うと、ドスドスと足音を立てて近寄った。
「おい!おっさん!」
「!!ひぃっ!」
怒気の籠った声で呼び、ヤンキー座りをする康。驚いた木戸は、弾かれたように顔を上げた。
鼻と鼻が触れ合いそうな至近距離で、鋭い一重がギラリと光っている。首根を掴まれるような威圧感に、木戸の顔がサッと青ざめた。
自分が問題を起こした相手はヤクザなんだ。
その事実を、今更ながら痛感する。
自分の肩を抱き、歯をガチガチと鳴らす木戸。恐怖に怯える姿をジッと見つめた康は、チッ!と大きな舌打ちをすると、木戸に掌を突き出した。
「俺が渡した金を返せ。そーしたら全部チャラにしてやるよ」
フン!と嫌そうに鼻を鳴らし、掌をゆらゆらと振る。
「……へっ?」
“チャラ”?
ぽかん…と口を開けた木戸が、何で?と戸惑いながら見つめ返す。
「…テメェに騙されたのも腹立つし、他人の離婚だなんだなんて、俺には知ったこっちゃねぇけどよぉ…大切な人が居なくなる辛さってのは、俺にもよ~~~く分かるんだわ」
両親の離婚。ついていった母親から受けたネグレクト。強制的に入れさせられた児童養護施設。
今ではただの昔話だが、当時は毎日が辛くて仕方なかった。感情に任せ、暴れまくった経験があるからこそ、木戸の事を非難できない、したくない自分がいる。
「だから許す。その代わり、テメェの事情に二度と人を巻き込むな。そして俺の金は返せ」
な、と掌を揺らす康に、木戸は口を開けたままほうける。最悪仙台湾に沈められると思っていたのに。まさか、「許す」と言われるなんて。
信じられないといった表情をする木戸に、苛立った康はチッ!と大きな舌打ちをする。
「おい!聞いてんのか!?それともなんだ?仙台湾に入りたいのか!?」
「いっ!?いえいえいえ!ちゃんと払います!返します!すみませんでした!!」
姿勢を正して膝を付き、ガバッと頭を下げる。
「…おう」
床に額を擦りつける木戸に頷いて、康は立ち上がる。振り返ると、こちらを見ている凜々花と目が合った。
「あっ……すいやせん、お嬢…勝手に許しちまって…」
お嬢も沢山嫌な思いしたのに。と、康がアタフタしながら視線を彷徨わせる。しかし凜々花は目を細めると
「確かに、教頭先生の事絶対許せないって思ってたけど…康が他人の気持ちを考えられるようになったのを知れて、嬉しくなったから…怒りなんてどうでも良くなっちゃった」
と言って、とても嬉しそうに笑った。
その包み込むような笑顔に、康は「う、うおぉぉぉ~!」と歓喜の雄叫びを上げる。
「やっぱりお嬢は俺の人生の師匠です!一生ついて行きます!お嬢!!」
「一生は困る」
「ぅえ――――っ!?!?」
ショックで顎が外れそうになる康を見て、爆笑する少女達。
そんな生徒達を見て、教師達も楽しそうに笑っている。
「まさかの円満解決ですね」
「うん。平和に解決できて良かったね」
ニコニコと微笑む方泉につられ、匠真の目元も柔らかくなる。
笑顔が溢れる空間に、5限目終了のチャイムが鳴った。
「やべっ、俺、次の時間授業だわ!」
慌てて立ち上がった尾沢が、礼をして職員室へ向かっていく。
「僕も職員室に戻ります」
ペコッと頭を下げた瀬波は、どこか晴れやかな表情で保健室を去っていく。
「私も校長室に戻ります」
「あっ、校長先生!合コン!!絶対にしますからねっ!その為にも、まずは一緒に買い物に行きますよっ!」
「わっ、分かりましたってば!……では千葉君、また後で、校長室で」
やる気満々の田原に気圧されながら、松井はそそくさと保健室を後にする。
「ほら、教頭先生~!いつまでもそこに座ってないで、いい加減立ってくださいっ!」
「あっ、あぁ、申し訳ない…」
正座をしている木戸に、呆れた田原が歩み寄る。そして、
「はい、これ来月の保健だよりですっ。確認してください」
と言うと、足が痺れてよろける木戸に、一枚のプリントを差し出した。
「………えっ?」
今?と目を丸くする木戸。
「校長先生から、誤字脱字がないか教頭先生に確認してもらいなさいって、言われてるんですよぉ~。OKが出ないと今日帰れないので、早くチェックして下さい!」
「えっ、あっ、はい…」
グイグイと背中を押される木戸は、狼狽えながらも椅子に座る。
どうしよう、頭の中に全く文字が入ってこない。と思いつつ、一生懸命目を動かす。そんな木戸を一瞥して、康は凜々花に話しかける。
「お嬢!俺は先に帰りますね。ストーカーに間違えられたら堪ったもんじゃねぇですし」
へへへ…と恥ずかしそうに頭を掻くと、凜々花が楽し気にふふっと笑う。
「うん、分かった」
「ねねっ。次の授業、鬼怖い坂下先生じゃん!遅刻できないから早く教室戻ろ~!」
「んだ!千葉先生~、一緒に教室行きましょ~!」
ご機嫌な表情で、ギュッと腕に抱き着く愛美。その馴れ馴れしい態度に、匠真の顔からスンッと表情が消える。
「方泉様…」
「あっ、匠真、また後で…わわっ」
「早く早く~」と引っ張っていく愛美に、方泉は何とか歩調を揃える。
和気あいあいと去って行く四人の後ろ姿を、匠真が不服そうな顔で見つめる。やがて諦めたように、はぁ、と息を吐くと、“派遣の清掃員”としての仕事を全うするべく、残りの持ち場に向かっていった。
教室についた方泉と凜々花とゆめは、何故5限目に居なかったのかと質問攻めにあった。
方泉の怪我が悪化したのかと心配されたり、いつの間にか仲直りしてる凜々花とゆめに皆が喜んでくれたり。
終始温かい空気に包まれたまま、方泉の一日見学は幕を閉じた。
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