第15話 瀬波 勇士②


「あらっ、瀬波先生?」


 ブルーの瞼を陽の光で輝かせながら、松井がコツコツと靴を鳴らす。


「校長先生。お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 ぺこりと頭を下げる二人に会釈して、松井も方泉の隣にしゃがむ。


「校長先生も、花を見に来たんですか?」


 「お好きですもんね」と瀬浪が言うと、松井はチラッと方泉の方を見て頷く。


「そうなんです。最近沢山咲いてきたから、見たくって」


 真っ赤な唇を弧にし、ちょんっと花びらをつつく。動きに合わせてキラリと光る、松井のブローチ。その眩さを追うように、瀬波はグッと身を乗り出す。


「先生が今日お付けになっている花のブローチ、素敵ですよね。とってもお似合いです」


 ベビーフェイスが崩れた人懐っこい笑みで、松井に笑いかける。その瞬間、ポポポッと松井の顔が赤く染まった。


「あ、ありがとうございます…」


 動揺して彷徨う松井の瞳に、方泉は「ふむ」と内心呟く。

 松井から漂う、気恥ずかしくも嬉しそうな雰囲気――を、打ち破ったのは、スパーン!と勢い良く開かれた廊下の窓だった。

 

「あ~っ、やっぱり瀬波先生の声だと思った!お疲れさまで~す」


 窓の奥にある教室は保健室だったらしい。満面の笑みを浮かべる田原が、身を乗り出しながら大きく手を振っている。


「お疲れ様です」


 と言って目を細める瀬波と、一瞬で死んだ魚の目になる松井。

 先程の淡い空気はあっという間に消え去り、松井の背後から殺伐としたオーラが解き放たれている。しかしそんな松井を気にも留めず、田原は「千葉君もお疲れ様っ」と言い、アイドルウィンクを飛ばす。

 

「あっ、校長先生もお疲れ様でーす」

「……お疲れ様です」


 顔は笑っているものの、全く感情の乗ってない挨拶に松井の片眉がピクリと上がる。

 ぐわっと増す不穏なオーラ。を、物ともせずニコッと笑顔を作り直した田原は、小首を傾げながら顎の下にグーを添える。


「瀬波先生に渡したい物があるんですけどぉ…こっちに来れますかぁ?」


 左右にゆらゆらと体を揺らし、甘えた声を出す田原。その姿は尾沢と会話をしていた時にも見た光景だが、あの時とは違い、言葉の端々に緊張感を感じる。


「大丈夫ですよ。今向かいますね」


 ふわりと微笑んだ瀬波が、白衣の裾を掃いながら立ち上がる。すると、微かに強張っていた顔がパアッと明るくなった。


「やった!じゃあ保健室で待ってますねっ」


 嬉しさで弾む声と共に、体がピョンッと飛び跳ねる。心の底から幸せそうな、大きな瞳。キラキラと輝く笑顔で窓を閉めた田原は、方泉に手を振るとスキップをしながら保健室に戻った。


「じゃあ、失礼しますね」


 ぺこりと頭を下げた瀬波に、松井と方泉も会釈する。アーチを潜り去って行く瀬波。遠ざかる白衣を見る松井の目は、名残惜しそうだ。

 見るからに落ち込んでいる松井を気にしつつも、方泉は「そう言えば」と口を開く。


「松井校長。今日の朝届いた手紙ですが」

「あっ!!そうだったわね」


 松井はハッとして方泉を見ると、内ポケットを探り、真っ白な封筒を取り出した。


「これを見せる約束だったわね。ごめんなさいね、時間がなくて朝じっくり見せられなくて…」


 神妙な顔つきになった松井は封筒を方泉に手渡す。受け取った方泉は、中に入っていた1枚の紙に目を落とす。

 入っていたのは前回同様、縦長の便箋。そして、雑誌から切り抜き貼られた文字。


「“さいごのちゅうこくだ。やめなければがっこう中にお前のあくじをばらす”」


 大小様々な文字を追いながら、方泉は一つずつ読み上げる。


「…“悪事”だなんて、本当に身に覚えがないのに…どうしろって言うのよ」

「……」


 はぁ、と溜め息を吐く横で、方泉は便箋を裏返し、陽の光に透かす。眼鏡の奥で目を細める方泉に、松井は膝の上で拳を作りながら身を寄せる。


「どう?何か犯人の手掛かりになるものはある?さっきの見学中に何か分かったことはあった?」


 焦りと緊張が走った瞳で方泉を見つめ、矢継ぎ早に口を動かす。一瞬思巡した方泉は、ポケットの中のスマートフォンに目を向ける。そしてまた松井に顔を向けると、にっこりと微笑んだ。


「…はい。犯人が誰なのか、分かりました」

「!!ほっ、本当に!?」


 ギョッと目を丸くした松井が、驚いてバランスを崩す。慌てて後ろに手を付き、体勢を戻す。激しく脈を打つ心臓に手を当て、ふぅ、と息を吐く。呼吸が整う間も待たず、松井は再び口を開いた。


「そっ、それで、犯人は…?」


 ごくり。と聞こえる唾の音。真剣な瞳に気圧されるように、風に吹かれた花々がサアァッと踊り舞う。


「…犯人は」


 と言いかけて、方泉はピタリと止まる。誰だろう。前方から視線を感じる。

 パッと1階の窓に顔を向けた方泉は、そこに佇む人物を見て、口を噤む。

 黙って何かを見つめる方泉。その視線を追って、松井も窓へ顔を向ける。


「あら、笹野さん」


 二人で中庭に居るのが意外だったのだろうか。凜々花の切れ長のアーモンドアイが大きく開き、こちらを見ている。

 方泉と松井を交互に見る凜々花に、方泉はニコッと笑いかける。すると、凜々花はぎこちなく笑みを返し、パタパタと駆けて行った。


「…凄く驚いてたわね」

「…そうですね」


 「…まぁ、この場所に私達が居たら不思議に思うわよね」と頷く松井に微笑みながら、凜々花が消えた廊下を見つめる。暫し思案した方泉は、松井に体を向けなおす。


「松井校長」

「はい」

「犯人は分かったのですが、動機の裏付けがまだ足りなくて…。犯人を追いつめる為にも、松井校長にお願いしたい事があるのですが…」


 どうでしょう、と問う方泉の視線を受け、松井はそっと目を伏せる。


「動機…動機ですか…。分かりました。私がお手伝いできることなら何でも…」


 と言って、松井は「あっ!」と声を出す。

 口元を抑え、「動機…」と呟く松井に、方泉は首を傾げる。


「松井校長?」


 窺うように尋ねると、松井が神妙な顔で顎に手を添える。数秒黙り込んだ松井は、絡まりそうな頭の中を整理しながら、丁寧に言葉を紡ぎ始めた。


「…私、今までにも、人から妬まれる事が結構あったんです。ハッキリと物事を言うし、順調に出世をしてきたので…。でも、私は“より良い学校環境”を作る為に、一途に教育と向き合ってきた自信があるから、何を言われてもへこたれなかったし、逆に誰も何も言えなくなるくらいの“教育者の鏡”になろうと、日々自分を律して生活していました。だから、脅迫状が届いた時も、身に覚えがなくて、犯人の予想が付きませんでした」


 そう話しながら、次第に鼓動が早くなっていく。松井はざわつきだした胸に手を当てると、静かに聞き入る方泉に目を向ける。


「でも、もし…脅迫状の目的が、“ただ私に嫌がらせをしたいだけ”だとしたら…」


 と、呟く松井の瞳が、戸惑いながらゆっくりと動く。止まった目線の先。それは、先程田原が身を乗り出していた窓。その四角い枠の中を、教頭や楽しそうな生徒達が横切っていく。


「犯人は…あの人ですよね…?」


 “自分を良く思っていない人”“常識外れの嫌がらせをするような人”“自分に消えてもらいたいと思っている人”。松井の中で、浮かんだ点と点が線になる。

 あの人が犯人だ。と、確信を得た瞳が、縫い付けられたように窓を捉えて離れない。


「…松井校長」


 ふつふつと怒りを滲ませる横顔に、方泉が声をかける。その瞬間、ドーン!と大きな音が窓の向こうから響き渡った。


「なっ、なに!?今の音!」


 慌てて腰を上げた松井に続き、方泉も腰を上げる。すると、保健室の扉が開き、中から急いで田原と瀬波が出てくる。二人はきょろきょろと左右を確認すると、何かを発見し、走って行った。


「何かあったんだわ!」

「僕達も行きましょう!」


 急かす方泉の声に何度も頷くと、二人は急いで保健室の方へ向かった。

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