第16話 犯人《前》①
― 5. 犯人 ―
急いで校舎に戻った二人は、足早に廊下を進んでいく。角を曲がり、保健室まであと少しという所で、瀬波と田原の姿が見えた。真剣な顔をした瀬波は、中腰になり、誰かの両脇を背後から抱えている。同じく中腰になった田原も、瀬波に指示を出しながら誰かの足を持っている。
なるべく揺らさないよう慎重に保健室へ入って行く二人を見て、松井の顔がサッと青ざめる。
「大変!誰かが倒れたのね!」
焦る声と共に速くなるヒールの音。グングンと風を切るふくよかな背中を追いながら、方泉は周りに目を配る。
保健室の前に、こちらの様子を心配そうに見ている生徒が二人。階段の上から、喋りながら降りてくる生徒が数人。彼女達は大きな音の原因を探ろうとしているらしい。
今保健室に来られると厄介だ。
そう判断した方泉は、保健室に入る松井には続かず、心配そうな二人の前で立ち止まる。そして
「ビックリさせてごめんね。他の人達も不安にさせたくないから、今見た事は内緒にしてくれないかな?」
と少し甘えた声で言うと、人差し指を唇につけ、二人に顔を寄せた。
眼鏡の奥に潜む大きな瞳。まるで魂が吸い込まれそうな不思議な吸引力を持つ瞳に、二人はほうっと蕩けた息を吐く。
ぽかん…と口を開け頬を染める二人に、方泉は「お願いできるかな?」と再び尋ねる。
「はっ、はい!」
「分かりました!!」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ予鈴が鳴るから、二人は教室に戻ってね」
ニコッと微笑むと、二人は「ひゃーっ!」と声にならない声を上げながら、茹蛸の様な顔でコクコクと頷く。「あの人が噂の実習生?」「めっちゃカッコいいじゃーん!」とはしゃぎながら歩き出した二人を見て、方泉は急いで保健室の扉に手を伸ばす。入口にかかったプレートを“在室中”から“不在”に変更すると、階段にいる生徒達が降りきる前に方泉は扉と鍵を閉めた。
「教頭先生!大丈夫ですか!?」
ベッドに横たわる人物を見て、松井の声が大きく震える。教頭――木戸の後頭部や瞳孔に異常がないかを確認した田原は、苦悶の表情を浮かべる木戸に顔を近付ける。
「教頭先生、返事はできますか?」
「うぅ…あぁ、はい…」
「これ、何本に見えますか?」
顔の前でピンと人差し指を立てる。
「うー…ん…1本、かな…」
「はい、正解ですっ」
眉間に皺を寄せて目を凝らす木戸に、田原はふわりと微笑む。
「頭痛や吐き気はありますか?」
「いや…打ったところは痛いけど…他は大丈夫だと思うな…うん」
いてて…と顔を歪める木戸に「ゆっくりしていて下さいね」と言うと、田原は背を正し、当惑している松井に体を向ける。
「教頭先生は転倒して強く頭を打ったみたいです。たんこぶはできていますが、意識障害もないので、暫く安静にして保健室で様子を見るのが良いと思います」
「転倒、ですか…分かりました」
「とりあえず奥様に連絡を…って、そう言えば教頭先生、去年離婚されたんでしたっけぇ」
パンッと手を叩きながら、田原は首を傾げる。デリケートな話を悪気もなく言う田原に、松井の目がギュンッとつり上がる。
「田原先生っ!!」
「はは…大丈夫ですよ、校長先生。もう気にしていませんから。それに、近くに親族が住んでますから、何かあったら頼れますので、心配しないでください」
気を遣って笑う木戸に、松井は「すみません」とペコペコ頭を下げる。それをキョトンとした顔で見つめる田原にイラッとしながら、松井はふぅと呼吸を整える。
「それで…教頭先生は何故倒れたんですか?足を滑らせたんですか?」
スッと背を伸ばした松井が、木戸と田原を交互に見る。すると、木戸の眉毛がピクッと動いた。
「それがぁ…仰向けで倒れている教頭先生の隣に凜々花ちゃんが居たので、何か知らないか聞いたんですけどぉ…」
人差し指を顎に付け、困り顔で一点を見つめる田原。その瞳が映す先を見ると、テーブルの端の席で、ひっそりと息を殺すように縮こまっている凜々花がいた。
俯いて垂れた前髪は目元を覆い、彼女の表情を隠している。が、明らかに動揺している事は伝わってくる。
心配した瀬波が、隣に座り声をかける。入口の壁際に立ち、五人の様子を窺っていた方泉も、凜々花の横顔をじっと見つめる。
べったりと体中に張り付くような視線が色んな角度から絡みつき、凜々花の喉がグッと詰まる。
声を出すのが怖い。でも、皆が自分の言葉を待っている。
ヒュッ、と、乾いた喉に薄く空気が入り込む。凜々花はごくりと唾を呑むと、震える唇を静かに開いた。
「わ、わたし…」
始業開始のチャイムが響く保健室に、掠れた声がぽつりと落ちる。その瞬間、
「わ――――っ!!」
と叫びながら木戸が飛び起きた。
突然の大声に、皆の肩がビクリと跳ね上がる。
「きょっ、教頭先生?どうしたんですか?」
バッと大勢の視線が木戸に集まる。自分を凝視する沢山の目にたじろぎ、木戸はつぶらな瞳をキョロキョロと動かす。そして、いつもは穏やかな恵比寿顔をぎこちない笑みに変えると、大袈裟に頭を掻いた。
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