第14話 瀬波 勇士①
― 4. 瀬波勇士 ―
三限目終了の鐘が鳴った数分後、制服に着替えた生徒達がぞろぞろと教室に戻ってきた。
「千葉先生~、大丈夫でしたかぁ?」
後ろのパイプ椅子にちょこんと座る方泉を見つけ、愛美が心配そうに駆け寄る。
「うん、もう痛くなくなったよ。心配してくれてありがとう」
ニコッと方泉が微笑むと、胸を撫で下ろす愛美の後ろから、伏し目がちな凜々花が顔を出した。
「あの…」
両手を体の前で組みながら、凜々花は前に歩み出る。不安気に彷徨った視線が方泉に止まると、凜々花はゆっくりと口を開いた。
「本当は私も保健委員なんです…。保健室に付き添わなきゃいけなかったのに、手を上げられなくて…ごめんなさい」
丸くて黒いショートカットが、深く下がる。揺れた前髪の隙間から申し訳なさそうな瞳が見え、方泉は目を瞬かせた。
確かに、あの体育館でのみんなの様子を見て、凜々花がもう一人の保健委員だと気付いていた。しかし、だからといって、付き添わなかった事を怒ってもいないし、気にしてもいない。今日一日しか関わらない自分にわざわざ謝りに来るなんて、彼女はとても正直で責任感が強い子なんだなと思う。
「全然大丈夫だよ。大した事なかったし、それに、工藤さんがちゃんと連れて行ってくれたから」
「…そうですか」
“工藤さん”と聞いた凜々花の顔が僅かに緩む。
「なになに~?誰か呼んだ~?」
そのタイミングを見計らった様に、ゆめがスキップをしながら教室に入ってくる。しかし凜々花が居る事に気付くと、ゆめの軽やかな足がピタリと止まった。
「……」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「…じゃあ、もう授業が始まるので」
その重たさから逃れるように、凜々花が軽く頭を下げ足早に席へ向かう。
目も合わずに去って行く姿を見て、ゆめの目元がショボンと垂れた。
「早く仲直りしたいー…」
「うんうん、そうだね」
落ち込む頭をよしよしと撫でてくれる愛美にくっつきながら、ゆめは鼻水をずるりと啜る。そしてむにゅっと下唇をつき出すと、「よし!」と腰に手を当てた。
「次の授業が終わったら、『一緒にご飯食べよう』って、組長を誘ってみる!」
グッと力強く拳を握る。「頑張れー!」と応援する方泉と愛美に頷くと、始業開始のチャイムが鳴る中、ゆめはやる気に満ちた表情で自分の席に向かった。
早く授業が終わらないかな。でも声かけるの緊張するな。と、ドキドキしながら授業を受ける。が、
「…ごめん、ちょっとそれどころじゃないから」
と言うと、凜々花は終業のチャイムが鳴り終わると同時に、バタバタと教室から駆けて行ってしまった。
ガーンと明らかにショックを受けているゆめの周りに、愛美や沙羅が集まってくる。
「きっと用事があんだべ」
「そうそう。あんなに焦ってる組長、見た事ないもんねぇ」
「……そう、かなぁ」
肩を叩いて励まされるも、ゆめの顔が引きつって歪む。その落ち込みっぷりを見かねた愛美が、片付けをしている方泉に声をかける。
「千葉先生~。先生も一緒にお昼食べませんかぁ?」
体をくねくねと揺らしながら、可愛らしく小首を傾げる。パチパチと瞬く瞳から“励ましてほしい”という気持ちが伝わってくるが、方泉はごめんねと両手を合わせた。
「お昼は校長先生に呼ばれてるんだ」
「え~~~~っ!そんなぁ」
大きく落胆した愛美に謝り、教室を出る。
ゆめが気にならない訳ではないが、自分にはやらなければいけない事がある。
足早に廊下を歩き、職員玄関へ向かう。来客用の下駄箱から革靴を取り出した方泉は、素早く履き替えると中庭を目指した。
この“仙ノ宮女学園”は宮城県の県木であるケヤキの木がそこかしこに植えられている。空に向かって両腕を広げるように伸びる木々の下、葉が描く影絵を踏みしめながら進むと、薔薇の蔓が絡んだ花のアーチが見えてきた。一歩足を踏み入れる。その瞬間、甘く青々とした香りがぶわっと鼻の奥を擽った。
校舎の真ん中をくり抜いたような、各階の廊下から見下ろせる四角い空間。決して広くはないその場所は、壁に沿うように作られたレンガの花壇で囲まれていた。ガーベラやラナンキュラス、スイートピーにダリア等。色んな花々が咲き誇る華やかな中庭。その隅っこで、こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる人物を見つけ、方泉は足を止めた。
違う。この後ろ姿は松井ではない。
ここには朝と放課後に園芸部の生徒が来るくらいで、誰も来ないと松井が言っていたが。
「…瀬波先生?」
スラッとした身に白衣を纏う瀬波。何故ここに…と湧いた疑問が顔に出ないよう、にこりと笑みを張り付ける。
「あれっ、千葉君?」
驚いて振り返った瀬波は、目を丸くして方泉を見つめた。
「どうしてここに?」
柔らかくトロッとした瞳から投げかけられる不思議そうな視線。方泉はパッと目を逸らすが、再びニコッと笑い歩み寄る。
「…ここは学園の中でもおススメの場所だと聞いたので、一度見てみたくて…。瀬波先生は、何でここに居るんですか?」
瀬波の隣に一緒にしゃがみ、両膝の上に手を置く。すると、瀬波は嬉しそうに目を細めた。
「へぇ、ここがおススメの場所って言われたんだ」
ふふ、と笑う瀬波に、方泉は首を傾げる。瀬波は目の前のラナンキュラスに手を伸ばすと、淡いピンク色の花弁を撫でた。
「僕ね、園芸部の顧問をしているんだ。ここにある花は全部園芸部の子達がお世話しててね…みんなが一生懸命育てているのを知ってるから…誰かがそうやって褒めてくれているなら、凄く嬉しいな」
幾重にも重なった美しい花びらを慈しむように見つめる。その横顔を見て、方泉の胸がチクッと痛んだ。「松井と待ち合わせをしている」と言えず、咄嗟についてしまった嘘。それに素直に喜んでいる瀬波に申し訳なくて。
一瞬黙ってしまった方泉に、瀬波は「あっ」と声を上げる。
「ごめん、なんでここに居るのかだったね」
花に伸ばしていた手を引っ込めて、瀬波が眉を下げる。白衣の裾をパンパンと払うと、瀬波はにこりと微笑んだ。
「僕の実家が花屋でね、小さい頃から沢山の花に囲まれて育ってるからか、花を見てると落ち着くんだ。だから時間があると、いつもここに来ちゃう」
「男なのに、恥ずかしいんだけどね」と、照れて視線を落とす瀬波に、方泉は頭を横に振る。
「全然恥ずかしくなんかないです。それに、僕も大好きです。母がよく家にお花を飾る人だったので…傍に飾ってあると、ホッとします」
玄関の棚の上に、いつも飾られていた小さな花瓶。切らすことなく飾られていた季節の花の鮮やかさを、今でも昨日の事のように覚えている。懐かしいなと思い出す方泉の優しい眼差しに、瀬波は驚きつつも笑みを浮かべる。
「そっか、千葉君も花が好きなんだね。…僕、昔っから花が好きな事をバカにされてきたんだ。『男なのに』とか『何で花ばっかり見て、ヒーローごっこしないの?』とか。だから…うん。千葉君が笑わずに聞いてくれて嬉しいよ」
ふふ、と細める目尻から喜びが伝わってくる。方泉もニコッと微笑み返した時、アーチを潜る足音がした。
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