第9話 助かってもクソゲーだった。
モンスター舎の中は真っ暗だった。小さな窓から微かに月明かりが入ってきているが、そんなものは何の足しにもならない。
「ヒエラ先生……灯り、持ってますか?」
「えぇ、任せてください」
背後から、頼もしいヒエラの声がする。何やらごそごそしていると思ったら、マッチを擦る音がした。オレンジの光りが辺りを照らす。ヒエラはいつの間にか手にしていたカンテラに火をうつした。
「先生、どこからそんなもの……」
見張り中、双眼鏡や折りたたみ椅子が出てきた、ヒエラの懐に注目してサマリエが訊ねる。ヒエラはそんな視線には気づかず、あっけらかんと言う。
「カンテラはどこのモンスター舎にも備え付けてありますよ。知りませんでしたか……?」
(あ……知りませんでした)
そう言えば、自分が使っているモンスター舎の物置にも、そんなものが置いてあったような気がすると思いつつ、サマリエはヒエラからカンテラを受け取った。ヒエラはマッチの小箱を懐にしまっている。
(それはそこから出したんかい)
軽くツッコミを入れつつ、サマリエはカンテラを前に突き出すように持ち、辺りを照らした。
「ハントの使っている部屋はこの3つ目です」
ヒエラが照らされた通路の先を指さす。灯りの中にぼうっと浮かび出た白い手が不気味だ。その手が示す通りの方に進む。モンスターたちは眠っているのか、息を潜めているのか、時折、息づかいが聞こえるだけで大人しかった。
人間の胸の辺りの高さの仕切りで区切られた部屋の中を覗く。ハントの使っている部屋の床には藁が敷かれており、部屋の半分は水槽が占拠していた。水槽の中には水トカゲが1匹、しっぽを揺らして浮いていた。オレンジの灯りで照らしているため、はじめは気づかなかったが、赤い鱗の水トカゲだ。水中に棲む水トカゲの鱗は、青か緑が定番だ。時々、黒っぽい色の子もいるが、サマリエは赤い鱗の水トカゲなんて、初めて見た。
水槽に目を奪われていると、足をさわさわと何かが触った。
「ひょわっ」
「どうしました?!」
サマリエが小声で叫び、ヒエラも声を落として心配する。
視線を落とすと、藁の中に埋もれるようにドラゴンもどきの姿があった。
「ぷりぷり姫!」
サマリエは思わず声を高くして、ぷりぷり姫に飛びつく。ハッとして口を押さえた。ヒエラが辺りを窺うようにキョロキョロし、しばらくして、大丈夫というように頷いた。
それを受けて、サマリエはカンテラを床に置いて、ぷりぷり姫を抱き上げた。ピュイピュイと鼻を鳴らして、ぷりぷり姫はしっぽをぷりぷり振った。
「早くここを出ましょう」
ヒエラがカンテラを拾い上げ、脱出を促すが、サマリエは服の裾を引っ張って、それを止めた。
「ダメですよ。ぷりぷり姫を連れ出すだけじゃ、盗人にされてしまいます! それじゃあ、処分を受けるのは私になっちゃいます! ハントがきちんと罰を受けるよう、証拠を探さないと!」
「証拠なんてどこに」
困惑するヒエラを前に、サマリエは天井を見上げた。つられてドラゴンもどきも上を向く。
「この上に、あるはずです」
ヒエラの喉がゴクリと大きな音を立てた。サマリエは、ドラゴンもどきを抱いたまま、2階にあがる階段に向かう。カンテラを持ったヒエラがその後に続く。
どこのモンスター舎も造りは似たようなもので、2階への階段はすぐに見つかった。階段を登った先には暗い空間が待ち構えている。
本来なら、空を飛ぶモンスターのための部屋なのだが、今は使われていない。捕まえることが難しい空を飛ぶモンスターを育てている生徒は稀だ。このモンスター舎も例に漏れず、2階はガラガラ──のはずだった。
2階に上がると、すえたような臭いが漂っていた。1階の獣臭さとは明らかに違う臭いだ。ヒエラがカンテラで照らすと、止まり木が何台か置かれているのが見えた。ここにモンスターを繋ぐのだが、今はそこにモンスターの姿はない。が、その足元に木箱がいくつか置かれているのに気づいた。周りには、おが屑が散らばっている。サマリエはぷりぷり姫を床に下ろし、ヒエラからカンテラを奪うように取った。足音を忍ばせて、木箱に近寄る。ヒエラはその場から動かず、ぷりぷり姫の横に立ち尽くしていた。
サマリエの足が速まる。木箱に近づくにつれ、臭いが濃くなった。サマリエは片手で鼻と口を覆って、木箱を覗き込んだ。蓋はされておらず、中は縁までいっぱいにおが屑が詰められていた。
カンテラのオレンジの灯りの中、おが屑の中を何かがモゾモゾと動いた。そっと手を入れると、固いものに指が当たる。持ち上げると、割れたタマゴの殻だった。ぬるりと湿り気を帯びている。
キュゥ~……と掠れた鳴き声がして、サマリエは殻から、視線を下に落とす。殻を取り出して窪んだおがくずの中に目玉が見えた。バクンと大きく心臓が鳴る。叫ぶこともできずに、サマリエは喉を引き攣らせた。
震える手でおが屑を取り除くと、大きなひとつ目で痩せ細ったドラゴンもどきの子供が横たわっていた。ふるふると体を震わせている、ひとつ目のドラゴンもどきをそっとすくい上げる。子供の時だけ羽毛に覆われるドラゴンもどきだが、奇形児であるひとつ目は、まばらに羽毛が生え、無惨な姿だ。
「ひっ!」
木箱の中、おが屑をどけた部分から、他にもおかしな形をしたドラゴンもどきの子供の死骸が見え隠れしていた。サマリエは顔を上げ、同じように並ぶ木箱を見て、震えた。
この木箱全部に、同じように奇形で生まれてきたドラゴンもどきの死骸が入っているのだろうか。そう考えて、サマリエは愕然とした。
(悪魔だ……)
ハントの恐ろしい所業に、サマリエの顔色が悪くなる。手のひらの上の奇形児は残念だが、助けることはできないだろう。そっと木箱の中に戻す。
「せんせ……」
小さな声で呼びかけ、振り返ると、ヒエラの後ろで影が揺れるのが見えた。
あっと思った時には、遅かった。後ろから殴られ、ヒエラが声も出さずに倒れ込む。足元にいたぷりぷり姫が鳴き声を上げて、サマリエに向かって駆けてきた。サマリエはぷりぷり姫を抱き上げ、カンテラを腕に引っ掛けて、部屋の奥に駆け出す。
ヒエラを殴り倒したのは、ハントだった。手に棒のようなものを持っているのが見えた。
「待てよ! コソドロ!」
ハントが低い声で怒鳴る。ドスドスと足音を荒げ、追ってくる。走りながら振り返ると、いつもなら余裕のあるイケメンの顔が、醜く歪んでいた。ピンクの髪を振り乱し、手に持った木の棒は床を引きずって不穏な音を立てている。
下に降りる階段とは別の方向に逃げながら、サマリエは、モンスター舎の構造を思い出していた。モンスター舎の2階にはテラスがある。サマリエは久しく使われておらず閉め切られたテラスへのドアに手をかけた。扉にはあおり止めがされており、穴にハマったフックが、錆びているのかなかなか外れない。
ぷりぷり姫が高く鳴いたと思ったら、顔の横を木の棒が掠め、目の前のドアに穴を開けた。冷や汗がこめかみを流れる。ぷりぷり姫は顔をサマリエの脇に差し込み、隠れようとしていた。
「お前、見ただろ」
ハントはそう言って、コツコツとゆっくり近づいてくる。が、サマリエは恐ろしくて振り返れない。ドアに穴が開けられた衝撃で、あおり止めは外れていた。
(テラスから飛び降りれば、逃げ切れるか? でも、足を痛めでもしたら……いや、足が折れたとしても、しばらくはアドレナリンが……)
「見ただろって訊いてるだろうが!」
振り向きも、返事もしないサマリエに苛立ったのか、ハントが棒を振り上げた。サマリエは扉に体当たりして、転がるようにテラスに出た。腕にかけていたカンテラが吹っ飛び、テラスから落ちていった。小さな悲鳴が聞こえる。
「避けてんじゃねぇよ」
木の棒を肩に担いで、ハントが言った。サマリエはやっとハントの姿をまともに見た。月光の下、長い足を適度に開き、仁王立ちする姿は悪漢の前で見るなら頼もしいが、その当人が悪漢である場合は最悪だ。
(負ける未来しか見えん)
サマリエはごくりと唾を飲み込んだ。
「見たわよ、木箱の中身!」
サマリエの言葉に、ハントの眉がピクリと動いた。
「あんな風に命を弄ぶなんて、最低だわ」
「お前になにがわかる! 珍しいドラゴンもどきが作れれば、それだけで金持ちになれる! 育成師としても名前が知られるんだ! それに比べれば、あんなもの些細なことだろう」
(些細なこと……?)
サマリエの脳裏に、先ほどの奇形児の姿が過ぎる。弱々しく鳴く奇形児は、足りない体で生まれても、それでも生きたいと鳴いていた。いや、それは人間のエゴなのか。もしかしたら、なぜ生んだと恨み言を叫んでいたのかもしれない。どちらにしても、ハントのしたことは許されることではない。
ハントは鼻で笑った。
「お前、こんなとこに逃げてどうするつもりだ? そこから飛び降りるつもりか? 2階とはいえ、女の体だ、足を折るかもしれないなぁ」
べろりと舌を出して、ハントがいやらしく笑う。その視線がサマリエの体を舐めるように見た。
サマリエはぷりぷり姫の体を強く抱いた。不思議と怖くなかった。隠れようと脇に顔を押し付けていたぷりぷり姫が視線を上げ、サマリエの顔をじっと見つめた。月明かりに照らされたぷりぷり姫の青い鱗が波打つように震えた。
「残念だわ、あんたが捕まる様を見られないなんて!」
サマリエは叫ぶと、ハントを見つめたまま、テラスを飛び降りた。不敵に笑った顔をハントに見せつけ、胸には救った命を抱いて。
ハントは驚いた顔をしていたが、サマリエを追うために踵を返した。その足が、すぐに止まった。
飛び降りたサマリエの腕の中で、ぷりぷり姫が羽ばたいた。短い腕はサマリエの作業着を掴んでいる。ふわりとした無重力感。だが、それは一瞬のことで、サマリエの体は重力に従って落下した。
「っぶねぇなぁ……」
サマリエの下敷きになったライミが体を起こしながら文句を垂れた。テラスから飛び降りたサマリエを下で待ち受けていたライミが受け止めたのだ。
「先生……! 信じてましたよぉ!」
地面に直撃こそしなかったが、体の節々を痛めたサマリエは涙目になりながら、感謝の言葉を述べた。周りには他にも教師がもおり、空から降ってきたサマリエとぷりぷり姫を驚いた表情で見ている。
カンテラが落ちた時、人がいることに気づき、サマリエは飛び降りる決意をした。飛び降りる瞬間、ハントの背後に忍び寄る屈強そうな教師の姿も見えた。今頃、ハントは拘束されているだろう。ハントに殴られたヒエラも救出されているに違いない。
真夜中にも関わらず、モンスター舎は煌々と照らされ、木箱の中身は暴かれた。
「お前のことだからな、無茶なことをするだろうと思っていた」
他の人間には見られない、異常なまでのモンスター愛を持つサマリエが、じっとしている訳がない。息を切らして全力で走るサマリエに一抹の不安を覚え、ライミは治療科の教師を引き連れて、加勢に来てくれていた。
サマリエはこの世界で初めて信頼できる大人を見たような気がした。
(こんなクソゲーにも、良い人はいるんだ)
サマリエは胸に抱いたぷりぷり姫の頭に頬を擦り、助けられたことを実感した。運び出される木箱の命は救えなかったが……。
ハントに問えたのは、教師への暴行、学校から貸与されたモンスターを故意に傷つけ、それを隠蔽しようとしたことだけだ。退学処分が下されたが、弄ばれた小さな命たちへの責任を問われなかったことにモヤモヤとした気持ちを抱える。
頭を殴られたヒエラは2週間ほど療養し、無事に教職に復帰した。
(これに懲りて、私に近づかなくなると良いんだけど)
教壇に立つ、ヒエラの姿を眺めながら、サマリエは思う。
この世界でモンスターの地位を上げるのは大変なことだと、今回の一件で痛感した。あんなに酷い光景を見ても、それに対する罪は問わないアカデミーの教師たち。サマリエたった1人が、モンスターたちを大切にしましょうと言ったところで、世界は変わらないだろう。
鬱々とした気持ちを抱えながら、サマリエは2年生に進級していた。
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