第3話 勉強し直したけどクソゲーだった。
「これ、みんなで食べて」
朝から疲れ切って教室にたどり着いたサマリエは、項垂れるように教卓にバスケットを置いた。ずしっと重たい音がする。
「え、どうしたのこれ」
クラスメイトの1人が恐る恐る近づいてバスケットの中を覗く。
「どうもしないけど、みんなで食べて」
サマリエはにっこりと笑って、クラスメイトの手に、チョコバーを握らせた。
「あ、ありがとう」
心なしか、クラスメイトは嬉しそうに言って、握らされたチョコバーを見つめた。それを皮切りに、他のクラスメイトも、バスケットから各々、お菓子を取っていく。
すぐにバスケットは空になった。空いたバスケットはどうしようかと考えているうちに、クラス担任であるヒエラがやってきた。
ヒエラは分厚い瓶底メガネに、長く伸ばした青い髪を適当に後ろで結んだ髪型をしている。見た目に頓着なく。おそらく無精をしているうちに髪も伸びてしまったのだろう。教師は皆、聖職者が着るキャソックのような黒い服を着ている。校章が入った、教師の制服なのだが、ヒエラのものはシワが目立つ。おまけにヒエラは気が弱く、生徒に強く出られない質だった。
手に名簿などを持っているのを見て、サマリエは空のバスケットをずいっとヒエラに押し付けた。
「先生、これあげます! 荷物入れると良いですよ!」
笑顔でハキハキと言うサマリエに恐れをなしたのか、ヒエラは「え、あ、はい……」と言って、バスケットを受け取った。
サマリエは全てが片付いた達成感に額の汗を拭い、自分の席に向かう。その後ろ姿を、バスケットを持ったまま、ヒエラが見つめていた。
授業が始まる。サマリエは、昨夜決意した想いを胸に、授業に挑んだが、ヒエラの言っていることがさっぱりわからなかった。サマリエの頭が悪いのではない。ヒエラの授業がわかりにくいのだ。わかりにくいだけでも最悪なのに、声も小さい。声が聞こえても意味がわからないので、大きな声を出す必要はないのかもしれないが、それにしても酷い授業だった。
ヒエラが主に使う言葉は「あ~」とか、「え~っと」とか「う~ん」とか間を繋ぐ言葉で、せっかく間を繋いでも次の言葉が出てこないから、また間を繋ぐことになる。
そんなこんなで授業はまともに進まない。サマリエは出鼻をくじかれた思いで、鉛筆を机に放り出した。
(こいつはダメだ……独学しよう)
窓の外を流れる、綿毛の群れを眺めながら、サマリエは図書室の場所はどこだっただろうかと考えていた。
放課後になるとサマリエは図書室へと向かう。これまでこの世界で生きてきた記憶はあるが、前世を思い出したことで、少し記憶が混乱している。モンスターの知識は多少あるが、学び直すに越したことはないだろう。図書室でいくつかのモンスター育成に関する書籍を借りることにした。
アカデミーの校舎自体、城のような立派な建物だが、図書室も圧巻だった。吹き抜けの2階建てとなっている大きな空間に、円を描くように書架が並んでいる。真ん中の開けた部分は読書スペースとなっていて、長い机と座り心地の良さそうな椅子が並んでいた。
「え~? もうっ、ハントってば~」
静かなはずの図書室で、女子生徒の弾んだ甘い声がした。抑えてはいるが、耳に刺さるような声だ。数人いる図書室の利用者は皆、チラチラと声の方を気にしている。中には、注意を促すためか、わざとらしく大きく咳払いをする者もいた。
(わかる、わかるぞ~、その気持ち……)
サマリエは心の中で、咳払いに共感し、目的の書架に向かった。
(とりあえず、図鑑から攻めるべきよね)
そう思ってたどり着いた書架がまさに声の発生源だった。騒がしい女生徒は、育成科の野暮ったい作業着とは違って、真っ赤なジャケットに黒いミニスカートという調教科の制服を着ていた。腰にぶら下げたムチが調教科の生徒であることを如実に語っている。図書室で騒ぐのはいただけないが、その制服はとても似合っていて、そこはかとない色気のある女生徒だった。
(なんたる制服格差……!)
衝撃を受けていると、女生徒はサマリエに気付き、ふっと笑みを漏らした。
(人の制服笑うんじゃないわよ。あんたの隣にいる男も、私と同じ作業着よ、作業着)
達観した仙人のような目をして、サマリエは書架の前で本を吟味している男子生徒に視線を向けた。
ピンクの髪の男子生徒は前髪の左側だけをピンで止めている。耳にはピアスがじゃらじゃら。腕や指にもアクセサリーがじゃらじゃら。
サマリエが『私と同じ』と思っていた作業着も、破れ加工が施され、中に着込んだおしゃれな柄のシャツが見えるようになっている。
(え~……制服って改造して良いの?)
「ねぇ、なんかすっごい見てるよ~」
甘い声で女生徒が男子生徒に言う。
「え? 何?」
軽い返事をした男子生徒の顔に、サマリエは見覚えがあった。言わずもがな、攻略対象である。思わぬ遭遇に、サマリエの目の下がピクピクと痙攣した。
「ごめん。ちょっと本、取りたいから」
暗に邪魔だと言いながら、サマリエは男子生徒が避けたところから『モンスター大全』という分厚い図鑑を抜き取った。
ズシリと重く、思わず取り落としそうになるのを、誰かの手が支えた。見上げると、攻略対象である男子生徒の手だった。サマリエの手に男子生徒の手が重なっている。
男子生徒は「気をつけて」と言いながら、サマリエに向かってウインクを飛ばしてくる。
「うわ……っ」(きもっ)
思わず、声が出てしまったサマリエだが、最後の部分はなんとか飲み込んだ。
「ちょっと、ハント!」
女生徒が男子生徒の肩を掴む。
(そうだ、この攻略対象はハントって名前だったな)
1人納得していると、女生徒が鋭い目つきで睨みつけてくる。
(あぁ、ごめんごめん、私はもう行くからさ)
サマリエは図鑑を持ち直して、そそくさとその場を離れた。後ろでは女生徒が「アタシ以外の女の子に優しくしないで!」と駄々をこねている。
図書室から、そのまままっすぐモンスター舎に向かう。今日はモンスターたちをモンスター舎と併設している放牧場に放してやる。もちろん、水場もあるので、水トカゲなどの水辺のモンスターも自由に泳ぎ回ることができる。
マル太郎とトカゲ三吉が放牧場で体を伸ばしている間に、サマリエは部屋の掃除や水の入れ替え、餌の配置などを手早く済ませた。
(さて、勉強でもするか)
芝生の上で腹ばいになり目を細めているマル太郎に寄りかかって、借りてきた図鑑を開く。何種類ものモンスターがカラーで描かれ、簡単な説明が添えられている。
図鑑にはもちろん、マルモットも水トカゲも載っている。マルモットは陸上で、水トカゲは水上で人や物を運ぶ。2匹とも、生活に欠かせないポピュラーなモンスターだ。街のそこかしこで見かけることができる。
空の運搬は空飛ぶモンスターの育成が難しく、なかなか発展していない。アカデミーでも育てている数が少ない。そのため、モンスター舎の2階は大抵がらがらだ。
空を飛ぶモンスターは捕まえるのが難しく、捕まえたとしても、懐かなければ、ふとした隙に飛んで逃げてしまうこともある。卵から育てれば、刷り込みが可能だが、まずその卵を入手するのが難しい。
『シロイロオオトリ』は前世で言うところの鷲のようなモンスターだ。例に漏れず、巨大化しており、体長は翼を広げれば5メートルは有に超える。名前の通り、真っ白な見た目でをしており、緑の森の中では異彩を放つ存在だ。目立つ体色でも生き残っているシロイロオオトリはそれだけの強者ということだ。
もちろん、この世界にはドラゴンもいる。希少も希少な存在で、ドラゴンを育成している者はアカデミーにはいない。
『ドラゴンもどき』というドラゴンに似た水辺のモンスターならよく見かける。ドラゴンもどきはそのままドラゴンの姿をしているが、ものすごく小型だ。前世での小型犬くらいの大きさで、翼はあるが、飛べないという意外な一面を持っている。特に人間の生活に役立つ能力はなく、主に観賞用として流通している。
ドラゴンもどきには体色が様々あり、体色の美しさを比べるコンテストなんかも開かれている。大抵は1色だが、稀に2色の色を持ったドラゴンもどきが生まれたりする。複数の色があればあるほど希少で、価値が高い。今は最高で4色のまだら網様のドラゴンもどきが生まれている。そのドラゴンもどきを育てた育成師は世界で1匹のドラゴンもどきと謳っていた。
モゾモゾとマル太郎が動き、サマリエはバランスを崩した。背中を預けていたマル太郎が立ち上がり、サマリエはそのまま、ゴロンと後ろに倒れ込む。勢いで、重い図鑑がおでこにぶつかった。
あまりの痛さい悶絶していると、頭上から笑い声が降ってきた。図鑑を顔から退けると、そこには眩しい笑顔のミックスがいた。
マル太郎がプープー鳴くので何かと思ったら、ミックスの手に甘いパンが入ったバスケットがあった。しかもそれを勝手にマル太郎に食べさせようとしている。
「ちょ! ちょっ、ちょっと待った!! 何してんの!?」
サマリエは慌てて立ち上がり、マル太郎とミックスの間に立ち塞がった。
「何って、君のマルモットが痩せてて可哀想だから、餌をあげようと思って」
屈託なくそう言われて、サマリエは唖然とした。
マルモットは基本的には草食だ。穀物からできていようが、砂糖のたっぷりついたパンを食べさせるなんてもってのほかだ。第一、マル太郎はちっとも痩せてはいない。マルモットとしては標準体型だ。
「人のモンスターに勝手なことしないでください! マル太郎は痩せてないし、仮に、痩せてたとしても、マルモットにパンは食べさせません!!」
「え? そうなの? 僕のマルモットはいつも美味しそうに食べてるけど」
サマリエの脳裏に昨日、激突してきた丸々と太ったマルモットの姿が思い出される。
「いや、ダメだろ……マルモットにパン食わせちゃ」
思わず本音がポロリしたが、ミックスはキョトンとした顔をした。
「どうして? マルモットも嬉しそうだし、僕もそんなマルモットを見ると嬉しいし、良いこと尽くめじゃない」
「いやいや、基本、牧草しか食べないマルモットに過度に甘いもの食べさせるとか、体に負担がかかるかもしれないじゃないですか。それにあなたのマルモット、太りすぎですよ。絶対、長生きしませんよ。甘いものを食べさせてるなら、歯だってケアしないとボロボロになるし、ちゃんと虫歯のケアしてます?」
ミックスはキョトン顔のままだ。
(ダメだ、話にならねぇ……)
「そんなことより、お菓子、食べてくれた?」
大の男が首を傾げて萌え袖を口元に当てて見てくる。
(テメェ、そんなことしてもごまかされねぇからな!)
サマリエは鉄の意志でにっこりと微笑んだ。
「そんなことより、私、ミックスのマルモットが見たいな!」
好意的なサマリエに気を良くしたのか、ミックスは嬉しそうに「いいよ!」と答えた。
マル太郎とトカゲ三吉を部屋に戻して、ミックスの住む男子寮に向かう。その隣に、ミックスのモンスターがいるモンスター舎があるのだ。
モンスター舎に向かう間、ミックスはサマリエにしきりにマル太郎にあげようとしていたパンを勧めた。「いらない、いらない」「今はお腹いっぱいだから」と2つの言葉を交互に答えるサマリエに、ミックスは「もう少し太ったら、絶対可愛いのに」とデリカシーのない発言をしてくる。
太ることも太らないことも、他人が決めることではなく、当人が決めることだ。
(なんだこれは……ここは地獄か?)
ミックスのモンスターを見たサマリエは、あまりの光景に1歩、後ずさった。
「ね、みんな可愛いでしょ~?」
ミックスが手を広げた後ろには、ぼってぼてに太ったマルモットが横に倒れて起き上がれないのか、体との対比で異様に細く見える手足をバタバタさせている。同じように太ったマルモットが他に2匹いて、そのうちの1番小さく見えるのがサマリエにぶつかってきたマルモットのようだった。それでもそのマルモットも標準から比べると、だいぶ太っている。
昨日の暴走マルモットがサマリエの姿を見つけて、駆け寄ってくる。今度はぶつかることなくサマリエの手前で止まったが、敷かれた藁に足を滑らせて盛大にすっ転んだ。
「あはっ! かっわいい~!」
「だ、大丈夫か!?」
ミックスとサマリエは正反対の反応をした。腹を抱えて笑うミックスと、転んだマルモットに駆け寄るサマリエ。
太って体重が重くなっているマルモットは変な転び方をしたら足の骨を折りかねない。そうして、動けなくなったマルモットが長く生きることはない。
幸い、骨は折れていないようだった。プープーと鳴いて、脂肪が邪魔で起き上がるのが難しいことを訴えている。
(こんなの可哀想だ……)
じわりとサマリエの目に涙が滲んだ。見ると、奥で倒れたまま足をバタつかせている巨体マルモットのお尻から下痢が垂れている。マルモットの糞は丸くてコロコロしているのが健康の証だ。
サマリエは意を決して、巨体マルモットに近づいた。見慣れない人間にマルモットは興奮したのか、足のバタつきが早くなる。
(ごめんね、動けないのに、怖いよね……)
そっとマルモットの鼻先に手を持っていき、匂いを嗅がせる。手足をバタつかせながら、ふんふんと鼻水を飛ばし、サマリエの匂いを嗅いだマルモットは安心したのか、ペロリと分厚い舌で差し出された手を舐めた。
その口には歯がなかった。
(お前、歯が……)
いつからこんなふうに寝たきりになっているのだろう。巨体丸モットの片側には床ずれができていた。血が滲んで痛そうだ。ブラッシングなどの手入れもしていないのだろう、太ったマルモットから濃い獣の臭いがする。瞼まで太ったマルモットの瞳を覗くと、白く濁って、目の端に目脂が溜まっていた。
サマリエはグッと拳を握り、ミックスに向き直る。
「ミックス、これじゃ、マルモットたちが可哀想だよ。太らせすぎだよ」
「そんなことないよ、みんなとっても可愛いじゃない」
暴走マルモットを横から押して、立たせようとしているミックスは屈託なく答えた。
「見てよ、このマルモット、立ち上がれなくて、床ずれができてる! 呼吸もおかしいし、歯も抜けちゃって……」
言ってて、サマリエは悲しくなった。目が熱くなる。喉がひくついて、うまく言葉が継げない。
「どうしたの? ほら、これ食べて元気出して」
ミックスが笑顔で差し出した砂糖たっぷりのパンを、サマリエは奪うように取って握りつぶした。そのまま、ミックスの顔面目掛けて、拳を振るう。
怒りの鉄拳はしかし、ミックスの頬を掠ることしかできなかった。
(しまった、外した……!)
そう思った時にはもう遅かった。サマリエはミックスに力ずくで押し倒された。腹の上に馬乗りになられ、両手は頭の上でまとめて掴まれている。
「放せ! この……デブ専!! モンスター虐待男!!!」
「何が虐待だって? 僕は、マルモットたちがもっと可愛くなれるようにお世話してるだけだよ? 君も、僕が管理してあげたら、もっと可愛くなれるんだから、ほら! ほら! 口開けろ!!」
怒鳴るミックスは普段の童顔を脱ぎ捨て、悪魔のような顔をしていた。サマリエの口にパンを無理やり押し込んで食べさせようとしてくる。
サマリエの顔はパンくずと砂糖、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
モンスター舎の他の部屋のモンスターたちが騒ぐ声が、耳の遠くで聞こえていた。
(息できない……)
「何してるんだ! 君たち!!」
サマリエの意識が朦朧としてきたところで、誰かが、ミックスをサマリエから引き剥がし、取り押さえた。
腹の圧迫と、顔にパンを押し付けられる苦しさから解放されて、サマリエは激しく咳き込んで、胃液を吐いた。喉がヒリヒリ痛む。
「放せ! やめろ!」
「抑えろ、離すな!」
「こら、暴れるな!」
何人かの男の声。
「だ、大丈夫……ですか……」
そろりそろりと、サマリエの背後にビクビクしながら近寄ってきた声に、顔をあげると、そこにはヒエラがいた。ヒエラの背後では、幾人かの教師が、ミックスを取り押さえている。
中には太りすぎたマルモットを見て、顔をしかめている教師もいた。
「先生……」
「と、とりあえず……サマリエさんは、医務室へ」
「それより、マルモットたちが……!」
サマリエの言葉に、ヒエラはマルモットたちを振り返った。振り返っただけで、何も言ってくれない。
「あんた……モンスター育成の教師でしょ……? こうゆう時、どうすればいいか、教えてよ……! どうやったらあの子たちを救えるか、教えてよ!!」
ぐちゃぐちゃの顔のまま、サマリエはヒエラに掴みかかる。細いヒエラはそのまま倒れるかと思われたが、思いのほか、しっかりとした体幹で、サマリエを受け止めた。
「と、とにかく、医務室へ」
ヒエラは壊れたおもちゃのようにそれしか言わなかった。
医務室で顔の汚れを落として、擦りむいたところを消毒してもらう。口の中が切れて血の味がしたが、それは放っておくことにした。
ミックスは女子生徒への暴行と、学園の所有物であるモンスターを故意に損壊させたとして、アカデミーから退学処分を言い渡された。
寝たきりになっていた巨体のマルモットは間も無く息を引き取った。
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