第21話
(早起きしてよかった...!)
表情には出さないが、バンビは内心ガッツポーズをした。
身支度を終え、時間を持て余したので早めに仕事場へ行けば、すでにリーダーが来ていた。いつもはウリかタカが先に来ていることが多いので、2人きりになれるのは貴重だ。
「バンビおはよ〜」
「おはよう」
「あれ!前髪切ってる!!」
「そんなちっぽけな変化に気づかないでよ。ストーカーみたい」
バンビは昨晩思い立って自分で前髪を切ったのだが、長さにして数ミリ程度。まさか気づいてくれるとは思わず嬉しくなった。
リーダーはいつも小さな変化にも気づいてくれる。そういうところも好きでならなかった。
そんなリーダーとの出会いはダンススクールに通っていた頃だった。そこに通うほぼ全員が芸能界かプロダンサーを目指していたため、仲間意識というよりはライバルのような感じで、みんな上辺だけの付き合いをしていた。
バンビはわがままで気分屋なこともあり、仲良くなろうと声をかける者はいなかった。彼自身、誰かと馴れ合う気もなかったからそれで良かった。
『珍しい名前だな!』
そんな中、レッスンの休憩時間に話しかけてきたのがリーダーだった。
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『は?なにが』
『トガシマって名前!俺初めて見たかも!』
胸に貼ってるワッペンを見たのだろう。戸鹿島は相手のそれを見返して、興味なさげに返事をした。
『君の名前も十分珍しいけど。 じゃあね』
『あ、おぉ...!』
半ば強制的に会話を終わらせる。少し離れたところに座って休憩していると、後ろから話し声が聞こえた。
『兎本、あいつ変わってんだよ。態度でかいし。あんま関わらない方がいい』
聞く気がなくても聞こえてくる。兎本は、『俺あんま話してないから、戸鹿島がどんな人かまだ分かんねぇわ』と答えていた。
そこから兎本は昼休みやレッスン終わりに食事や居残りに誘ってくるようになったが、馴れ合う気のない戸鹿島はもちろん断っていた。
それに、兎本の周りにはいつも誰かがいた。ギスギスした空気感の中、兎本の周りだけはどこか明るく見えた。周りにいる人たちは心の底から笑っている。兎本が他の生徒たちの心の拠り所になっているのは、はたから見てもよくわかった。戸鹿島は、人を惹きつける能力を持つ兎本に少しだけ興味が湧いていた。
『戸鹿島〜、昼飯食べに行かね?』
いつもと違い、今日は兎本の周りには誰もいない。不思議に思っていることに気づいたのか、『大人数が苦手なのかと思って』と、自分一人で誘ったことを明かした。
『いいけど』
こう返事したのはただの気分だった。戸鹿島は家族と辰己以外でサシの食事をするのはこれが初めてだった。どうなることかと思っていたが、その思いに反してとても楽しい時間を過ごすこととなった。
小一時間話して判った兎本の人となりを一言で言うなれば、"人たらし"。先入観で人や物事を見ないところや、長所を見つける力。短所すら長所に変える柔軟な考えと寛容な心。自分がどんな態度を取っても兎本なら受け入れてくれる。そんな気がして安心した。
人にあまり興味のない戸鹿島だが、兎本の人間力に無意識的に魅入られていた。
あの日の食事以来、戸鹿島は自然と兎本を目で追うようになっていた。柔軟のペアになれば気分は上がり、兎本がスクールを欠席すれば心配になる。汗を流し踊る姿に勝手に見惚れて、他の人と楽しげに話す姿を見て勝手に嫉妬する。
1日に何度も気持ちの上げ下げがあって、どんなきついレッスンよりもそれが一番辛かった。しかし、もう限界と思った時、何かを察した兎本がいつも声をかけてくれた。
『顔色悪いぞ? スポドリ、まだ口つけてないし渡しとくな』
『すぐ近くに美味しそうなケーキ屋できたんだけど、今度行かね?』
兎本からすれば何気ない会話の一つだろうが、戸鹿島は嬉しくて仕方がなかった。
兎本に苦しめられ、兎本に救われる。そんなループを繰り返して、いつしか抜け出すことが出来なくなっていた。
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その頃からバンビにはリーダーしかいなかった。ずっと見ていた。だからわかってしまう。
「あっ!タカ!おはよ〜!」
リーダーがタカを見る目も、態度も、声も、話の抑揚も、自分に向けられるものとは違う。そしてタカも、リーダーに特別な感情を持っている。
幸いなことにリーダーは自分の気持ちに気づいていないし、タカにどう思われているかも分かっていない。だからと言って自分に入る隙などない。そう確信したのは移籍の話をされた時だった。でもそれに気づいても尚、リーダーを諦めることが出来なかった。これはもはや、ある種の執着かもしれない。
(叶わない恋をしても辛いだけなのにな...)
2人を見ながら心底そう思う。
そんな時、鞄に入れていたスマホから通知音がした。
▷とがちゃんおはよ〜今日飯行かん?
相手は幼馴染の辰己だった。
バンビは元より超がつくほどの気分屋だが、気心知れた辰己には特に容赦がなく、誘いに乗る確率は1割程度だった。しかし今のバンビは猛烈に会いたいと思った。辰己のヘラヘラと笑う姿を見れば少しは元気になる気がした。
▷いいけど
▷どこで仕事なん?近くやったら迎えにいくで
今日の仕事場は辰己のいるところから1時間はかかる場所だったが、鹿のキャラクターが「ほいっ!」と言って手を挙げるスタンプが送られてきたので迎えに来るつもりなのだろう。
「なんなのこれ」
よく分からないスタンプに思わず笑みが溢れる。しかし辰己に笑かされたことが癪で、すぐに口角を元に戻したのだった。
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