第5話:アバコーン王国大使館(エマ視点)

神歴五六九年睦月六日:ロイセン王国王城からアバコーン王国大使館・エマ視点


「説明は話しながらしますので、まずは安全な大使館に向かいましょう」


 大恩人の英雄騎士様にそう言われては逆らえません。

 今直ぐにでもお母様の事を問い質したいのですが、我慢するしかありません。

 私達が無事でなければ、お母様が生きておられても再会できないのですから。


「分かりました、歩きながら聞かせていただきます」


 私がそう言うと、英雄騎士様が私の手を取りエスコートしてくださいます。

 素早く私の後ろをジョルジャが護ってくれます。

 英雄騎士様の仲間、ニコーレも騎士様の背後を護ります。


 我が家の男性騎士二人も素早く私達の前に出ます。

 私達の後には戦闘侍女二人女性騎士の順で続きます。

 昔から決められている私を護る基本布陣です。


 お母様がグダニスク公爵家に輿入れする際に、互いに渡し合う等価の結納と持参金以外に、お母様が何不自由しないように、領地も渡されているのです。


 その領地の収入があるから護衛騎士や侍女に十分な報酬を渡せるのです。

 グダニスク公爵に内緒で贈られてくる莫大な小遣いがあるから、この国のどの夫人や令嬢にも負けない暮らしができていたのです。


 祖父様の支援がなければ、吝嗇で身勝手で愚かなグダニスク公爵の渡す生活費だけでは、侍女一人雇うどころか、とても貧しい生活を強いられていた事でしょう。

 いけません、またグダニスク公爵に対する怒りが湧き上がってきました。


「俺はアバコーン王国の英雄騎士として、二倍の国力を持つ宿敵ゴート皇国だけでなく、緩衝国であるロイセン王国の状況にも気を配っていました。

 特に和平の証しとしてウラッハ辺境伯家からグダニスク公爵家に嫁がれた、アンジェリカ夫人とエマ嬢に注視していました」


 これは驚きです。

 アバコーン王国は自分達の武勇を誇り、ゴート皇国との国力差など歯牙にもかけていないと思っていました。


「簡単に勝てると思っていたら、緩衝国など造りません。

 ロイセン王国を併呑したうえで、ゴート皇国に決戦を挑んでいます」


 恥ずかしい!

 未熟にも考えが表情に現れていたのでしょうか?


 大丈夫なようですね。

 ジョルジャから伝わる気配に注意の意味はありません。

 英雄騎士様が優秀過ぎるだけでしょう。


「ただ、アバコーン王国にも王子を始めとした愚かな連中がいます。

 以前は慎重派が多く、俺も情報収集がし易かったのですが、最近では優秀な密偵がロイセン王国から外されています」


 英雄騎士様のお話しを聞いていると、まるでアバコーン王国がロイセン王国との戦いを準備しているかのようです。


「そこで俺独自の情報網を強化している所で、グダニスク公爵とアルブレヒト王子が不穏な動きをしているという報告があったのです。

 ちょうどロイセン王国から舞踏会への招待状が届いたので、渡りに船と入国したのですが、ほんの少しの差でアンジェリカ夫人が殺されてしまったのです」


「嘘を言われていたのですか!?

 お母様の安否はまだ分からないと申されたではありませんか!」


「はい、まだ分かっておりません」


 この人は何を言っているのですか?!


「噂も情報も鵜呑みにするわけにはいきません。

 何度も確認をして初めて真実だと確定する事ができるのです。

 アンジェリカ夫人が本当に殺されてしまったのか、何度も確認したのです」


「お母様が生きておられる可能性があるのですね?!」


「はい、信用できる密偵を公爵邸に送り込みましたが、夫人はもちろん家臣達の亡骸一つ発見できませんでした。

 公爵邸の家臣や使用人からも情報を集めましたが、突然夫人達が忽然と消えてしまったと言うだけで、襲われた事も知りませんでした」


「凄腕の暗殺者であっても、護衛騎士や戦闘侍女に気付かれることなくお母様を襲う事などできません。

 毒を使おうとしても彼らが許しません。

 そうなると、考えられるのは魔法だけですね」


「はい、何か特殊な魔法が使われたとしか思われません。

 俺が集めた情報では、夫人の侍女や護衛騎士は護りの魔術が使えたはずです」


 英雄騎士様の話し方には探るような意志が感じられません。

 お母様の護衛の誰かに護りの魔法使いがいると確信されている。


 いったいどれほどの密偵を抱えておられるのでしょうか?

 あるいは、強力だった頃のアバコーン王国の情報を調べたのでしょうか?


「護りの魔法使いがいたかどうかはお答えできません。

 私が教えていただきたいのは、お母様の安否だけです」


「エマ嬢のお立場では当然のお答えとご心配でしょう。

 その親子愛を知っていて情報を出し惜しみしたりはしません。

 夫人達が行方知れずになる少し前に、王家から公爵邸に王国近衛騎士が派遣されていますから、出来損ないの王子が係わっているのは間違いありません。

 大使館についたら王子と公爵から直接話を聞けばいい事です」


「確かにその通りでした。

 あまりの事の連続で、当たり前のことを失念しておりました。

 英雄騎士様に聞く前に、王子と公爵から直接聞けばいい事でした。


「おどきなさい!

 アルブレヒト王子とグダニスク公爵が見えませんか?!

 エマお嬢様の行く手を阻むのなら、王子の指を一本ずつ斬り落としますよ!」


 私達の前を遮ろうとした近衛騎士達を、ジョルジャが一喝してくれます。

 私や英雄騎士様が脅迫しなくてすむようにしてくれています。


 危機に際しては手段を選ぶなと繰り返し教えてくれたジョルジャですが、危機でない状況では公爵家に相応しい行儀作法を徹底させられてもいました。


「愚図愚図していると王子の指を斬りとしますよ!

 そんな事になったら、老王に殺される事くらい分かっていますよね!?」


 十人ほどで門を守っていた近衛騎士達の中には、聞き分けの悪い者もいました。

 忠義なのか状況が分からないのかは私にも分かりませんが、ジョルジャの一喝で慌てて退いたところを見ると、単なる馬鹿だったようです。


 行く手を阻む近衛騎士を何度も退け、私達は無傷で王城から出る事ができました。

 しかし王城を出てからの方が危険です。

 一般の騎士団の方が心根の良い騎士が所属しているのです。


 彼らが忠義や騎士の誇りを大切にするような事があると、無用な戦いをしなければいけなくなります。


 とても哀しく残念な事ですが、誰一人私達を遮ったりしませんでした。

 それどころか、時間稼ぎに門を閉める事もありませんでした。

 まるで無人の野を行くようにアバコーン王国大使館に辿り着いてしまいました。


「思っていた以上に強固な大使館ですね」


「何かあれば、ロイセン王国を併呑する時に橋頭堡となる場所です。

 少々の攻撃で奪われるようでは困りますから。

 それはゴート皇国の大使館も同じですよ。

 エマ嬢が素直にこちらについてきてくださって助かりました」


「剣を捧げて護衛騎士の誓いまでしてくださったのです。

 目の前でロイセン王国に喧嘩を吹っかけてもくださいました。

 そこまでして頂いているのに、ゴート皇国大使館の方が安心できるので、そちらで護衛してくださいとは申せません」


「それがエマ嬢の素晴らしい所です。

 そうしなければいけないと明らかになっている事でも、自分の命がかかっていたり、大きな利益があったりすると、その通りにできないのが普通の人間です。

 誰もがエマ嬢のようにできる訳ではありません。

 大抵の人は自分の命や欲を優先してしまうものです」


「そんな事はありませんわ。

 お母様はもちろん、私達に仕えてくれている家臣達は同じようにします」


「それこそがとても珍しく宝石よりも貴重なのです。

 家臣達が誇り高い行動を取り続けられるのは、主であるエマ嬢と夫人の心が気高く、言動が王侯貴族の理想像だからです。

 そんな主君に恥ずかしくない家臣であろうと己を律するからです」


「そこまで褒めていただくと恥ずかしくなってしまいます」


 英雄騎士様が物凄く褒めてくださいますが、調子に乗らないようにしなければいけません。


 何より、油断してはいけません。

 ここは敵地だと思って行動しなければいけません!


 英雄騎士様のお話しでは、王子を始めとした強硬派が力を持って来ているのです。

 ゴート皇国と縁のある私達を捕らえて、人質にしようとする大使館員がいるかもしれないのです。


 英雄騎士様がそのような卑怯な真似をするとは思いたくはありませんが、泥をかぶって悪名を残してでも、勝つ戦略を選ぶ場合があるとジョルジャが言っていました。


「エマ嬢達は、私が卑怯な王子と公爵から助けた令嬢だと、大使館員達に話しておきますので、ご安心ください。

 部屋も新たな部屋を用意するのではなく、私達が使っていた部屋の半数を使っていただきますので、何かあれば英雄騎士の立場よりも護衛騎士の立場を優先します」


 それは、先の大舞踏会場で口にされていたように、英雄騎士の地位と名誉を捨ててでも私を護ってくださると言う事でしょうか?


 背後のジョルジャから驚きの気配が伝わってきます。

 ジョルジャが驚きの気配を表に出してしまうなんて、私が思っていた以上に英雄騎士の称号は重いようです。

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