第4話:誇り(ジークフリート視点)

神歴五六九年睦月六日:ロイセン王国大舞踏会場・ジークフリート視点


 俺はエマを試そうとしていた訳ではない。

 初恋の乳姉さんが産んだ子供だからと言って、特別依怙贔屓する気も厳しくする気もなく、他の貴族令嬢同様、その心根に応じた礼儀を尽くす心算だった。


 まあ、それは単なる建前で、多少出来が悪くても、慈しんでくれた乳母、厳しくも愛情を込めて武勇を指導してくれたウラッハ辺境伯に恩返しする心算だった。

 だが、そんな依怙贔屓は全く必要なかった。


「英雄騎士様、申し訳ありませんが、一緒に来た家臣達を助けたいです」


 いつ追手がかけられるか分からない敵城の真っ只中で、自分の命よりも家臣の命を優先するのは、よほどの誇りと勇気がなければできない事だ。


「私が断ったら一人でも家臣を助けに行かれるお心算ですか?」


「はい、当然の事です」


 珍しく全く口出しせずに黙って聞いていたニコーレがドヤ顔をしている。

 六歳しか年の離れていない姪っ子の言動に、ウラッハ辺境伯家の誇りと名誉を心から感じているのだろう。


「分かりました、エマ嬢の誇り高い精神に敬意を表し、少々の危険は受け入れます。

 ですが、探す時間がもったいないので、少々の暴力は見逃してください」


 エマ嬢が怪訝な表情をしている。

 育ちの良いエマ嬢には、冒険者や傭兵がやるような、脅迫や拷問で必要な情報を手に入れる事など、思いつかないのだろう。


「おい、こら、出来損ない。

 お前が捕らえさせた、エマ嬢の家臣の居場所を教えろ」


「ギャアアアアア!」


 アルブレヒト王子は、ほんの少し頬をつかんだだけで城中に響くような悲鳴を上げやがった、情けない事だ。

 この程度の事で悲鳴を上げていたら、敵に捕まった時に機密を守れないぞ。


「控室だ、エマの控室がそのまま幽閉できるようになっていた」


 頬の骨が砕かれているだけでなく、恐怖で全身が強張っているからだろう。

 ぼそぼそと聞き取りにくい言葉で答えた。


「もしエマ嬢の家臣達が殺されていたら、お前の指を一本ずつ砕いていく!」


 王子のような馬鹿は、最悪の可能性を考えて準備したりしない。

 エマ嬢を逃がしてしまった時の事を考えて、家臣達を生かしておく程度の知能もなく、先に家臣達を殺してしまっている可能性がある。


「ヒィイイイイ!

 ころしていない、まだ殺していない!

 暴れられたらエマに感づかれてしまうから、エマを殺してから、エマの遺体を見せて絶望させてから殺す心算だった」


 卑怯下劣な出来損ないだと分かっていたが、残忍な欲望も持っているのだな。

 早々に殺してしまわないと、エマ以外にも被害者が出てしまうだろう。


「ギャアアアアア!」


 つい出来損ないの右手親指を握り潰してしまった。

 これは拷問でも虐待でもない、背後から剣を突き立てられないように、利き手で剣が握れないようにしただけだ。


「やめろ、やめてくれ、わるかった、俺が悪かったから、ギャアアアアア!」


 不公平は良くない、王子と同じように公爵の利き腕親指も潰しておく。

 根性なしの惰弱な男とは言え、相手は公爵だ。

 剣を握れないようにしておかなければならないと言う建前がある。


「英雄騎士様、私が我慢しているのですから、王侯貴族の名誉を穢すような虐待はお止めいただきます。

 相手がどれほど卑怯下劣であろうと、同類に身を落とす事は美しくありません」


 ほう、脅迫や拷問による情報収集を正面から否定しないのか。

 この教育は乳姉さんによるものか?

 それともウラッハ辺境伯家が付けた教育係の影響か?


「申し訳ありませんでした。

 もう二度とこのような事はいたしません。

 出来損ないが手出ししてきた時だけぶちのめす事にします」


「そのようにしてください。

 おどきなさい!

 私を陥れようとした陰謀は、アバコーン王国の英雄騎士様によって潰えました。

 これ以上の卑怯は、アバコーン王国がこの国を占領した時に、極刑となりますよ」


 エマ嬢が前を遮ろうとした近衛騎士に厳しく言い渡した。

 その堂々とした態度はまるで王女、いや、女王のようだ。

 担ぎ運ばれる振動の度に悲鳴を上げる王子の醜態とは比べ物にならない。


「エマです、皆無事ですか?!」


 エマ嬢は、行く手を遮ろうとする近衛騎士や侍従侍女の全てを、この国で生まれ育った貴族とは思えない威を持って下がらせた。


 アンジェリカ乳姉さんも、慈母神のような愛情の中に筋の通った強さがあったが、エマ嬢の強さはその程度ではなく、祖父であるウラッハ辺境伯ほどの破壊力がある。


「エマお嬢様?!

 外から鍵をかけられたので、王家までグルだと分かって心配しておりました。

 直ぐに鍵を開けられないようでしたら、私達を置いて逃げてください!」


「大切な家臣を置いて行ったりはしません。

 直ぐに開けますから待っていなさい」


 エマ嬢は近衛騎士から奪った剣を両手に持っている。

 いや、それだけではなく、左脇にまで二本の剣を挟んでいる。

 助け出す家臣に渡すつもりなのだろう。


「勝利の為なら味方を見殺しにしなければならない時もある!

 そうお教えしたはずですよ!」


 エマ嬢と扉越しに話していた相手の声が厳しくなる。

 年配の女性の声だから、護衛騎士だった事もあるエマ嬢の乳母だろう。

 幼心に覚えているが、ウラッハ辺境伯家の中でもなかなかの使い手だったと思う。


 国を出た時から変装していてよかった。

 俺だけなら誤魔化せるだろうが、主家の令嬢であるニコーレの素顔を忘れているとは思えないからな。


「大丈夫です、任せてください!」


 エマ嬢はそう言うが、腕は兎も角、剣が悪すぎる。

 良質とは言え、鋼鉄程度ではこの扉は斬れない。


 飾りのようにしながら鉄で補強してあるから、最低でも魔力を通したミスリル剣、確実を期すならオリハルコンやアダマンタイトの剣が必要だ。


「任されよ」


 俺はエマ嬢に何を言う間を与えずに扉を斬り裂いた。

 前後左右に剣を振るい、鋼鉄の補強を物ともせずに、高貴な人間を捕らえるために造られた頑強な大扉に、二人が並んで通れる穴をあけた。


「エマお嬢様!」


「ジョルジャ!」


 端を除いて奇麗に切り抜かれた扉から、若かりし頃の面影が残る、動き易くデザインされた侍女服を着た体格のいい中年女性が現われた。

 このデザイン、暗器を隠すためだよな。


「ご無事でよかったです!

 どのような状況か分からず、動くに動けませんでした。

 最悪の場合は、城に火を放つ心算で準備しておりました。

 なんでしたら今直ぐに火を放てますが?」


 そう言いながらテキパキとエマ嬢から剣を受け取り味方に配っている。

 全員には行き届かないが、それはしかたがない。

 俺とニコーレの手を塞ぐ訳にはいかなかったからな。


「アバコーン王国の英雄騎士様が、国と騎士の誇りにかけて、アルブレヒト王子とグダニスク公爵の悪巧みを打ち砕いただけでなく、こうして捕らえてくださいました」


 と思っていたら、ジョルジャは抜け目がない。

 エマ嬢の威にうたれて大扉の前からどいた近衛騎士から剣を奪った。

 これで足らない二人分の剣を確保できた。


「はい、一目見て分かっておりました。

 エマお嬢様を助けてくださり、お礼の言葉もございません」


「いや、騎士として当然の事をしただけだ。

 それよりも、これで捕らえられていた家臣衆は全員か?」


「はい、全員でございます。

 グダニスク公爵だけでなく王家まで敵なら、かなりの苦戦が予想でされましたが、肝心の公爵と王子を人質にできたのなら、十分勝機がございます。

 このまま城で大暴れなされますか?」


「私は英雄騎士様に救われた身です。

 ジョルジャ達も英雄騎士様がおられなければ助けられませんでした。

 貴族の誇りに反しない限り、英雄騎士様の方針に従わなければなりません。

 既に何度か私の誇りを優先していただいています。

 これ以上の我儘はできるだけ避けたいのです」


「そうでございましたか。

 英雄騎士様、エマお嬢様の誇りを優先していただき、お礼の言葉もございません」


「いや、騎士として当然の事をしたまでだ。

 それに俺は既にエマ嬢に剣を捧げた身だ。

 騎士の誇りに反しない限り、エマ嬢の誇りを優先するのは当然の事だ」


「そう言っていただけるのでしたら、無礼を承知で質問させていただきます。

 英雄騎士様はこれからどうされるお心算ですか?

 エマお嬢様を助けていただく具体的な方針はあるのですか?」


「俺とパーティーメンバー四人だけでも、この国の全騎士を相手に戦える。

 そこにウラッハ辺境伯家仕込みの騎士が六人もいる。

 それに加えてアバコーン王国大使館にも常駐の騎士と徒士がいる。

 ウラッハ辺境伯領に逃げることなく、この国に堂々と留まればいい」


 俺は侍女姿のジョルジャを含めた侍女三人、女性一人を含む護衛騎士三人を相手に自信満々な態度で話した。

 こんな状況で謙虚な態度は、エマ嬢達に不安を感じさせてしまう。


「エマお嬢様の誇りを守りつつ、アンジェリカ様の仇を討つのには最適かと思われますが、何事にも絶対はございません。

 それは王子と公爵を人質に取っていても同じでございます。

 ここは安全策をとって、辺境伯領に撤退するべきではありませんか?」


 流石、忠誠心と武勇だけでなく、戦略戦術まで叩き込まれるウラッハ辺境伯家の騎士だっただけの事はある。

 だが、今回ばかりは安全策を取るわけにはいかない。


「その方法も考えたのだが、アンジェリカ公爵夫人の安否が確認できない状況で、この国から離れるのは下策だと思う」


「「「「「なんですって?!」」」」」

「「なんだって?!」」


「お母様が生きておられるのですか!」

「アンジェリカ様はご無事なのですか?!」

「夫人はどこに居られるのですか?」

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