ギリシャ物語 外伝~旅のはじまり~

本城 冴月(ほんじょう さつき)

第一章 荒鷲帰還

荒鷲帰還 1

 【※この物語は、恋愛・歴史フィクションです】


 時は、紀元前372年 。ギリシャのアテナイ・ポリス。


 24 歳のアテナイ陸軍士官フレイウスは、ゼア港の埠頭ふとうに立っている。


 潮の香りを含んだ風が、上質の生地きじで仕立てられた柔らかな青の長衣と、金の飾り輪で背中に束ねたまっすぐで長い漆黒しっこくの髪を、さらさらと揺らす。


 彼の左手は、いつもの習慣で腰の長剣に軽く添えられてはいるものの、彫りの深い端正たんせいな顔は、穏やかな表情でゼア港の船と海に向けられていた。


 ゼア港は、地中海に面した大港湾都市だいこうわんとしピレウスを守るための軍港の一つである。


 アテナイ・ポリスに属する大港湾都市だいこうわんとしピレウス。


 一般にピレウス港と呼ばれるのは、商業港カンタロスのことで、商取引を通じて莫大な利益を稼ぎ出し、アテナイの国家財政に大きく貢献していた。


 この莫大な収入源、カンタロス港、及び、ピレウス商業市場を守るため、ピレウスの東側にあるのが、軍港であるゼア港とムニキア港である。


 この2港は、軍用船のための要塞ようさい港となっているため、カンタロス商業港ほどの賑やかさ派手さはない。


 が、春風の吹くのどかな晴天のこの日、ここゼア港は、商船の護衛や海上パトロールなどの任務で、出入りする軍艦や補給船の数も多かった。


 働く海軍兵たちの大きな掛け声。


 その海軍兵たちに物を売りつけたい小売商人たちの呼び声もあり、港は活気にあふれていた。


 埠頭に立つフレイウスのやや後ろ、左右両側には、彼の部下であり義弟おとうとでもある栗色の髪の美青年、双子のギルフィとアルヴィがいる。


 双子は、腰を太い革ベルトで絞り、両肩を留めた白色の膝までのキトン【古代ギリシャの服の一種】を着ている。


 元気そうな足に鹿革のサンダルを履いた彼らは、わくわくしている様子で、入出港する軍艦たちを見ていた。


 間もなく、1隻の中型の三段櫂船さんだんかいせんが入港してきた。


 一本のマストと一枚の大きな帆。


 三段櫂船さんだんかいせんの名の通り、船腹せんぷくに三段に、ぞろりと並んで突き出すかい


 船首部分の左右のげんには、魔よけの大きな目が描かれている。

 

 へさきの先端部には、敵の船に体当たりして、その横っ腹に穴をあけるための一角獣いっかくじゅうの角のような衝角しょうかくがある。


 船尾で美しい曲線を描いて反り返る竜骨には、長い髪の乙女が軽く口をすぼめ、鑑の後方に息を吹いて後押しし、速度を上げる様子をかたどった麗しい装飾が取り付けられていた。


 そして船腹に描かれている白い飾り文字の船名は、アタランタ(足の速い美女)。


「あっ、あれだ、アタランタ号だ!」


「フレイウスさま、アタランタ号ですよ!」


「もっと近くまで寄って、見てきてもいいですか?」


 船を指差し、はしゃいだ声を上げる双子。


 微笑んで頷くフレイウス。


 義兄あにの許可を得た双子は、18歳のはちきれそうな若さのままに、埠頭の先のほうまで走っていった。


 入港してくるアタランタ号のへさきには、船べりに裸足の片方をのっしと乗せて腕組みをし、誇らしげに胸をそらせている男がいる。


 がっしりしたあごをもつ、眉の太い、野生的な男らしい顔立ち。


 海の色をした青い瞳。


 鍛え抜かれてみっしり筋肉のついた、大柄で浅黒い逞しい体。


 頭には塩のこびりついた青いスカーフを海賊巻きにし、そこからはみ出している茶髪は、潮風にさらされてごわごわだ。


 首には頑丈そうな鎖のペンダント。


 腰を太い革ベルトで絞った、質素で実用本位の黒っぽい貫頭衣。


 左肩に申し訳程度に付けられている、アテナイ海軍士官の紐章がなければ、本物の荒くれ海賊のように見える男である。


 埠頭ふとうの先端近くまでやってきて、並んで立ったギルフィとアルヴィは、その男に向かって嬉しそうに手を振った。


「おーい、お帰りなさーい、パトロクロス艦長──っ」


「おみやげを期待して迎えに来たよー、パトロクロス艦長──っ」


 すると海賊のような男、パトロクロスは、船の上から双子のほうに顔を向け、ぎょっとした様子で軽くのけぞった。


 腕組みをといて、ぽかんと口をあける。


 額に小手をかざして顔を突き出し、その青い目で双子をまじまじと見た。


 それから、何かに合点がてんしたのか、苦笑いをして頭をかいた。


 ごつい手を振り返して、叫ぶ。


「お、おう、ギルとアルじゃねえか。


 ちょっと見ねえうちにまた大きくなりやがって、見違えたぜっ。


 ふたりとも、わざわざ迎えにきてくれたのかい? うれしいねぇ。


 おおっ、なんとっ……」


 双子の後方にいるフレイウスにも気付き、いっそう驚いた声を出すパトロクロス。


「なんと! フレイウスがいるじゃねえか!


 おまえまで俺を出迎えにきてくれたのかい?


 『アテナイの氷の剣士』のお出迎えとは、こいつは豪勢だ!」


 うれしそうに鼻の穴をふくらませ、両手を腰にあててふんぞり返った。


「ハハハッ、いよいよ俺様も『地中海の荒鷲あらわしパトロクロス』として、ずいぶん有名になってきたらしいな。


 よーしよしよし、皆の者、出迎えご苦労、ご苦労である」

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