幸太郎とカヨとカレー

「はっ……、はっ……」


 夜の百間町を幸太郎は最高の空腹状態を作る為に、大雑把に走っていた。スパイス、具材と全て一から始め、二人をより近付けたオリジナルカレー作り。町を抜けて、波止場に出た幸太郎は波が騒がしい海に向かって叫んだ。


「カレー完成しったら、オイはカヨちゃんに……求婚するばいーッ!」


 内に秘めた青年の恋心。それを伝える時は彼女の夢が叶った時だと、九州男児は決心を固める。幸太郎は、視線の先にある明かりがついた高倉食堂に向かって歩き始める。


「オイ、わりゃを一目見て——話ばしたか思ったけ」


 幸太郎は店に向かいながら、カヨと初めて出会った時を思い出す。料理の勉強と出稼ぎの為、故郷の青森を出て日本産業に莫大な利益を生む工場がある、ここ熊本にやってきた広瀬カヨ。

 流れ作業の様に昼食を食べていた青年は、カヨに一目惚れをした。一生懸命働き、噛み合わない方言に苦労しながらも夢を持ち、優しく振る舞うカヨに、仕事だけが生き甲斐だった長尾幸太郎は恋をしたのだ。


「はーッ、カヨちゃんお待ちど、カレーどうばい?」


 馴れ初めの思い出に心が温まった幸太郎は、高倉食堂の引き戸を開けた。厨房ではカヨが真剣な表情でカレー作りに打ち込んでいる。スパイシーな香りが、鼻と腹を満たしていく。


「おばんです、長尾さん。お仕事ごくりょーさ」

「おお、捗ってんのう。期待大じゃ」

かにぃごめん、長尾さん。今日はぁ味見すんカレー出せにゃーわ」

「なして⁉︎」


 お腹をすかせて来た上に、良い匂いを嗅がせて食事はお預けという事態に幸太郎は、厨房の受け取り口に飛び付いた。


「最高に美味しいカレーを、長尾さんに食べさせてあげたいから」


 これだけはそう言うと、予め決めていたようなカヨの訛り無い綺麗な標準語に、幸太郎は固まる。厨房を覗くと、梶木や太刀魚や鱈など何十種類もの魚が並べられていて、洗い場には味見したカレーの小皿が積み重なっている。彼女は本気なのだ。


「じゃ、じゃが! じんで食うより他人の感想知りたい言うたん、カヨちゃんばい!」

「したはんで、すこたまうんめカリなぎゃおさあずかるたいんよ」


 カヨは幸太郎に優しい笑顔を向けて、究極に訛った返事をした。先程は敬意、そして今度は信頼を言葉に込める。やはり津軽弁を理解しきれない幸太郎だったが、彼女の言葉はしっかりと届いた。


「カヨちゃん……」

「まっづろ、んめぇざかなカレーづぐっだら、最高のん鯛カレー、長尾さんにぃあずかるがんな」


 カヨは待たせてごめんね、と申し訳ない気持ちを抱えた笑顔で幸太郎にそう言った。決意を向けられては、何も言えない。黙ってしまう彼に、カヨはカレーに調味料を入れながら言った。


「長尾さんが草笛に使た『ローレル』てな、肉と魚臭み取るん適してんよ。んだはんで、そえ鯛カレーにゃ絶対使うおん。具材とざがなも熊本のん使うおん」

「……」

「カレーは、食う人が『好ぎ』を決めれる料理だど。辛くていが、甘くていが。おら、鯛みてぇに縁起ええ名前してるの『好ぎ』を形にしたぁよ」


 その言葉に幸太郎はハッとして、眼球が潤った。カレーは食べる人が『好き』を決められる料理。だからこそ、大人から子供まで親しまれる。どの食卓にも並ぶ。それを鼻で確信した幸太郎は、カヨと目が合うと言葉を形にする。


「オイ、いざきゅぅものすごく期待しとる。カヨちゃん作った、熊本の誇りばなる鯛カレー」

わんかまづろちょっと待っててね

「腹すかせて、待っとるばい!」


 幸太郎はそう言うと出来上がりまで信じて待つと背中で語り、それ以上店に留まらず帰っていった。カヨはその姿を見送ると、カレーの試作を継続した。

 材料をかき混ぜようとカヨは菜箸に手を伸ばすが、手が震えて軽く眩暈がした。一旦落ち着いて、洗い場に身を預ける。


あんかちょっとおたるかな疲れたかも……でも幸太郎さんたんめ、けっぱるべがんばるぞ!」

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