幸太郎とカヨと鯛
業務終了後にカヨのカレー開発に加勢してから、数日経った昼間。本日も幸太郎は遅休憩で高倉食堂に向かっていく。工場内に社員食堂が無いのは少々不便だが、休憩時間がモチベーションになっている彼には、全然問題ないようだ。
最近カヨと距離を縮められている嬉しさで、ニヤニヤしていた幸太郎が百間町を抜けて海沿いに出ると、波止場で漁民と工場の上層部達が集まっているのに気付いて足を止めた。
「んお? 主任ば、なしてこんにゃとこいると?」
幸太郎のいる所からは少々離れていて、何を話しているのか全て聞き取れないが、雰囲気は険悪だった。漁師達は海を指差して、工場上層部達に向かって声を荒げる。
「みぃや、がんぶりへいすで百間わんにゃあかちゃばい!」
「がいば口開け、いおば腹向けべ浮いちょる! こらひょうなかよ!」
「分かりました。こちらで調査しますから」
職員達は丁寧に対応して漁民達を落ち着かせようとする。訛りが強過ぎて漁師達が何を言っているのか盗み聞きでは掴みきれず、そこまでして怒る必要性に疑問を持ちながら素通りした。
「おぜー声ば、だしちょるな……」
年配は気難しいなと、幸太郎はやれやれ顔で食堂に入店した。いつもの席に腰掛けると、注文と一緒にカヨを呼ぶ。
「カヨちゃあん! 焼き鮭定食頼むと!」
「はぁい、
今日はカヨも忙しいのか、厨房から出る事無く返事した。孤立して休憩を取る幸太郎には、同僚の話し相手がおらず、考え事以外する事がない。
「そいば、カレーん具材ぎゃ悩んでげな」
食堂にあるお品書きを見て、幸太郎がふと思ったのはカレーに入れる『具材』の事である。スパイスに関しては、ある程度固まってきたが、相性の良い具材が次の課題らしい。
「真似ばってん、個性出んが」
昭和初期のカレー具材といえば、馬鈴薯、人参、玉葱、豚肉。しかしカヨはオリジナルにこだわっていて、具材も一味違うものを使いたいようだ。幸太郎は、腕を組んで考える。これぞ、高倉食堂のカレーだと言える、インパクトのある具材を。
「——カヨちゃんば、似合う具材……」
「長尾さん、焼き鮭定食おみゃたせ」
「
長考していた幸太郎は、配膳された瞬間ガタッと立ち上がった。カヨはいきなり大声を出されて、驚きを隠せない。
「いきなしどうすたん、長尾さん⁉︎」
「カレーば具材じゃ! 豚肉がいくるなら、
迫ってくる幸太郎と熊本弁と思われる単語に困惑するカヨだが、次第に彼の言ってる事を理解して考える。彼が提案したのは、シーフードカレーだ。
「——んまぁ、合わん事もねぇが、どん魚介が合うんかねえ」
「鯛じゃ! オイがいっちゃん好きな
「鯛ぃ⁉︎ まづろ長尾さん、おらの作りゅカレーな食堂にいっぺくるお客さ振る舞うもんだ! んな高級なざかな使えんよぉ」
「縁起ええ鯛と言ったら鯛じゃ!」
コスパや量産向けという事情を全く考慮せず、鯛しか無いと意思を通す幸太郎。カヨはうぅんと反応に困るが、今はレシピを考える段階なのもあって色々試したい気持ちが浮かぶ。だが——。
「あんな……、長尾さん。おらな、試した事あんよ。丸島漁港で水揚げさえたざがな、お裾分けぇさるた時に」
「おお! で、どうばい⁉︎」
「……んまぐ出来ねぇんだ。きっとオラが、作るのへだぐそなんよ」
カヨは素直に答えた。美味く出来ないのは、自分の腕が足りないからと理由を付け足して。しかし、幸太郎は諦めきれなかった。
「鯛も……いかんと?」
「うぅん。鯛とか、梶木とか、鯖とか……は、まだ試してねぇけんど」
「んなら、試す価値あると! どなモンもオイが食っちゃるけ、作って欲しばい!」
幸太郎はカヨの両手を握って、本心から頼んだ。その行為と、食べたいから作って欲しいという訴えは料理に一生懸命な彼女をときめかせる。
「んなら……作って、みんかな」
「よっしゃ! 今晩ば腹すかせとかんと!」
幸太郎は豪快に着席すると、いただきますと出された焼き鮭定食にがっついた。それを見たカヨは、触れられた手をギュッと握って決心する。失った自信を取り戻していく。
「うんめカレー……食べさすたんめ、がんばんべ」
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