第49話 愛縁無欠その2
こんなに怠惰で爛れた休日を過ごしたことはなかった。
初めて彼氏と関係を持って、覚えたての行為にのめり込んだ時でも、ここまでではなかった。
気怠さと、痺れるような心地よさを引きずって、朝を迎えた。
その間虎島はコンビニに買い物に行ったり、デリバリーを受け取ったりと何度かベッドを抜け出したが、まりあはほぼベッドと一体になって過ごした。
虎島がそうなるように仕向けたのだ。
病気以外の理由でベッドの上で食事をしたのも初めてのこと。
家族以外に手ずから食事を食べさせられたのも初めてのこと。
バスルームまで一緒に入ってこようとした彼を本気で怒鳴りつけたから、しばらくは大丈夫だろうが、先の事は分からない。
自分の中の常識と非常識の境目がすっかりなくなっている。
仕事に行く前に自宅に戻って着替えなくてはいけない。
ここには化粧品もないし、これ以上一緒に居たら本当に現実世界に戻れなくなりそうだ。
ずっと身体の奥でくすぶっていた原因不明の熱は、虎島に項を噛まれてから一切感じなくなっていた。
恐らくまりあの中のオメガ性が、アルファと番うことによって抑えこまれたのだ。
婚姻よりも強い契約、というのはあながち嘘ではないのかもしれない。
これで本当に
バスルームからリビングに戻ると、虎島の姿はなかった。
何度かスマホを確認する彼を見ていたので、仕事の連絡が入ったのかもしれない。
秘書という職業は、昼夜を問わず主のために動く生き物である。
幸徳井が新婚なので、深夜帯の呼び出しはめっきりなくなったらしいが、梢を懐に招き入れるまでは、夜中の二時、三時でも仕事をしていたという。
それは有栖川も同じことで、警備仕事には昼も夜も無い。
24時間体制で護衛任務を仰せつかることも珍しくはなかった。
家にあるものは何でも好きにしていい、と言われてはいるものの、家主不在で本当にいいのだろうかと迷いながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本拝借する。
ちゃんと歩けている自分に感動するなんて、本当にどうかしている。
虎島のほうも、まりあを自宅に返すつもりがあったのだろう。
昨夜は抱き合うことなく眠りについた。
そのおかげで体力が戻ってくれたのだ。
いまだに不安の残る握力を必死に駆使してキャップを開けて、渇いた喉を潤しながら殺風景なリビングへと戻る。
寝に帰るだけの家だと虎島が話していた通り、本当に生活感のない家だ。
ソファーに腰を下ろすと、ローテーブルの上に置いてある用紙が目に入った。
左上に書かれている用紙の文言と、記入済みの欄を見て、まりあは無言で天井を仰いだ。
と、リビングのドアが開いて、スマホを手にしたスーツ姿の虎島が戻ってくる。
まりあの姿を見止めると、今まで一番穏やかな眼差しを向けて来た。
「・・・ああ、戻れたのか。そろそろ迎えに行こうと思ってた」
「・・・・・・歩けます・・・おかげさまで・・・」
「そいつは何よりだ。歩けなくなるのは、週末限定にしましょうね」
「・・・・・・週末っていうか・・・あの・・・・・・虎島さん」
「ん?ああ、それ、見ました?」
目を細めた虎島が、困惑顔のまりあのそばまで歩いてくる。
隣に腰を下ろした彼が、ローテーブルの上からその用紙を取り上げた。
「セフレじゃ嫌、っていうまりあちゃんへの俺の答えです。ね?誠実な男でしょう」
「・・・・・・・・・婚姻届って」
証人欄にあるのは、虎島の主である幸徳井颯と梢の名前だ。
一体いつの間に根回ししていたのか。
「この国では一番これが手っ取り早くて、効力がある。それとも、死に物狂いで俺から逃げて、別の男探します?」
出来るものならやってみろ、とその顔に書いてあった。
「私のこと手放すつもりなんてないくせに」
項まで噛んだくせになにを言うのか。
盛大に厭味ったらしく言い返せば。
「ご名答。その通りですよ。挑んでもいいが、相手の男は死にますね」
「恐ろしいこと言わないでくださいっっ」
目が笑っていない虎島に必死の剣幕で訴える。
ぎしりとスプリングを揺らして虎島が身を乗り出して来た。
囲い込むように背もたれに手をついて、虎島が酷薄に微笑む。
「俺に恐ろしいことさせないように、しっかり首輪付けて飼いならしてくださいよ・・・・・・・・・あんたになら、飼われてもいい」
とんでもない爆弾発言が落ちて来た。
スパークした頭が完全に停止して、疑問符で埋め尽くされる。
人間が人間を飼うってなんだそれ。
「・・・・・・か・・・飼えませんっ・・・虎島さんは手に負えないっ」
だれかこの男に今すぐ倫理観と常識を教え込んで欲しい。
頭の痛い思いで苦言を呈すれば。
「それじゃあ、俺が死ぬまでまりあちゃんのことを可愛がりますね」
颯さんに頼んで、吉日見て貰いましたよ、と嬉しそうにスマホのスケジュールを開く虎島の余裕の表情に、思考も表情もついていけない。
「あ、あの・・・・・・も・・・もうちょっと常識の範囲で・・・」
「最初っから、そんなの外れた場所で出会ってるでしょ、俺たち」
僅かに赤みの残る項にキスを落とした虎島が、そのまま唇を耳たぶへと滑らせた。
たったこれだけの仕草であっという間に心を灼かれてしまう。
「~~っ」
アルファの吸引力の恐ろしさを目の当たりにした気分だ。
「俺、堪え性の無い男なんで、早めに新居決めましょうね」
明日の天気の話でもするように、虎島が楽しそうに言った。
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