第50話 悠久愛縁

『国内で初めての発情ヒート抑制剤であるプロテクトSを製造販売した西園寺製薬は、引継ぎ、メディカルセンターでの抑制剤の研究開発を続けていくと共に、オメガ保護法の一日も早い成立を目指してー・・・』


つけっぱなしにしているテレビの、お昼のワイドショーで流れて来た話題にまりあはランチの手を止めた。


ここ最近毎日のようにニュースでオメガバースと抑制剤について見聞きしている。


数年前には考えられなかったことだ。


発情期ヒートに怯えて過ごしていたあの日々が、遠い昔のように感じられる。


「まりあ、大丈夫?気持ち悪い?」


前の席で一緒に松花堂弁当をつついていた梢が、心配そうにこちらを見て来た。


もう何度こんな風に視線を合わせて来ただろう。


「平気です。お嬢様は本当に心配性ですね」


「心配もするわよ!この間まで悪阻でうんうん言ってたくせに!」


「おかげさまで元気になりましたし、食欲もこの通りです」


「二人分食べなきゃダメなんだから、お弁当もう一個あってもいいくらいじゃないの?」


「さすがにそんなに入りませんよ。お願いですから、もうゼリーは買わないでくださいね。右京さんが大量に買って来たものがまだあるんですよ。実家と、兄からも荷物が届いて大変なんです」


悪阻に苦しむ妻のためにと、虎島が用意してくれた果肉たっぷりのゼリーは確かに有り難いのだが、さすがに冷蔵庫がゼリーまみれになるのは困るのだ。


定期的有栖川の家と実家にお裾分けをしていたのだが、まだまだ在庫は減りそうにない。


その日によって口にできるものが違うまりあのためにありとあらゆる食事を用意しようとする思いやりは嬉しいが、何事も限度というものがあるのだ。


加えて、乾の実家と、現在地方赴任中の要からも定期的に荷物が届けられる。


開けていない段ボールがまだ2つもあるのだ。


「要連絡してくるの?」


「メッセージがたまに。いまの赴任先のご当地ドレッシングが沢山届きましたよ。野菜なら食べられるって思ってるみたいです。それより、右京さんが買ってくる荷物のほうが多いんですけどね」


「虎島さんってさぁ・・・・・・・・・見かけによらずマメよねぇ」


安定期に入って体調が良くなったまりあが、久しぶりに梢を家に招きたいと伝えると、虎島はすぐに幸徳井に連絡を入れて梢を貸し出して欲しいと依頼した。


安定期までは有栖川警備の仕事を休ませて貰うことにしたまりあの代わりに、週に2,3度手伝いに行っている以外、のんびりと過ごしている梢は、悪阻の間しょっちゅう様子を見に来てくれた。


悪阻でげっそりと痩せていくまりあに、妊娠の大変さを感じ取った梢は、まだ子供は当分いらいない、と幸徳井に訴えたらしい。


夫婦水入らずの生活を満喫している幸徳井は、妻の願いを心より聞き入れて、まりあの子育てが落ち着くまでは子作りは控えると約束してくれたそうだ。


「マメですねぇ・・・本当に」


番契約をしてから、三ヶ月ほどでほぼ完全に発情期ヒートが来なくなって、その後も1年ほどは抑制剤を飲み続けていたのだが、それ以降はベータ同様の生活を送ることにしたまりあの妊娠は、計画的なものではなかった。


検査薬の結果を見せた時の虎島の表情の抜け落ちたような顔は、未だに忘れられない。


やっと夫婦としてしっくりき始めた二人が、親になるまで後数か月。


毎日日暮れには帰宅するようになった虎島は、自宅に仕事を持ち帰ってもまりあを放置することはない。


必ず体調と機嫌を伺って、まりあのそばで過ごす時間を作ってくれる。


夫としての虎島に、何も期待していなかったまりあは、彼の細やかな気遣いに驚かされてばかりだ。


繊細とは無縁の生き方をして来たはずの男が、毎日ゼリーや果物と一緒にベビー服を手に帰宅する姿は、滑稽で、けれど愛おしい。


「オメガが増えて、緊急承認が下りたとはいえ、抑制剤ってこんなに早くできるものなんですかね」


まりあと同じような症状を訴える患者が国内に急増したことで、仮名として突発性発情型特異体質という病名が付けられたこの病は、数か月前に世界的にオメガバース、という正式名称が決定した。


これからは、第二性別、いわゆるバース性を教育機関で検査する動きが始まるらしい。


これから生まれてくる世代は、自分のように苦しむことなくバース性を受け入れて貰いたいと心から願う。


「んー・・・颯がチラッと言ってたんだけど、予見があったんだって。だから事前に準備を進めてたって。西園寺にオメガの子がいるんじゃないかって言ってたけど・・・」


「そう簡単に口は割りませんよね」


裏稼業の同業他社である西園寺と幸徳井は、表向きこそ円満な関係を維持しているが、千年ほど遡れば諍いが絶えなかったライバルである。


裏仕事をゆくゆくは国に移管してしまいたい西園寺と、政財界との繋がりが深く、このまま独占市場を貫きたい幸徳井の姿勢はは真逆で、折り合いはなかなか付けられそうにない。


それでも有事の際はギリギリのラインで譲り合い助け合って、どうにか均衡を保っている。


「まあ、でも、その辺はどうでもいいわ。まりあが幸せにしてて、元気な赤ちゃんを産んでくれるなら」


「お嬢様らしいですね・・・あ、電話」


「出れば?どうせ虎島さんでしょ?」


「あの人いつもテレビ電話にしたがるんですよ・・・・・・見慣れた顔見て何が楽しいんだか・・・・・・もしもし?」


つっけんどんな声を上げたにもかかわらず、画面の向こうの虎島は穏やかな表情だ。


顔を見られて安心した、とそこに書いてある。


『体調は?松花堂ってどこの?播磨割烹のは薄味でいいけど、天元屋のは揚げ物が』


さっそく飛んできた姑のような小言に辟易しながらまりあは口を開いた。


「食欲は戻ってるし美味しく頂いてます。それより、二時間おきの生存確認ほんとやめて欲しいんだけど・・・」


『え、一時間おきは面倒だって言われたから二時間おきにしてんだけどなぁ』


心底残念そうな声が返って来て、離れた場所から梢の笑い声が聞こえて来た。


梢の笑い声に耳ざとく気づいた同席中らしい幸徳井が、画面に割って入ってくる。


『梢に、帰りは迎えに行くからって言って貰えるかな?』


「わかりました」


『朝より顔色はいいみたいだな。胎動は?』


「今日はまだ・・・・・・っていいから仕事して貰えます!?」


これでは埒が明かない、と眉を吊り上げれば。


『仕事は朝も夜もしてるでしょ。可愛い妻と生まれてくる子供のために』


眼差しを柔らかくした虎島が、嬉しいに答えた。

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