第46話 誘惑迷宮その2
誰かの匂いに安堵することはあっても、恋しくなったりましてや興奮するなんて有り得ない。
上掛けに潜り込めば身体が疼いて、枕に頬を埋めればあの夜を思い出してもどかしくなる。
まるで痴女にでもなってしまったようだ。
恋人がいた時だって、こんなに人恋しくなったことはなかった。
まるで虎島はこうなることを予想していたように、まりあに合鍵を渡して来たのだ。
たしかに、まりあが一人で暮らすマンションよりも広いしセキュリティーも完備されている虎島のマンションのほうが心強さはある。
あるけれど、主人不在の部屋は、どうもうすら寒く感じてしまう。
あの夜は、暑いくらいだったのに。
抑制剤を飲んだのに、
それならとテレビを付けて見ても、なんらニュースの内容が頭に入ってこなくて、結局スマホを握ってまたベッドに戻る。
そんな事を二回くらい繰り返したら、スマホの液晶画面が明るくなった。
表示されたメッセージを迷うことなくタップする。
”もう寝ちゃいました?”
幸徳井の同行ということは、会食に連れ出されているんだろう。
時間はすでに0時を過ぎている。
既読をつけてしまったので、起きている事はバレている。
”まだ起きてます”
これから寝ます、と続けようとしたら、すぐに返信が返って来た。
”眠れます?”
いまのまりあの状況を見透かしたようなセリフに、思わず部屋の四隅を確かめてしまう。
あの男なら監視カメラの一つや二つ仕込んでいるかもしれない。
いや、自分の部屋に意味もなくそんなことをするわけがないか。
いい具合に毒されて、世間一般から順調にかけ離れつつある感覚が、怖いと思わないのは、まりあもすでにこちら側の人間だからだ。
”もう寝ます”
眠れなくともどうにかして朝を待つしかない。
相変わらず火照る身体はもっと大きくて強い熱を欲しがっているけれど、自分でどうにかできるものではない。
というか、虎島がいない虎島の部屋で、自分を慰めるなんて出来ない。
きつく目をつぶって、スマホをベッドの端に伏せた。
こうしておけば、虎島もまりがが眠ったと思うはずだ。
あとは身体を丸めて朝を待つだけ。
抑制剤は飲んだから大丈夫だと自分に言い聞かせながら何度も深呼吸を繰り返していると、次第に意識が薄れていった。
・・・・・・
大きな手のひらが、甘やかすように背中を撫でてくる。
項を擽って耳たぶを軽く引っ張ったそれが、輪郭を辿って目を伏せる彼と目が合う。
キスの予感に心臓が跳ねたら、渇いた唇がまりあのそれをそろりと啄んだ。
いつもよりも慎重なご機嫌伺いのキスに、もどかしくて自ら舌を絡ませる。
身体が熱くて重たい。
ああそうか、これは夢なのだ。
とうとう堪え切れなくなった自分の願望が描き出された夢なのだ。
熱を送り込むように舌先を擦り合わせて、口内をまさぐった肉厚な舌が、まりあの上顎を擽って唾液を滴らせる。
「っ・・・ん・・・ぅ・・・」
粘膜のこすれ合いは彼に抱かれた淫らな記憶を呼び覚まして、あっという間に腰の奥が寂しくなった。
爪先を丸めて膝頭を擦り合わせる。
遠くで響いた水音に、このまま満たされたくなってシーツの上を滑らせた指でショーツの端を掴んだ。
「・・・・・・あれ?起きてます?」
耳元で聞こえた低い囁きに、浅い眠りから引きずり起こされる。
「・・・・・・ぇ・・・」
回らない頭で真上から覗き込んでくるぼやけた虎島の顔を見つめ返した。
これは夢なのか、それとも現実なのか、判別がつかない。
夢ならこのまま気持ち良くなりたいし、現実ならいますぐ上掛けの中に非難しなくては危ない。
「ああ・・・寝てたのか・・・・・・やらしい夢見ました?」
にたりと笑った虎島がショーツの端を掠めた指先を捕まえて、かぷりと噛み付いてきた。
走った刺激に一気に思考が覚醒する。
これは紛れもない現実だ。
「~~な、なんで・・・」
「明日の朝の新幹線が待てなくて。無理を言って最終に乗せてもらいました・・・・・・いやあ、帰って来て良かったな・・・こんな可愛いところが見られるとは・・・で、どうします?一人でします?」
よいせとベッドの端に腰を下ろした虎島が、煩わしそうにネクタイを緩めた。
チラッと向けられた流し目から逃れるように、大急ぎで上掛けをひっかぶる。
「~~~っし、しませんっ」
「んじゃあ、二人でしましょうか?朝までまだ時間はあるし・・・・・・ほら、無くなると困るから、買って来たんですよ。沢山あるから・・・・・・」
思い出したようにコンビニ袋を引き寄せた虎島が、未開封のパッケージをぽんぽんベッドの上に放り投げる。
上掛けに逃げ込んだまりあの身体を閉じ込めるように圧し掛かった彼が、楽しそうに笑った。
「こないだとは違うことしようか?」
「へ・・・へんなことしないでよ!?」
まりあがまだ開いたことの無い扉をこの男がいくつも持っている事に違いはない。
必死に言い返したまりあに向かって、虎島が至極穏やかに告げた。
「変な事されたくなかったら、さっさと出といで」
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