第45話 誘惑迷宮その1 

慣れないシーツの感触に何度目かの寝返りを打つ。


あと二回転は余裕で出来そうな広々としたベッドから見上げる天井は未だ見慣れないもの。


いつか、この部屋で過ごすことに慣れる日がくるんだろうか。


その時、自分の項には噛み痕が残されているんだろうか。


声を殺してもどかしい熱をはじけさせて、じわじわと思考が羞恥心やら倫理観やらを呼び起こし始めてすぐにまりあが口にした言葉は、超現実的なものだった。


「・・・・・・セ・・・セフレは・・・嫌です」


最後は彼の指で強引に導かれた反動か、襲ってくる怠さに耐えられずに肩に凭れたままでいると、背中を撫でていた大きな手のひらが後ろ頭を優しく撫でて来た。


虎島にとって肉体交渉と愛情は別物なのかもしれないが、まりあにとっては、愛情の先にあるのが肉体交渉である。


始まりはどうあれ、最終的にはそこに行きつきたい。


「俺、一度でもあんたをセフレにするって言いました?」


呆れたような視線が振って来て、おまけのように鼻頭に噛み付かれる。


「きゃあっ」


「セフレなんて勿体ないことするわけねぇだろ・・・・・・・・・不安なら、このまま連れて帰って飼いならしてやろうか?」


冷水のような冷ややかな声音で、冗談とも本気とも取れない言葉を投げられる。


いや、本気だ。


幸徳井の力をもってすれば、人ひとり監禁してしまうことくらい簡単にやってのける。


そしてそれを合法的に処理できるだけの力を幸徳井は持っているのだ。


彼が自分に向けてくる愛情には間違いなく執着が含まれていて、それがどんな色をしているのかまりあにはまだ分からない。


いや、分かりたくないのかもしれない。


見たら、本当に抜け出せなくなりそうだから。


「・・・・・・・・・」


「冗談だよ」


真顔になったまりあを見下ろして、虎島が耳たぶにキスを落とした。


楽しそうに喉を揺らす彼は、数秒前まで物騒なことを考えていた男とは思えないくらい甘ったるい雰囲気を醸し出してくる。


こうでなくては幸徳井の側近は務まらないのだろう。


梢の兄である永季も二面性を持ってはいるが、ここまで極端では無かったように思う。


自分は、とんでもない男の手を取ってしまったのかもしれない。


「・・・本気だったでしょう」


「まりあちゃんが俺から逃げない限り、悪さはしませんよ」


「・・・・・・に・・・逃げたら・・・・・・どうなるの・・・」


「どうしましょうねぇ・・・?グズグズに甘やかして、俺なしでは生きていけないようにしましょうか?」


「結構ですっ」


「何不自由ない生活は保障しますよ?」


「それで一生虎島さんの監視下に置かれるんですよね?」


「いまもかごの鳥でしょう?まりあちゃんも、梢お嬢さんも」


「・・・・・・・・・」


最初の居場所を奪われて、自ら飛び込んだ場所は新しい大きくて頑丈な鳥かご。


乾はまりあに自由を望んでいるのだろうが、一度踏み込んでしまった世界からは簡単には抜け出せない。


なにより梢を置いてはいけない。


「俺がうんと可愛がってあげますから」


「・・・・・・私はあなたから逃げないし、私の人生は私のものですっ・・・あ、あなたに惹かれたって・・・それだけは変わりません・・・」


「・・・・・・やっと認めた」


「っふ・・・ん・・・っ・・・・・・っ」


噛み付くようにキスが振って来て、上唇と下唇を痛いくらい吸われる。


また深いキスをされたらどうしようと焦ったが、本当に時間が迫っているらしく虎島はそれ以上まりあを困らせることはしなかった。


代わりにポケットから取り出したキーケースを開いて、一本のカギをまりあに差し出した。


「これは?」


初めて見るディンプルキーに手を伸ばして良いものか迷う。


幸徳井の何かを受け取るなら、まずは有栖川に相談が必要になるのだ。


いつまでも手を出そうとしないまりあにしびれを切らした虎島が、無理やり開かせた手のひらにそれを落とした。


自分の手を重ねてしっかりと握り込ませる。


「セフレじゃないなら、受け取れますよね?俺の部屋の鍵。恋人なら、必要でしょう?」


突然の恋人発言に、思わず真顔になってしまった。


セフレじゃないなら、そういうことになるのか。


「・・・・・・・・・」


「今夜から地方出張なんで、一人寝が寂しくないように、俺のベッド使っていいですよ」


「え・・・なんで・・・」


「俺が帰った時に、あんたの残り香があるほうが嬉しいから」


「・・・・・・・・・」


「うちはセキュリティーも万全です。でも夜はもう一人で出歩かないように。電話は無理でも、メッセージは送りますよ」


なるべく早く戻りますね、と額にキスを落とす彼を睨みつける。


「私、行くって言ってない!」


この男の前で上目遣いは危険だと気づいたのは、噛み付かれた後だった。


「・・・・・・もう俺のこと、恋しいでしょう?」


囁き声で答えた虎島の勝ち誇った笑みは、見なかったことにした。


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