第31話 刹那恋情その2

自宅に戻ってシャワーを浴びてすぐにベッドにもぐりこんだ。


慣れ親しんだシーツの感触と柔軟剤の香りにほっとして、すぐに意識が蕩けて、目が覚めたらお昼をとっくに回っていた。


最後まで抱かれたわけでもないのに、身体に残る気怠さは事後特有のもので、虎島が勝手に肌に残した唇の痕が着替えの最中に見えてから、暫く動けなくなってしまった。


まるで絡め取るように執拗に刻まれた甘やかな熱が、まりあの身体のそこかしこに残っている。


軽く部屋の掃除をした後も食欲が湧かずに、抑制剤だけ飲んでソファに腰を下ろしたところで、インターホンが鳴った。


届く予定の荷物はないので、心配した家族が顔を見に来たのかもしれない。


要だったらどうしよう、と一瞬だけ身構えてモニター画面を確認すれば、そこに映っていたのは梢の姿だった。


義兄ではなかったことにほっとして、玄関を開ければ、お馴染みのパティスリーの紙袋を揺らして、梢がお見舞い、と微笑んだ。


「急に来てごめんね。どうしようか迷ったんだけど・・・やっぱり顔見ないと心配で・・・・・・もしかして寝てた?」


リビングに通された梢が、気づかわしげな顔を向けてくる。


「起きてましたよ。部屋の掃除してました。花嫁エステ、どうでした?肌艶すごく良くなってますね」


梢にソファーを勧めて、紅茶を用意したまりあは、斜め前のフットチェアに腰を下ろす。


幸徳井が梢のために予約を入れたエステは、セレブ御用達の完全会員制の高級サロンで顧客一人一人の体調や肌質に合わせてプランを組めるという贅沢なもの。


一緒に説明を受けに行った際にサンプルとして見せてもらった施術メニューには金額が表示されていなかった。


幸徳井が新妻のためにどれだけつぎ込んだのかは想像に難くない。


初夜に美味しく頂かれるための下拵えをさせているのだと思うと、若干複雑な気持ちにはなるが、日増しに綺麗になっていく梢を見ていると、寂しいだなんて言える訳もない。


「あ、ほんとに?良かったぁ・・・なんかよくわかんないマシンに入ってから寝ちゃって・・・その後、起きてマッサージされてる時もまた寝ちゃって、起こされたらこんな感じになってた。すごいの、肘までとぅるんとぅるん!」


ほら見て、と頬杖を突くポーズですべすべになった華奢な肘を見せてくる梢に、まりあは久しぶりの笑顔を浮かべた。


「隅々まで磨かれちゃって・・・幸徳井さんの喜ぶ顔が浮かぶようですよ」


「・・・え、これは、別に・・・・・・挙式のためだし。颯に見せるためってわけじゃ・・・」


ごにょごにょと言い淀む梢の頬が見る間に赤く染まっていく。


「ねぇお嬢様。ほんとにまだ処女なんですか?」


「う、疑わないでよ!・・・さ、最後まではシてない」


俯いた梢の口からなかなかセンセーショナルなセリフが飛び出した。


何をどこまで致しているのか、訊きたいような訊きたくないような。


「最後まではシてないけど、それなりのことはシてるんですね」


「それなりって・・・わかんないけど・・・・・・」


まりあのツッコミに梢は戸惑いながら視線を揺らせた。


彼女に恋愛に関する基礎知識を教え込んだのは他ならぬまりあで、けれど、男女の深い関係については浅い漫画程度のことしか伝えていなかった。


梢は有栖川にとって大事な大事な一人娘である。


万一そういう事に興味を持って非行にでも走ったら、乾家全員の首が飛ぶ。


だから、こういう行為は大人になってから好きな人とするもので、その時はちゃんと自分の気持ちを我慢せずに伝えなくてはいけない、とだけ教えていた。


「お嬢様。幸徳井さんが初恋ですもんねぇ」


よりによって初恋の相手がアレなのはいかがなものかと思うが、少女趣味に富んだ義母の元でレースとリボンとフリルにまみれた世界にいきなり突き落とされた梢の男の好みが、有栖川家に集まるむくつけき男たちの真逆を行くような、中性的な雰囲気の王子様になるのも無理はない。


「・・・・・・プリン!そうだ、プリン食べよう!限定のビターキャラメルプリン買って来たんだから」


パン、と手を打った梢が、いそいそと紙袋からプリンの入った紙箱を取り出す。


午前中で売り切れることが多いパティスリーの人気プリンが、今日は珍しく残っていたようだ。


「・・・幸徳井さん、優しいですか?」


差し出されたプラスティックのスプーンを受け取って、プリンを覆うシリコンカバーを外す。


すぐに焦がしキャラメルのいい匂いがしてきた。


「颯が私に優しくなかったことなんてないわよ」


あーん、とプリンを頬張った梢が、蕩けるような笑みを浮かべた。


有栖川家で一緒に食事を摂った時、一口食べるごとに目を見開いて美味しさを噛みしめていた幼い横顔が重なる。


「・・・それなら良かったです。念のため言っておきますが、嫌な時はちゃんと嫌って言うんですよ?流されてはいけません。男は付け上がる一方ですから」


これだけは伝えておかなくては、と真顔で告げれば、梢が盛大に噎せた。






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