第21話 羞月閉花その2
「俺たちの時も、こちらを使わせて貰いますんで」
何を思ったか笑顔でとんでもない嘘を口にした虎島に、女性スタッフが笑顔になる。
「あ、お付き合いされてるんですね!はい、その時は是非ともうちのショップをご利用くださいね。お待たせいたしました。こちらがサンプルになります」
二度目の訂正を入れる暇なく、化粧箱の蓋が開けられて、カタログの中から選んだ暗い青みのティールグリーンの柄とシルバーの先端が美しいカトラリーセットがお目見えする。
「いかがでしょうか?」
「わあ・・・やっぱりカタログで見るよりも実物のほうがずっと素敵ですね」
色見本の中から組み合わせを決めたのだが、こうして実物を前にするとやっぱりこれにして良かったと確信が持てた。
箱の中を覗いてこくこく頷くまりあに、スタッフがにこやかに微笑む。
「そうですね。お色味も上品ですし、合わせる食器を選びません」
「これは、まりあちゃんが?」
黙って二人を見守っていた虎島が、ここで初めて口を開いた。
「そうです。社長から、良さそうな品物を選ぶように指示されまして・・・」
有栖川は見た目通り豪胆な男で、祝い事になるとただでさえ緩い財布の紐がとことん緩くなる。
懐の人さとその温かい人柄に惹かれて、有栖川警備には訳アリの人間が多く集まってくるが、実際有栖川ほど経営に向いていない男はいないとまりあは思う。
彼の経営理念とは、社員に払える給料分の利益が出ればそれでいい、ただそれだけなのだ。
有栖川の気質は、唯一の実子である永季にも受け継がれていて、現在有栖川警備の経営周りを見ているのは養子にした息子達だった。
彼らのおかげで有栖川警備は潰れることなく好調な収益を上げ続けている。
もちろん、収益を上げられるのは、社長である有栖川自身の人望あってこそなのだが。
「それでカトラリーセットねぇ」
「飾れるものよりも使えるもののほうが、貰った側も困りませんし・・・いけません?」
「いや。実用的でいいと思いますよ。けど、俺にはない感覚ですねぇ・・・」
しみじみ呟く虎島を横目に、スタッフの方に化粧箱を押し戻す。
これならみんな喜んでくれるはずだ。
「まあ、男の人はそうでしょうね。こちらで問題ありません。このまま進めていただけますか?」
「かしこまりました。それでは、改めて納期調整に入りますね」
「お願いします」
再び席を立ったスタッフを見送って、会社に戻ってからの仕事のことを考えていると、膝の上に置いたままの指先を掴まれた。
慌ててソファーの端に逃げて振り払おうとするも、強く握り込まれてしまう。
ほっそりとした見た目以上に強い力で引き寄せられて、虎島の隣に舞い戻る羽目になった。
死んでも手を開くものかと強く拳を握りしめれば、その上からあやすように手の甲を軽く叩かれて、まるでかたくなな自分が加害者のような気分になる。
「生活に彩りを、とか、潤いを、とか、テレビなんかでは見かけても、ちっともぴんと来なかったんですがねぇ・・・」
「はあ・・・」
急に始まった世間話にどう反応すればいいか分からない。
迂闊なことを言って墓穴を掘るのは嫌だし、弱みを握られるのはもっと嫌だ。
「誰かがいると、自然と彩りは増えるんだな」
噛みしめるような呟きが、どこに向かうのか分からずに黙り込む。
確かに言われてみれば、虎島には生活感がほとんどない。
ぼんやりとしか記憶にない彼の住まいも、殆ど物が無かったように思う。
ミニマリストなのか、それとも生活に興味が無いのか。
未だに輪郭すらつかめない虎島右京の顔をぼんやりと見つめ返したら、彼がずいっと距離を縮めて来た。
ほら、だから油断したらいけないのだ。
必死に背中をのけ反らせるまりあに向かって、虎島が読めない食えない笑えない笑みを向けてくる。
「俺に興味湧きました?」
「・・・・・・知りたくありません」
「俺に抱かれたら、もっと知りたくなるよ」
「・・・あ、あなたとそんな風にはなりませんからっ」
「もうすでに身体火照ってんのに?」
探るようにそうっと手の甲を撫でられて、ぞわりと懐かしい愉悦が走った。
「ンぅ・・・っ」
堪え切れず零した声に、虎島がにたりと目を細める。
さっきから心拍数が上がっているのは、この不自然な距離のせいだ。
心じゃなくて、自分のなかのオメガが反応しているだけ。
「二度目の
「そ、それ、虎島さんに言う必要あります!?」
というか、自分の周期すらまだよく分かっていないのに、応えられるわけがない。
抑制剤を飲み始めてからずっと身体は穏やかなまま、疼いてもいない。
「・・・今、まりあちゃんに一番近い場所にいるのは、一応俺なんでね」
「・・・あなたがアルファだからですか・・・?」
問いかける声は隠しようもないほど剣を帯びていた。
どれだけアルファとオメガが運命の番だと言われても、今のまりあにはちっともドラマティックに聞こえない。
「ん?いいや。あんたの花婿候補だから」
平然と答えた虎島の声は、どこまでも落ち着いていた。
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