第20話 羞月閉花その1

「この度はご成婚おめでとうございます」


個室に通されるなり、満面の笑みで女性スタッフから祝福をされてしまって、まりあは思い切り頬を引きつらせた。


一人だったらもっとうまく対処出来たかもしれないが、今は一人ではないのだ。


そのうえ。


「ありがとうございます。この度はお世話になります」


なんて言って、しれっとまりあの肩を抱き寄せる虎島が隣にいるから心臓に悪い。


そこは、私どもは部下でして、成婚カップルは上司なんです、と答えるべきところだ。


「いえ、あのちが・・・」


仕方なく誤解を正そうとしたまりあを制するように、虎島が耳元に唇を近づけて来てドキッとした。


こうして二人きりで会うのは、ランチデート(もどき)以来である。


あの時もこんな風に不意打ちで唇を奪われてしまったのだ。


最初は、キス自体久しぶり過ぎて、何をされたのか分からなくて、目の前の虎島を見て、唇が触れたのだと気づいたら、一気に身体が火照り始めた。


この男は危険だと分かっていたはずなのに、油断しきっていた自分が憎い。


シートベルトを外して一目散に車の外に逃げ出そうとしたまりあを逞しい腕が抱き寄せて来て、二度目に触れた唇は、まりあのそれを味わうように唇を優しくこすり合わせて来た。


温度や感触、零れた吐息。


虎島の風貌からは似ても似つかない慎重な仕草で二度三度と唇を触れ合わせた後、彼はゆっくりと唇を解いた。


それから、放心状態のまりあの頬を揃えた指の背で撫でて来た。


そこで、我に返った。


無意識に唇を開いてねだりそうになった自分が死ぬほど恥ずかしかった。


会社の前の路肩に車を停めて時間を惜しむようにキスを交わすのは、幸徳井と梢だけのはずなのに。


触れた唇が優しかったから、もっとして欲しくなったのか、それともこれもオメガの性なのか、もしくは虎島に惹かれ始めているからなのか。


考え始めたら抜け出せなくなりそうで、彼を突き飛ばす勢いで車を降りた。


唇に宿った熱は、あの後暫く消えてくれなかった。


思えばアレが数年ぶりのキスなのだ。


恋人でもない男とのキスに、応えそうになるなんて。


二人の距離に固まるまりあの背中を大きな手のひらが優しく撫でていく。


「俺もまりあちゃんもほぼ身内なんですから、笑ってお礼言っときゃいいんですよ」


「でも、ちゃんと否定を・・・」


「予行演習だと思って」


「な、なんの!?」


「なんのって・・・俺らもそのうちするでしょ・・・けっこ」


耳元の髪を優しく掬った虎島が、小さく耳打ちして来て目の前が真っ赤になる。


付き合ってもいない相手と結婚なんてありえない。


「しませんっ」


「幸徳井様、どうされました?」


急に大声を出したまりあに、商品の準備をしていたスタッフが振り向いて問いかけて来た。


「いえ、あの・・・わ、私たち、新郎新婦の代理の者なんです・・・」


内祝いの品として、幸徳井と有栖川の関係者にオーダーメイドのカトラリーセットを贈ることになり、サンプル商品が出来上がったのでまりあが確認に出向くことになったのだが、会社を出る直前にやって来た虎島に、それなら俺もと言って車に押し込められてしまった。


幸徳井と有栖川、両家の祝い事なのだから、自分が確認するのは当然のはずだと正論を述べられて、まあそれも確かにと思ったのだが。


やっぱり一人で来るべきだった。


迎えに来た上機嫌の幸徳井と、ウェディングサロンに打ち合わせに向かう梢に、こちらはお任せください、と豪語したのでしっかりと役目を果たさなくてはいけないのに、初っ端から出鼻をくじかれてしまっている。


ここに来る道中だって、シートベルトを命綱のように握りしめるまりあに、虎島は軽く眉を上げてからかう笑みを向けて来たのだ。


あの日の二の舞は避けなくてはと、いつ何があっても対応できるように神経を研ぎ澄ませているまりあに、車を走らせながら片手を伸ばして来た虎島は、器用にガチガチに固まった指先を捕まえて来た。


そのうえ。


『こんなもんじゃ、俺からなにも守れませんよ?』


意味深な一声と共に膝頭を撫でられて、思いきり悲鳴を上げてしまった。


途端、危険な男と二人きりの密室に閉じ込められていることを思い出した。


このままどこかへ連れ去られたらどうしよう、とひたすら不安いっぱいのドライブを40分ほど続けて、ギフトショップに到着した時にはげっそりしてしまった。


そしてそんなまりあを見て、虎島は紳士的に手を差し伸べて来たから、遠慮なくその手をはたいてやったのだ。


二人の正しい関係を説明したまりあの隣では、虎島が面白くなさそうな顔をしているが知った事か。


「え、作用でしたか!失礼いたしました。仲睦まじいご様子だったので、てっきりご本人かと・・・」


慌てて頭を下げたスタッフが、サンプルのカトラリーセットを手にこちらに歩いてくる。


仲睦まじいご様子、に思わずため息が漏れた。


必死にソファーの端に逃げようとするまりあを、虎島が片手で引き戻すところを見られてしまったのがいけなかったのだろうか。


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