第15話 魅了溺惑その1

オメガがどういうものか、オメガのフェロモンがどういうものか、あの夜でちゃんと理解したつもりだった。


火照りを訴えるまりあの身体は花の匂いに包まれていて、蜜を含んだ甘いそれは脳が融けるほどに刺激的。


これまで抱いたどの女とも比べられないほどに圧倒的な魅力と色香。


目線一つで身体が反応しそうになるなんて初めての事だった。


アルファだけではなくベータすらも誘惑するオメガのフェロモン。


あれはまさしく猛毒だ。


身体を震わせる彼女の狭い隘路の奥を探れば、男日照りが続いていることは明白。


それなのに指を締め付けてくる反応は、抱かれ慣れた女のそれで、目の前の彼女とのギャップに眩暈がした。


初めての発情ヒートだったのだから無理もない。


いまは抑制剤も飲んでいるし、定期的に顔を見に行っているが、大きな変化は見受けられない。


彼女があの夜以来虎島を意識しまくっていること以外は。


まりあの反応を見れば、彼女がこれまで身体から始まる恋を知らずに生きて来たことは見て取れた。


その名の通り、心から始まる清らかな恋に身を委ねて来たのだろう。


あんな形で肌に触れられることになったのは恐らく初めてのことだろうから、そりゃあまあ戸惑いもするはずだ。


幸徳井不在で有栖川警備に足を運んだのは、お使いもあったが、半分はまりあの様子を見に行くため。


その半分の中には、彼女の顔が見たいという純粋な下心ももちろん含まれているのだが。


まさか発熱中のまりあと対面することになるとは。


虎島の腕に身体を預け切ったまりあの表情はぐったりとしており、いつもの辛口を飛ばす余裕もないようだった。


そのくせあの夜の花の香りがふわりと鼻腔を擽って来て、こちらの理性を崩しにかかってくるからいけない。


抑制剤は変わらず飲み続けているはずなので、抑えた状態でこれなのだ。


彼女に好意を寄せているアルファとしてはたまったものではない。


頼むから往来を一人で歩かないでくれ、とまるで幸徳井のような過保護発言を口にしそうになる。


虎島の持つアルファの性質に彼女が無意識に反応しているのだとしても、あまりにも質が悪すぎる。


男だらけの会社に動けない彼女をそのまま放置することは出来ずに、梢にまりあを家まで送ることを申し出て了承を貰った。


梢は、まりあの兄である要を呼び戻して、自宅まで送らせるつもりにしていたらしく、虎島からの申し出は願ったり叶ったりだったようだ。


風邪だと困るので、と言って、応接室の換気を頼んでおいたが、虎島としては、彼女の残り香で帰社した社員たちが発情しないことを祈るばかりである。


警備仕事など、身体を使った後はアドレナリンのせいで興奮状態に陥ることが多いのだ。


虎島も、一日幸徳井に引っ張り回された夜は大抵誰かと会って熱を発散させてから帰宅していた。


ちなみに今日は会社でひたすらパソコン作業に打ち込んでいたので、アドレナリンは分泌されていないはずなのだが、それでも助手席にまりあを乗せていると勝手にそういう気分になってくる。


身じろぎするたび聞こえてくる衣擦れの音と、彼女が漏らす吐息を聞いているだけで、いい具合に滾りそうになって慌てて素数を数えた。


こんな場所で送り狼になるわけにはいかない。


帰り際、梢がすぐ前のコンビニで、スポーツドリンクとゼリーを大量に購入して、虎島に預けて来た。


解熱剤のストックは家にあるらしいので、これだけあれば今日明日は十分にしのげるだろう。


部屋の前まで送り届けるつもりでマンションの前に車を停めれば、まりあが一人で帰れると訴えて来た。


「こんな時に上がり込んだりしませんって」


「・・・・・・ほんとに・・・・・・これ以上・・・虎島さんに迷惑かけたくないから・・・」


「それと、俺に部屋も知られたくないと」


シートベルトを外してやって、伸ばした手のひらで額の生え際を優しく撫でれば、まりあが目を伏せて息を吐いた。


そっと触れた指の腹で熱が上がっていない事を確かめる。


頬を包み込んだのは出来心だ。


このまま流されて頷いてくれないかな、と思いながら返事を待つ。


唇を引き結んだまりあが、そろりと手のひらに頬を擦りつけて来た。


恐らく無意識だったのだろう。


目を見開くこちらには気づかずに、彼女がシートから身体を起こす。


「・・・・・・・・・お世話になりました」


「抑制剤、飲んでるんだよな?」


「毎日欠かさず・・・・・・なんでですか?」


「・・・・・・・・・今日は・・・・・・やけに匂いが・・・」


甘く感じられる。


体調の変化にフェロモンが影響を受けているのだろう。


失言だったと気づいた時には、まりあがドアに手を掛けていた。


「~~っ・・・か、帰ります」


「だから、襲わねぇって」


後部座席に置いたままのコンビニ袋を引き寄せながらまりあを呼び止めれば。


「・・・・・・・・・そ、それは・・・・・・信じてます・・・けど」


運転席を振り向いたまりあが、途方に暮れた表情でそんなことを言ってきた。


これはやばい、凶悪過ぎる。


熱のせいで赤くなった頬と震える唇は必死に見ないようにしたら、柔らかい胸元に視線が行ってしまって途端ばつが悪くなった。


襲わないと言った側からこれだ。


なんかあったら連絡して、とコンビニ袋を押し付ければ、まりあが消え入りそうな声でありがとうございます、と返した。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る