第39話 涙花雨幻その1 

「まりあ、今日は体調大丈夫なの?」


ここ最近の梢の口癖はこれである。


顔を合わせるたび毎回同じ質問が飛んでくる。


こうなることが分かっていたから、梢には最後まで伏せておこうと思っていたのだ。


今となってはあとの祭りなのだが。


結婚したばかりの幸せいっぱいの新妻を少しでも安心させようと、笑顔を浮かべて梢と視線を合わせれば。


「私の前で無理に取り繕わなくていいんだってば!薬飲んでるんだよね?」


真顔で別の質問が飛んできて、まりあはこくこく頷いた。


「無理してませんし、抑制剤はきちんと飲んでますから、体調も問題ありません。それより、こうもしょっちゅう会社に顔を出してたら、幸徳井さんに叱られますよ」


家族挙式の後、幸徳井の新居に住まいを移した梢は、まりあの事を心配して二日と空けずに有栖川警備に顔を出している。


まりあとしては来てもらえると物凄く助かるのだが、蜜月に思い切り水を差してしまったことがひたすら申し訳ない。


幸徳井の性格を思えば、ちょっと会社に様子見に行ってくるから、と言われて否を言えるはずもないのに。


有栖川家の男性陣は揃って梢に激甘だったが、さらに輪をかけて甘いのが幸徳井だ。


新妻がテレビで流れた山間のコテージに興味を示せば、その週末には別荘として購入して鍵を手渡してくるような男なのである。


まりあの言葉に、梢がパチパチと両の目を瞬かせた。


「颯が私を叱れると思う?」


「それは・・・思いませんけど・・・」


「でしょう?まりあが心配って言ったら頷いてた。ほんとに・・・私が代わってあげられたらいいのに・・・」


思い切り不貞腐れてそのまま残されている自席の机に突っ伏した梢に、まりあはぎょっと目を剥いた。


「滅相もないこと言わないでくださいよ!」


梢がオメガだったらと考えただけでぞっとする。


それこそ幸徳井と有栖川は上を下への大騒ぎになっていたはずだ。


「だって・・・私だったらほら、もう既婚者だし・・・色々不都合がないでしょ?」


オメガとアルファの番契約は、結婚契約と同じようなものだ。


その拘束力は紙切れの婚姻届けの数百倍なのだが、唯一無二の相手と添い遂げる誓いを立てるという点では同じである。


「お嬢様がオメガだったら私は泣きますよ。神様を恨みます」


こんな思いをするのは自分一人で十分である。


「私はもうすでに神様を恨んでるわよ」


「ついこの間神様の前で結婚を誓った人が何言ってるんですか」


「・・・それとこれとは別でしょう・・・あ、そうだ。要が急に地方の仕事受けたみたいなんだけど、何か訊いてる?昨日の夜に傷心の須磨さんと四国に飛んだみたい」


これまでだって地方任務が入ることはあったし、要が長期不在になることも珍しくない。


抱えている仕事をいちいち報告し合うような距離感の兄妹ではないので、地方に出かけたと訊けば、気を付けてねとメッセージを送る程度だ。


けれど、このタイミングで要がこの町を離れてくれたことにはほっとした。


あれ以来、どんな顔をして彼の前に立てばよいかわからないのだ。


どんなに取り繕って妹の振りをしてみても、もうぎこちない態度しか取れない気がする。


「・・・いえ、なにも。私も最近会ってませんし・・・連絡もとくには」


「そっか・・・あのさ、まりあ、要と何かあった?」


「なにかあるほど関わってませんよ。お互い別の仕事持ってますし」


「・・・そうなんだ。永季兄さんが、要から伝言預かったって言って来て、それが妹をよろしく、だったからちょっと気になっちゃって」


「・・・・・・そうですか。別に喧嘩してませんから、心配しないでくださいね」


実際になにも起こっていないのだから、これ以上梢に何と言えばいいのかわからない。


あの日要が自分に向けて来た眼差しは、オメガの発情期ヒートに充てられたせいなのか、それとも別の意味があったのか。


賢明な梢は、まりあの無言の拒絶にちゃんと気づいてくれた。


「・・・・・・うん。あ、そうだ。須磨さんそーとー凹んでたらしいわよー。行きつけの店で管巻いて泣いてたって。まりあのこと、本気だったんだね」


「本気も何も、告白されたこともないですし・・・食事に誘われたくらいじゃ気があるなんて気づきませんよ。あの人ずっと同じテンションだし」


言葉にして告げられたわけでもないのに、もしかしてと勝手に想像して盛り上がる趣味はないし、須磨の軽口は会社に入った時からずっと変わらない。


誰とでもすぐに打ち解ける彼が、社長号令による飲み会以外顔を出さないまりあとコミュニケーションを取ろうと誘ってきているのだろう、と深く考えずに飲みニケーションお断りですと言い続けていた。


「まりあを口説くときにはちゃんと分かりやすい態度で示さなきゃダメなんだ」


ふむふむ得心した表情で頷いた梢に続いて、事務所の入り口から聞きなれた男の声が聞こえて来た。


「あ、それなら俺は得意なんでご心配なく」


「やりすぎて爪を立てられないようにね。やあ梢。時間が出来たから迎えに来たよ」


確かめるまでもない、梢の夫である幸徳井と、秘書の虎島である。


額を押さえるまりあをチラッと見て迷う梢に向かって、幸徳井が帰ろうと手招きしてきた。


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