第35話 求愛超過その1 

「まりあ、おまえ虎島さんと付き合ってるのか」


定時を過ぎて40分ほど経ったところで会社に戻って来た義兄の要から、開口一番そんな質問が飛んできて、まりあはキーボードを叩く手を止めた。


彼とこうしてちゃんと会話をするのは、突発的発情トランスヒートを起こして以来だ。


近づいてくる彼がいつも通りの冷静そのものでホッとする。


彼の瞳の中に見えた焔は、見間違いだったと思いたい。


梢の家族挙式当日は、要は父親と一緒に有栖川のサポートに回っており、まりあは舞子と二人で梢の側についていたので、まともに顔を合わせる時間もなかった。


すでにお互い実家を出て独り立ちしているので、会社で会わない限り会話なんてほとんどない。


誰からその話が回ったのか、考えるまでもなかった。


「・・・・・・お父さんの耳にも入ってる?」


「まだ入れてない・・・が、時間の問題だ。あの夜の須磨さん酷かったぞ。アプローチしてたのに見向きもされなかったって泣くわ喚くわ・・・」


家族挙式の夜、まりあはその後の宴会には参加せずに真っ直ぐ家に帰った。


有栖川の内輪の飲み会の惨状はだいたい想像がつく。


毎回一人は泣いて、一人は吐いて、一人は踊って、一人は脱いで、一人は歌う。


だからいつも同じお店を貸し切りにして貰うのだ。


もちろん料金は迷惑料を上乗せしてお支払する。


「見向きもって・・・・・・本気だと思わなかったし・・・半分以上社交辞令のつもりだったのよ・・・・・・社内の相手は選ぶなって最初に教えたの兄さんでしょ」


「・・・まあ、そうだけどな・・・・・・なんで、虎島さんなんだ?」


「・・・そんなのこっちが訊きたいわよ」


「は?なに、おまえ流されて付き合ってるのか?それとも弱みでも握られて・・・」


気色ばんだ声を上げた要が、探るような視線を向けてくる。


仕事とプライベートはきちんと分けて来たし、彼氏がいた時も要から何か言われたことなどなかった。


性格にもよるのだろうが、要とまりあの距離は、有栖川兄妹ほど近くはない。


照りつける太陽のような暑苦しさで弟妹を包み込む永季の性格とは正反対の要は、まりあが妹として乾の家に引き取られてからも、積極的にコミュニケーションを取ろうとはしなかった。


もともと大人しい性格だったこともあって、お互い手探りで義兄妹の絆を深めていったのだ。


だから、未だに要のことは知らない事の方が多い。


それは要も同じだろうけれど。


まさか義兄から、超プライベートな恋愛事情に口を挟まれる日が来るとは。


「ないない。私が流されるようなタイプに見える?」


「・・・・・・おまえ、虎島さん苦手だっただろ?」


「得意では無かった・・・・・・名前で呼ばれるのも嫌だったし・・・・・・でも、いまは・・・・・・あの人のおかげで、救われてる部分がある」


「なんだそれ・・・・・・おい、何かトラブルに巻き込まれてるわけじゃ・・・」


「違うから・・・・・・そうじゃなくて・・・・・・自分でも上手く言えないけど・・・・・・特別なのよ」


「だからなにが?」


苛立った口調で要が詰め寄って来る。


平気だと思ったのに、こうして距離を詰められると、自然と身体がこわばってしまう。


いまのまりあは発情ヒートも起こしていないし、体調だって崩していない。


どこにも隙なんて無いはずなのに、要があの日のように手を伸ばして来たらと思うと、逃げ出したくなる。


「なにって言われても、上手く言えないってば・・・とにかく、別に弱み握られて脅されてるとかじゃないから・・・」


必死に笑顔を浮かべて、彼の目を見ないように返事を投げた。


ついこの間まで嫌いだと口にしていた男に鞍替えしたまりあが信用できないとでも言うように、要が顔をしかめる。


「・・・おまえ、父さんに訊かれたらなんて答えるつもりだ?」


「・・・・・・・・・そ・・・れは・・・」


「相手は幸徳井の側近だぞ、分かってるのか?」


幸徳井がその名を轟かせている世界は、まりあ達が生きている世界とは異なる。


表仕事の秘書とはいえ、虎島も無関係ではいられない。


有栖川のようにすべてを承知で幸徳井の下についている人間や、要のようにそうなるべく育てられた人間と、まりあは違う。


乾は、まりあを梢の側仕えに差し出しはしたが、有栖川に深入りさせるつもりはないのだ。


梢が、有栖川の裏側について詳しく知らずに生きているように、まりあにも同じ選択をさせたいと義父が望んでいる事は、まりあにも重々理解できていた。


だから、社内恋愛には見向きもしなかったのだ。


「そ、そんなこと分かってるわよ!」


「父さんの前で、虎島さんの事が好きだって面と向かって言えるのか?」


切りつけるような問いかけに、一瞬だけ怯んでしまった。

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