第24話 変幻暗躍その1

ダァン!ドォン!


有栖川警備の事務所の隣にある給湯室では、さっきから物騒な音が響いている。


給湯室に籠っているのはまりあで、その手には先日社員の手によって丁寧に研がれたばかりの包丁が握られていた。


まな板の上の獲物を睨みつけて、懇親の力で包丁を振り下ろす。


ダァン!


また大きな音が響いた。


「あのう・・・・・・まりあ・・・」


背後から聞こえて来た梢の怯え切った声に、まりあは視線を獲物から逸らすことなく答える。


「お嬢様、危ないから離れててくださいね。服が汚れますよ」


エプロン姿のまりあはどれだけ液体が飛び跳ねても問題ないが、今日も夕方から幸徳井と出かける予定のある梢のデート服が汚れてはことである。


ここ最近やっとクローゼットが華やかになったところで、まりあとしても梢がオシャレに目覚めてくれて嬉しく思っているので、折角のお洒落着を傷めて欲しくはない。


「汚れるって・・・一体何を・・・」


隣に回ってまりあの手元を覗き込んできた梢が、わあ、と声を上げた。


「垂水さんがお得意先から、パイナップル頂いたんです」


いつもありがとうねぇ、と雇った用心棒に手土産を持たせてくれる顧客は少なくない。


殆どの得意先が、有栖川と懇意にしているせいもあって、どこに行っても何かしらの歓迎を受けるのだ。


先日は大量のお寿司の差し入れを貰って、食べきれずにご近所に配り歩くことになった。


日持ちするものばかりとも限らないので、今日のような果物は、ひとつだけで十分である。


缶詰か、カット済みのものしか見たことが無かったので、とげとげの葉っぱがついた絵にかいたようなパイナップルを受け取った時は途方に暮れてしまったのだが、今のご時世ちょっとネットで調べれば、パイナップルの食べ方はすぐにわかる。


かなり大きめのパイナップルだったせいもあって、これが結構な力仕事なのだ。


上の葉の部分を切り落として、縦半分に切らなくてはならないのだが、なかなか上手く行かない。


自分のなかにある色んな迷いを包丁すべてに込める勢いで押し切れば、どうにか半分ほど包丁を押し込むことが出来た。


「パ、パイナップル切るので・・・こんな惨状になる?」


頬を引きつらせた梢が、振り向いたまりあの汚れたエプロンを呆然と見つめて来た。


「それだけジューシーってことですよ、お嬢様。お出かけ前にお出ししますから、もうちょっと電話番お願いしますね」


「それはいいけど・・・・・・あのね、まりあ・・・・・・悶々とする気持ちを包丁にぶつけるのは危ないから・・・」


「え?悶々となんてしませんよ」


しまった、顔や態度に出てしまっていたようだ。


ここ最近隙間時間に思い出すのはいつも虎島のことばかり。


不意打ちのキスに始まって、了承なしの勝手な花婿候補宣言の後も、虎島は困り顔のまりあの顔を暇さえあれば見に来るのだ。


幸徳井のお供で、と本人は言っているが、これではどっちがお供か分かったもんじゃない。


梢を連れて幸徳井が部屋から出ていくと、当然残されたまりあは虎島と二人きりになるわけで、梢の部屋が静まり返ったらそれはそれで心配になるし、急にテレビの音が聞こえて来ても心配になる。


中で何が行われているのかと考えるだけでソワソワと落ち着かない気持ちになって、そんなまりあを見て虎島は楽しそうに笑っているのだ。


そのうえあんな・・・あんなキスをされたら、恋愛から遠ざかって数年が過ぎたまりあの身体はあっさりと熱に侵されてしまう。


心よりも先に身体のほうが陥落させられてしまいそうだ。


むしろ虎島はそれを狙っているようにも思える。


乾まりあではなくて、乾まりあの中に眠るオメガが、アルファの虎島に惹かれてしまう。


駄目だ、どれだけ考えても堂々巡りが続くだけ。


今朝は抑制剤を飲んでいるにも拘わらず、何となく身体が熱っぽいから、もしかするとまた具合が悪くなるのかもしれない。


疲れは溜め込まないようにしているつもりだけれど、動き続ける思考だけはどうしようもない。


会うたびに急接近してくる虎島に振り回されて、離れた後も彼の事が頭から離れない。


当然夜の寝つきも良くない。


「まりあ、残り私やるから、ちょっと向こうで休憩したら?」


「駄目ですよ。万一指でも切ったら幸徳井さんに何を言われるか」


「別に私が自分の不注意で怪我をしても、颯はまりあに何も言わないって」


「甘い!甘いですよ、お嬢様!あの幸徳井さんですよ!?お嬢様に何かあったら、側仕えの私に蛇みたいに絡みついてネチネチ嫌味言うに決まってるじゃないですか・・・・・・っ」


だから向こうで待ってて下さい、と続けようとした矢先、急に身体が重たくなった。


それと同時に腰の奥が疼き始める。


身に覚えのある嫌な感覚は、あの夜と同じだ。


これは、恐らく発情ヒート


シンクに手をついてしゃがみこんだまりあに、梢が慌てた様子で声を掛けてくる。


「ど、どうしたのまりあ!?」




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