第8話 愛執染着その2

「だ、だって、飲まなきゃ眠れないんですもん・・・・・・毎日不安だし・・・ニュース見るたびびくびくするし・・・・・・」


「だから、俺の連絡先を・・・・・・発情期ヒートしたら連絡しろとしか言わなかったか・・・・・・悪い」


聞きなれない単語が耳に届いたけれど、それよりも悔しそうな彼の謝罪のほうが胸に刺さった。


虎島は、本当に真摯にまりあを助けようとしてくれていたのだ。


「・・・・・・・・・ほんとに、こんなことになるなんて、思わなくて・・・・・・」


「電話貰ってから、10分程度で到着した。周りには誰もいなかったし、襲われた形跡もなかった。だから、安心していい」


「・・・っっ・・・・・・はい・・・・・・・・・助けてくれて・・・・・・ありがとうございます・・・」


「とりあえず、俺の言った事信じる気になったよな?」


この状況でまだ信じられないと突っぱねられるほど夢見がちではない。


突き付けられた現実は恐ろしいけれど、目を背けてはいられないのだ。


「・・・・・・なりました」


こくんと頷いたまりあの頭を大きな手のひらが優しく撫でた。


顔色を確かめた彼が、廊下の向こうを指さす。


「んじゃあ、とりあえず、シャワー浴びてこい。話はそれからしよう。あと、あんたの履いてたズボンと下着、乾燥機の中だから」


「・・・・・・・・・っす、すみません・・・・・・」


逃げるように教えられたバスルームに駆け込んで、目の前の洗面台の鏡に映る自分の顔を見て、愕然とした。


信じられないくらい、満たされた顔をしていたから。






・・・・・・・・・・






「えっと・・・・・・じゃあ、私がオメガ・・・ってこと・・・ですか」


シャワーを浴びてどうにか平常心を取り戻したまりあに、虎島が差し出したのは海外の論文を翻訳した資料の束だった。


綴られている内容が難しすぎて、専門用語が多すぎて、お世辞にも勉強が得意ではなかったまりあにはどうにも受け入れがたい。


ひとまず、世界の人間を三分類した縦長のグラフの意味だけはどうにか正しく把握することが出来た。


大多数の一般人ベータのさらに上の頂点におわす社会的地位の高い少数のエリートアルファ。


最下層にアルファの約半分ほどの超少数で存在しているとされている、オメガ。


ああ、ここでもやっぱり自分は最下層のあぶれ者なのだ。


「分類的にはそうなるな。まだ世界的にも知られてない症例で、今分かってることは、オメガは思春期以降にその性質に目覚めるとされていること。ここ最近ニュースで上がって来てるのは、10代後半の女性の事件ばっかりだろ?でも、目覚めの遅いオメガも当然存在する、まりあちゃんみたいに。何がきっかけで目覚めるのかまでは解明されてないし、原因も当然不明。ここまでわかるか?」


「・・・・・・なんとなく・・・分かります」


「で、こっからが本題な。オメガは、定期的にヒートと呼ばれる発情期を迎える。つまり、さっきみたいな症状がこれからもたびたび起こるんだ。ある程度周期はあるとされてるらしいが、当然個人差があって、突発的に発情ヒートに見舞われることもあるらしい。さっきのアレ、予感あった?」


「無かったです・・・・・・ほんとに、普通に買い物して帰ろうとして・・・急に」


「ふーん・・・・・・俺は、他人の熱に当てられるのかと思ってたんだが、違うんだな」


「どういう意味ですか?」


「こないだの、颯さんと梢お嬢さんのやり取り見ただろ?ああいうのを目の当りにしたら、そうなるのかとちょっと思ってたんだよ」


扉一枚隔てた部屋から漏れ聞こえてくる梢の甘ったるい声と駄々洩れの雰囲気。


思い出しただけで恥ずかしくなる。


「な、なりません・・・・・・ほんとに、普通に寝てても急にやらしい気分になったり、身体が火照ったり・・・・・・するし」


「自分でどうにかできるレベルなら問題ないんだけどな。今日みたいな事があると困るだろ?まりあちゃんには特定の相手が居ないし」


「・・・・・・・・・それは・・・はい」


恋人が居れば、甘えて強請って抱いてもらえば事足りるかもしれないが、まりあはもう何年も恋人が居ないし、こういう体質だと判明した以上、ますます恋が縁遠くなってしまった。


心より先に身体が発情するだなんて、もうどんなに足掻いても、少女漫画のヒロインにも、シンデレラにもなれないのだ。


「いま、国内で発情期ヒートを抑える薬が開発されてる。認可は当分先になるだろうが、すでに臨床試験を行っていて、オメガへの投与も行われてるらしい。で、これが、その薬。まだプロトタイプだけど、効果はそれなりって報告を貰ってる。一日二回までは服用可能。実はさっきも、これを飲ませた。ただ、効いてくるまでに結構時間が掛かる。多分、1時間以上。だから、抑制剤は早めに飲んで症状を抑え込む形が望ましい」


テーブルの上に置かれた見た目はごくごく普通の市販薬のようなカプセルが、これからは命綱になる。


「・・・・・・・・・これ、頂けるんですか?」


「そのつもりで貰ってきた。開発元は西園寺製薬で、出どころも確かだから安心していいよ」


「あの・・・・・・・・・どうして、ここまで・・・?」


オメガバースに関する知識があったからだとしても、虎島がここまで自分に肩入れしてくれる理由が分からない。


梢の言葉を借りるなら、それくらい、自分に本気だと、いうことだろうか?


探るような視線を向ければ、まりあの両目を覗き込んで、虎島が見覚えのある読めない食えない笑えない笑みを浮かべた。


「じゃあ、ここからは俺の話をしましょうか」

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