第7話 愛執染着その1

これまで夜中に感じていたもどかしさは、恋人が居た頃に覚えたそれで、満たされた身体が熱を求めて寂しいと訴える感覚にどこか似ていた。


自分じゃない誰かの温もりと匂いに包まれて甘えながら眠りたいと、寂しいアラサー女子が抱いた虚しい願望。


ほんとうに、それだけだったら良かったのに。




シャワーの後、楽しみに取っておいたはずの冷蔵庫のアルコールが切れている事に気づいて、少し迷って、駅前のコンビニまで歩く事にした。


虎島の話を聞いてから、熟睡できない夜が増えた。


急に不安にさいなまれて夜中に飛び起きることも珍しくない。


彼はこの症状を、病気ではなくて性質だと言った。


一生抱えて行く性質だと。


そのうち自分もニュースで報道されていた被害者たちのように、理性を失くして街中で男を誘うようになるんだろうか。


どんどん大きくなる不安を一刻も早く拭おうと、ストロング缶を2本買って店を出てしばらく経った頃、急に身体が火照り始めた。


勝手に駆け足になった鼓動が指先に甘い痺れを伝えて来て、何もしていないのに腰の奥からとろりとした蜜が滴り落ちた。


じゅわりと全身が潤んだ感覚に襲われた直後、動けなくなってしまった。


公園の側の植え込みに座り込んで、必死に呼吸を落ち着かせようとするけれど、押さえた胸の先が誇張するように尖っていて自分がまさにいま虎島に言われた通りの症状に陥っていることに気づいた。


濁っていく視界のなかで、震える指でスマホをタップして登録して以降一度も呼び出していない番号にコールする。


彼がもしも電話に出てくれなかったら、自分はいったいどうなってしまうのだろう。


遠くから聞こえてくる若い男女のグループの楽しそうな会話に、ぎゅうっと強く目を閉じた。


自分では分からない香りに誰かが気づいて近づいてきたら、理性を失ってしまったこの手を握りしめて堪えられるか分からない。


『・・・はい、もしもし?』


「・・・・・・・・・た、すけて・・・・・・虎島さん」


欲情した自分の声を初めて聞いた気がした。







・・・・・・・・・・






見知らぬ高い天井と、嗅いだことの無い匂い。


これは煙草の匂いだ。


けれど、兄の要が吸っているメンソール系のそれとは異なる、煙草らしい煙草の匂い。


ゆっくり吸い込んで、目を閉じて、息を吐く。


普通に呼吸ができている事に気づいて、我に返った。


「・・・・・・・・・あ」


小さく声を上げてしまったのは、こちらを覗き込んでいる男と目が合ったから。


「ん、気分は?ああ・・・・・・・・・悪い」


慌てて咥え煙草を後ろの灰皿に押し付けて、虎島が眉を上げた。


上げているところしか見たことのない前髪が下りて来て、彼の実年齢は知らないが、いくらか若く見える。


シャワーを浴びた後なのだろう、濡れた黒髪の先に雫が光って見えた。


「・・・・・・だい・・・じょうぶ・・・です・・・・・・あの・・・・・・」


寝かされているのがベッドだと理解して、見回した部屋の雰囲気から察するにここは彼の部屋だろうと推測される。


が、虎島に電話を架けた後の記憶が殆ど残っていない。


ゆっくりと身体を起こしたら、外れたままの背中のホックと、何も身に着けていない下半身に気づいた。


これは、おそらく、いや、間違いなく。


「脱がせる以外の選択肢がない状況だったから、脱がせた。明かりは落としたまましたし、見てない」


「・・・・・・・・・う、あ・・・・・・・・・はい・・・・・・すみません・・・」


「後、触ったけど、してねぇから」


「・・・・・・・・・え?」


「あんな状況で抱かれるの、嫌だろ?」


「・・・・・・・・・」


それはもう全くもってその通りなのだが、自分がどれくらい理性を失っていたのかも何となく理解しているし、本当だろうかと膝頭を擦り合わせて、違和感が残っていない事に気づいた。


事後の名残らしきものはあるものの、久しぶりに男に抱かれたにしては、どこも痛くないし異物感もない。


「~~っ」


この部屋に連れてこられたあとの事はよく分からないが、どこか疲れた様子の虎島を見る限り、決して楽な介抱ではなかったのだろう。


「なんで風呂上がりにわざわざ徒歩でコンビニなんか行くんだよ」


ベッドの脇にしゃがみこんだ虎島が、涙目になったまりあの目尻をそろりと拭う。


指に染み付いた煙草の匂いは、少しも嫌じゃなかった。


目を閉じて無意識に頬寄せたら伸ばした小指で耳の後ろを擽られる。


甘やかすような仕草に、さっきまでどんな風に触られていたんだろうと胸の奥が不意にきゅうっとなった。


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