第4話 千載一遇その2
結婚前から幸徳井颯の溺愛は凄まじく、恐らく新婚生活が始まればその熱量はさらにヒートアップするだろうと予想される。
結婚後も梢との関係は続けて行くつもりだし、それを有栖川家も乾家も了承しているけれど、この調子だとすぐにベビーシッター役に任命されてしまいそうだ。
育児書でも読み込んでおくべきだろうか。
詮無いことを考え始めた思考を押しとどめて、溜息を吐いたら、じくりと腰の奥が疼いた。
最近頻繫に感じるようになった違和感だ。
ここ数年恋人もおらず、すっかり男日照りに馴染んでしまった身体が、どうして急にこんな反応を示すのか。
真夜中に身体の火照りを覚えて目を覚ますことが増えて、水を飲んでも渇きは満たされず、その代わりのように内ももの奥のあらぬ場所が潤んでいて、久しぶりに人肌が恋しくなったのだろう、と最初の内は勝手にそう認識していた。
けれど、そうなる回数が次第に増えて、どうにも堪え切れなくなって、一人きりのベッドで数年ぶりの自慰に耽った。
交際相手が居た頃も、性欲は決して強くはなかったし、求められれば応じる程度で、正直してもしなくても、どちらでもよかった。
当然自分で自分を慰めたことなんてない。
学生時代興味本位で触れて上り詰めたことはあったけれど、羞恥心と罪悪感のほうが勝ってしまって結局それっきりだった。
それなのに。
『身体、辛くなるんでしょう?』
いつもの読めない食えない笑えない虎島とは違う、真摯にこちらを窺う彼の眼差しを思い出す。
「・・・・・・あの、お嬢様」
「んー?なに」
駅前まで出たついでに、会社に差し入れを持って帰ることに決めた梢が、人気パティスリーの店先を覗きながら返事をくれる。
ショーウィンドウに映った梢とまりあは、まるでどこにでもいる仲の良い友人同士のようだ。
ごくごく平凡な普通の。
「私、何か匂いとか・・・します?・・・・・・あの、花の・・・」
「え?いつもまりあが付けてるブランドの香水の匂いしかしないけど?」
身体を近づけてくんくんと匂いを嗅いだ梢が不思議そうに尋ねてくる。
「そう、ですよね・・・・・・洗濯の時に柔軟剤入れすぎたかなと思って・・・気にならないならよかったです」
「まりあは出会った時からいつもいい匂いよ。嫌な匂いがしたことは一度もない。ここのお店にしようか?それとも、通りの向こうの・・・あ、やっぱりエクレアにしよう!」
何かを思い出したように、梢が横断歩道に向かって歩きだす。
「二人で初めて駅前で待ち合わせをして買い食いしたのはエクレアでしたね」
「そうよー。私があっという間に食べ終えたもんだから、気を遣ったまりあが半分譲ってくれたのよね」
「あの頃のお嬢様は、味わうよりも栄養を取り込むって感じでしたもんね。上手く色々育って本当に良かったです。ちょーっと腰回りが心配ですけど・・・・・・でも、殿方はこれくらいボリュームがあるほうが、喜ばれますよ」
「・・・・・・気にしてるんだから言わないで」
「ガリガリよりもいいじゃありませんか。女の子は甘く柔らかくないと・・・・・・」
赤信号で立ち止まった拍子に、通りの向こうの大型ビジョンに映し出されたニュースの文字が視界に飛び込んできて、一瞬息が止まった。
まりあの視線を追いかけた梢が、キャスターが読み上げるニュースの内容に眉を顰める。
「女子高生に乱暴って・・・・・・最低ね・・・・・・被害者と加害者の供述に食い違い、了承の上だったとの報告もって・・・・・・・・・はあ?・・・お父さんが見たらテレビ壊しちゃうわ。こんなクズ男地獄に落ちればいいのよ・・・・・・・・・・・・あれ、でも・・・なんかこの前も同じような事件が報道されてたような・・・」
「・・・・・・それだけ物騒な世の中だって事ですよ・・・・・・気をつけましょうね。嫁入り前の大切な身体なんですから。こないだ須磨さんが繫華街で絡まれてる女の子助けたって言ってましたし・・・」
「それはまりあも一緒でしょう?私が結婚したら、ちゃんと自分の幸せ探してくれるのよね?虎島さんは、相当まりあにご執心みたいだけど・・・・・・」
「・・・・・・・・・私みたいな女が珍しいから、からかわれてるだけですよ」
本気じゃありません、と突っぱねるように言い返してしまったのは、不安がどうしてもぬぐえないから。
「本当にそう思ってる?・・・まりあなら、相手が本気で口説いてるかどうか、わかると思うけど・・・」
「・・・・・・他人のことより、自分のことを考えてくださいね。さあ、エクレア買って帰りましょう!お嬢様は今日は二個、食べますよね?」
無理に笑顔を浮かべて青になった横断歩道を先に渡り始めれば、慌てて梢が追いかけて来た。
昨日虎島が伝えて来た話が本当ならば、まりあは一生出産はおろか、結婚すら出来ないだろう。
この先一生、誰かを愛する事も、心から信じることも出来ないかもしれない。
それなら、なおさらいま手のひらの中にある幸せを大切にしなくてはならない。
あの日抱いた夢や憧れを具現化させて、幸せを自分の手でつかみ取った本物のシンデレラの側で、彼女の笑顔を見守り続けることだけが、この先生きていく光になるだろうから。
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