第11話 愛及屋烏その1
聞いたことの無い属性名と共に突き付けられた現実は、そう簡単に受け入れられるものではなくて、けれど刻一刻と変化していく自分の身体を無視することも出来なくて、せめて顔も知らない空の上の誰かを罵ってやろうと心に決めた瞬間、脳裏をよぎったのはあの日の出来事だった。
誰かを心底羨んで、誰かを心底憎んだから。
これは自分への罰なのではないだろうか。
醜い感情にどうにか蓋をして上っ面で平然と嘘を吐いた自分への、戒めなのではないだろうか。
もう、だれのことも愛せないように、神様が仕組んだ質の悪い悪戯なのではないだろうか。
・・・・・・・・・・
「お嬢・・・梢さん、お茶、お願いしますね」
応接から戻って来た梢を捕まえて、給湯室を指さした途端、それは無理と困った顔を返された。
無理の意味が分からない。
幸徳井の本日の来訪目的は、梢ではなくて有栖川だった。
仕事の依頼に訪れたらしい。
とはいえ、仕事中の婚約者が顔を覗かせたのだから、お茶を運ぶのも梢であるべきだ。
間違いなく本人もそれを期待しているに違いない。
「無理ってなんです、私のほうがもっと無理ですからね」
いつものように同行している虎島とは、是が非でも顔を合わせたくない。
だって気まずすぎるから。
それなりに真面目に生きて来た梢は、当然ワンナイトの経験なんてない。
行きずりではないにしろ、あんなことがあった相手とその後どうやって挨拶を交わせばよいのかさっぱりわからない。
そのうえ、直後に口説かれているから尚更だ。
「虎島さんが、乾にお茶持って来てほしいって」
「そんなの知りませんよ!誰が淹れたって美味しいお茶用意してますから、お嬢様行ってください!」
早口でまくし立てて、梢の背中を給湯室へと押しやってから大急ぎでその場から逃げた。
渡された抑制剤は、あの日からずっと飲み続けている。
多少のだるさや胃の不快感はあるものの、あのどうしようもない熱に身体を灼かれるよりはマシだ。
おかげで
時折襲ってくる不安をどうにかやり過ごしながら、表向き普通の日常生活を送れている。
だから、大丈夫のはずだ。
足早に廊下を抜けて、表玄関から外に逃げようか迷って、やっぱり非常階段へつま先を向けた。
少しでも見つかる可能性を低くしたかったのだ。
喫煙所に行くのが面倒くさい古参の社員たちが、こっそり踊り場で一服していることは知っていたが、用事の無いまりあはほとんどそこを利用したことがない。
幸い一服中の社員は居なくて、ホッと胸をなで下ろしながらゆっくりと外階段を中ほどまで下りて、腰を下ろす。
ここでしばらく時間を潰してからフロアに戻ろう。
虎島だって仕事で来ているのだから、いつまでもしつこく探したりはしないはずだ。
午後の日差しを受けながら膝を抱えて目を閉じると、ここが会社なのか、自宅の部屋なのかわからなくなる。
あれ以来眠りが浅くなって睡眠不足が続いていたので、心地よい気温と日差しで一気に眠気が膨れ上がった。
うつらうつら夢と現の境目を揺蕩う事しばし。
「お、見ぃーつけた」
真上から聞こえ来た声に慌てて目を開けた時には、虎島が軽快に外階段を降りて来るところだった。
立ち上がろうとしたまりあの肩を押しとどめて、前に回り込んだ虎島がいつもの読めない食えない笑えない、な独特の笑みを向けてくる。
本当に、なんなのこの人。
「かくれんぼならもうちょっと裏を掻かなきゃいけませんよ」
誰がかくれんぼだ、勝手なことを言わないで欲しい。
「外階段まで見に来るなんて、非常識よ!」
仮にもここは有栖川の会社なのだから、客人である虎島は勝手にウロウロするべきではない。
いくら幸徳井と有栖川の縁が深くとも最低限の常識は守ってもらいたいものである。
いまは、とくに!!
「いやぁ、なんとなくこっちにいるような気がして」
当たりでしたねぇ、と意地の悪い笑みを浮かべる虎島を必死に睨みつけようと視線を持ち上げるも。
「~~~っ」
彼からされたコトと言われたコトを思い出して、逃げるようにつま先に視線を落としてしまった。
優しくされた。
甘やかされて、満たされた。
蕩けるような熱情の夜。
「あれ?俺、結構あの鋭ーい目線好きなのに」
残念だなぁといつも通りのからかう口調で言われて、過剰に避けて動揺しまくっている自分が情けなくなってくる。
大人なのだから、一夜の過ちだと割り切ればよかったのだろうか。
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