第53話 smalt-2
「まあそう・・・理汰くんもお嫁さん貰う歳になったのねぇ・・・この間まで学生さんだったのに・・・早いわねぇ・・・うちの孫もこの間七五三したと思ったら、あっという間に小学生よぉ」
どうぞ好きなだけ見て行ってちょうだいね、と香りのよいアールグレイをご馳走してくれた安田夫人は、なんともおっとりとした有閑マダムだった。
ずっと専業主婦で外に出たことの無い彼女の趣味だというパッチワークで作られたソファーカバーやクッションカバーが温かい雰囲気を醸し出すリビングは、抜群に日当たりが良い。
永子が週明けすぐにアポイントを入れて、その週の日曜の午後に、理汰と永子と手土産を片手にお邪魔させて貰ったのだが、羽柴家とはまた異なる趣のある家は、そこかしこに家族の思い出が飾られていた。
警察官姿の息子さんを囲んだ家族写真を始め、生まれたばかりの孫を抱いた微笑ましい写真や、家族旅行の写真を見ると、安田家の仲の良さが窺える。
「子供はほんとにあっという間に大きくなるから・・・」
「息子の部屋もね、そのままにしてあるんだけど、クローゼットも広いし、主寝室にしてもいいと思うわ。夫が畳で寝たいって言うから、私たちは和室で寝起きしていたんだけど、4.5畳だと物が置けないのよねぇ。押し入れはあるんだけど、ほんとにお布団敷いておしまいになっちゃうのよ」
「うちなんて、和室はほとんど閉めっぱなしで物置状態よ」
「そうなっちゃうわよねぇ。遠慮せず水回りも、奥の部屋も見て来てちょうだいね。永子さん、緑茶入れるから、おもたせのおはぎ頂いちゃっていいかしら?」
「ええもちろん」
「嬉しいわぁ。御影堂、美味しいんだけどちょっと遠いのよねぇ。夫が居た頃は買い物ついでに寄ってたんだけど、一人だとバスに乗るのも億劫になっちゃって」
「わかるわぁ。私も最近は何でも理汰に頼りっぱなしよ」
「せっかく息子が側に居るんだから使わなきゃねえ」
ふふふ、と笑みをこぼす安田夫人に断りを入れて、リビングを出て理汰と二人で廊下を挟んだ先にある洋室を見に行く。
和室が真ん中にある間取りなので、リビングから和室への出入りは可能だが、洋室二部屋は廊下に出ないといけない作りになっていた。
「6畳の洋室2部屋は、理汰のとこと広さは一緒?」
「うん。そうだね。俺の部屋と母さんの部屋がそれぞれ6畳・・・・・・綺麗にしてあるな」
玄関に近いほうの洋室のドアを開けると、すっきりとしたグレーのリネンで統一された一人息子の勉強部屋だった。
学習机がそのまま残されており、本棚には懐かしい参考書や漫画が並んでいる。
定期的に掃除されているのだろう、埃っぽさは微塵も感じない。
「・・・ここで家族で暮らしてたんだねぇ」
今にも玄関ドアを開けて、一人息子が帰ってきそうな気がする。
それくらい、生活感にあふれた家だった。
この家で、もしも理汰と暮らし始めたら、ここは寝室になるのだろうか。
リビングには、お気に入りのソファーを置いて、週末には二人で晩酌を楽しんで、時には永子さんを招いて。
いまの生活の延長線上に、それはある。
もしも、いま智咲が彼の手を取らなかったら、いつか理汰は別の誰かとこの家に住むかもしれない。
理汰は自分じゃない誰かと晩酌をして、めいっぱい妻を甘やかして、自分じゃない誰かを永子さんは実の娘のように可愛がって。
「・・・・・・うわ、嫌だな」
思わず声に出して言ってしまった。
「え?どっか嫌なところあった?」
不安そうな顔でこちらを振り向いた理汰に向かって、小さく笑う。
答えは信じられないくらい、シンプルだ。
「ううん。違う。そうじゃなくて、この家に、あんたが私以外の誰かと一緒に住むのは嫌だなぁって・・・永子さんと仲良くされるのも、理汰に優しくされるのも、私じゃないと嫌だなぁって思ったの。正直、ほんとに結婚ってよく分かんないし、上手くやってける自信もあんまりない。でも、それ以上に、理汰が別の誰かと結婚すんのは死ぬほど嫌だわ。だから、結婚しよう。んで、ここで一緒に暮らそう」
智咲の言葉に、理汰がはあーっと重たい溜息を吐いた。
まさかそんな反応を返されるとは思ってもみなかった。
もうちょっと喜んでもらえると思ったのに。
「え?駄目だった?」
困惑気味に投げた問いかけに、理汰が苦笑いと共に肩に頭を乗せて来た。
そっと背中に腕が回されて閉じ込められる。
「・・・駄目じゃないよ。ずっと待ってた・・・・・・こうなったら婚姻届け持って迫るしかないなって、ちょっと本気で思ってたから・・・」
「あんたそんなこと考えてたの」
これはそうとう待たせてしまったようだ。
申し訳なさでいっぱいになって、優しく背中を撫でたら、きつく抱きしめられた。
それでも苦しくないのは、理汰からの愛情でくるまれていると思えるからだ。
「考えるよ・・・だって他に結婚したい相手なんていないし」
「うん・・・ありがと。これから、色々あるかもだけど、よろしくね。出来るだけ、人並みな妻を目指すからさ」
精一杯の宣言を返せば、理汰が少しだけからだを離して智咲の顔を覗き込んできた。
ぶつかった視線が綻んで、幸せが溢れる。
「別に目指さなくていいよ。迷ったら、そのたび一緒に考えよう。夫婦になるんだし。俺は一生智咲さんの味方でいるから、心配しなくていいよ」
何とも頼もしい理汰の発言に、感動して目元を潤ませたら、二人を呼ぶ永子の声が聞こえて来た。
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