第52話 smalt-1
「でねぇ、ほら、安田さんのお宅ってうちとおんなじ間取りの3LDKなのよ。だからちょうどいいでしょ」
「うん、ちょうどいいね」
ほろ酔いの永子の言葉に真っ先に頷いたのはやっぱり理汰だった。
最近は、月に二度は羽柴家で飲むようになって、この日も夕方早めにお邪魔させて貰って理汰の手料理に舌鼓を打ちつつ美味しいお酒を楽しんでいたのだが、急に始まった安田さんのお宅の話に、智咲はさっぱり話についていけない。
そもそも安田さんってどこの誰だ?
首を傾げる智咲に向かって、理汰が眦を緩めたまま問いかける。
「智咲さん、3LDKの家ってどう?」
だから、親がいる前でそうやって砂糖まぶした視線寄越すな、と眉根を寄せながら、ごくごく一般的な感想を口にする。
智咲の既婚者の友人たちも、マンション住まいは大抵3LDKの間取りだったはずだ。
「え?ああ、まあ広くていいんじゃない?ファミリータイプの家なら大抵3LDKだろうし・・・でも、なんで?」
「よし、じゃあさっそく家の中見せてもらおう」
「はあ!?」
いきなり内覧の話が飛び出して智咲はハイボールのグラスをテーブルに戻した。
「え、なに、なにが・・・」
ぽかんと口を開いたままの智咲ににやっと笑いかけた永子が、よし来たと頷く。
親子二人で勝手に話が進んで行って、智咲は完全に置き去りのままだ。
「明日にでも安田さんに連絡入れてみるわ」
「うん。よろしく」
「安田さんの好物、御影堂のおはぎだからね。ちゃんと買って来なさいよ」
「御影堂かぁ・・・智咲さんも好きだよね?」
「へ、お、おはぎ?あ、うん、好きだけど、え、待って、二人で何の話してんの?」
目を白黒させながらちゃんと説明してよと訴えれば。
「何って・・・決まってるでしょ」
「あんたと理汰の新居の話よ」
息子の言葉を継いで結論を口にした永子が、朗らかに笑った。
「え?」
智咲の記憶が正しければ、付き合い始めてすぐにまあそんな話は出たけれど、智咲は明確な答えを口にしても居ないし、理汰から具体的な提案もされていない。
一緒に暮らしたい、というセリフは日常的に聞いているけれど、週末を智咲の部屋で過ごすことが常になっている今、別段不便は感じていなかった。
の、だが。
「ごめんごめん、ちゃんと説明するよ」
眉を下げた理汰に続いて、永子がビールを飲みほしてから口を開いた。
「あのね、うちの下の階に、安田さんっていう人が住んでるのよ。ご主人を数年前に亡くされてからは、ずっと一人暮らしでね。うちとおんなじ一人息子なんだけど、結婚して家を出てるの。ご主人が役所勤めだったから、私もよく知ってて、奥さんとも自治会なんかで顔合わせて喋る仲だったのよ」
「はぁ・・・」
「でね、その安田さんが、還暦過ぎてそろそろ一人暮らしは不安になって来たから、息子さんのいる和歌山で一緒に暮らすことに決めたらしくて・・・今の家手放すことにしたそうなの。安田さんの息子さんってね、和歌山県警にお勤めだからこっちに戻ってくる可能性がもうないのよ。慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいけど、先々の事を考えたら早めに移る方がいいだろうって話してたわぁ」
「で、その家手放すなら、俺たちに譲って貰えないか、って母さんが声掛けてて」
「ちょ、わ、私なんにも聞いてないけど⁉」
「言ってもどうせああだこうだ言って動かないでしょ、智咲さん」
したり顔で言った理汰が、ウーロン茶を飲んだ。
今日も彼は飲んでいない。
智咲を部屋まで送るためだ。
たぶん、智咲の部屋で飲みなおして泊まっていくつもりなんだろう。
すっかりこの生活に慣れてしまっている。
そのうえ、智咲の思考も完全に見抜かれてしまっている。
「うっ・・・」
「お尻叩くより追い詰める方が早いって私が言ったのよぅ。あんた頑固だから」
「マンションの契約更新決める前にどうにかしたいと思ってたから、良い機会だと思うことにした。ここの住人みんないい人ばっかりだし、智咲さん、通勤も乗り換えしなくて良くなるよ?」
「雨の日には理汰に送らせればいいし、私もあんたたちが側に居てくれる方が心強いわ。なんだかんだ言っても、歳には勝てないもの」
息子夫婦が近くにいてくれたら安心だわぁ、と良心に訴えるようなことを口にする永子のこれが計算だと分かっているのに、首を横に振ることが出来ない。
本当にここで決めてしまっていいのだろうか。
恋愛と結婚は違うのに。
私で、大丈夫なんだろうか。
結婚した途端、なにかが決定的にズレたり変わったり、しないのだろうか。
視線を揺らす智咲を見つめて、理汰がうーんと思案顔になった。
「とりあえず、家はまだ具体的なこと何も決まってないから、まずは安田さんのお宅見せてもらおうよ。もちろん買うにしたってリフォームは入れるけど、実際に間取り見てみたほうが、色々想像しやすいでしょ?」
それからもう一度話しよう、と切り出されて、智咲はおずおずと頷いた。
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