第51話 eggshell blue-2
「勇也!」
人ごみを抜けて本部に向かって歩き出した途端、背後から大きな声で呼ばれた。
間違いない、野田の声だ。
「!お、おとーさん!」
弾かれるように智咲の手を離した勇也くんが、勢いよく振り返る。
一拍遅れて智咲も後に続けば、すっかり日焼けしてあの頃より数倍逞しくなった野田が、息子に向かって腕を広げているところだった。
「野菜コーナーで待ってるように言っただろー?なんで離れたんだ?」
「だ、って・・・待ってても来ないからあ!」
詰る息子を抱き上げた野田が、大きな手のひらで優しく子供の背中を撫でる。
智咲が仕事で凹むたび、同じようにして慰めてくれたことを思い出した。
「ごめんごめん。知り合いの人に会って話し込んじゃったんだよ。待たせて悪かったよ・・・職員の方で・・・」
息子と目線を合わせて会話していた野田が、少し離れた場所で立ち尽くす智咲に気づいてこちらを向いた。
その両目が驚きと共に見開かれる。
「智咲ちゃん」
名前を呼ばれても、もう心は震えなかった。
「野田くん、久しぶり。来てたんだね・・・あ、いつも野菜沢山ほんとありがと」
笑顔を浮かべた智咲に、野田があの頃より穏やかな気さくな笑みを向けてくる。
ああ、もう本当に全部が過去なんだな、と改めて実感した。
「いやーびっくりした・・・久しぶりだなぁ。昔と全然変わってないな・・・いや、ちょっと華やかになった?」
最近有難いことにそんな風に言われる機会が増えた。
課長からも、なんか雰囲気柔らかくなったねぇ、と言われたし、永子には会うたび、よしよし、と意味不明な頷きを向けられている。
それらすべては言わずもがな、理汰のせいだ。
数年ぶりの恋愛が心持ちに色んな変化を与えて来ているのだ。
それはもう目まぐるしいほどに。
「変わったし歳も取ったわよ。いくつだと思ってんの」
「でも全然若いよ。アラフォーには見えない。さすが町暮らしの女性は違うなぁ」
「町暮らしって・・・ここも十分田舎だけどね。息子さん、勇也くんって言うんだ」
「うん。こっちが長男。次男は家で嫁さんと留守番中。いま松本の部下なんだろ?前に飲んだ時に話聞いてさぁ。よく頑張ってくれてるって褒めてたよ」
「私も松本くん伝いで話は聞いてる。すっかり二児のパパだって」
「ははっそっか。まあ二人で飲むと大抵子育て談義になるよ。ほら、子供の歳も近いから」
「わあー私一生入れないやつだわそれ」
「なんで、いい人いないの?智咲ちゃんが選り好みしなけりゃ、いくらでもいいのがいるだろ」
「う、あ、いや・・・」
そういえば、元カレに、現在の恋愛について報告したことは今まで一度もなかった。
永子さんの息子と付き合っている、と言ったら彼はどんな顔をするだろう。
迷う智咲の顔を見て、野田がははーんと口角を持ち上げた瞬間。
「あ、いた、智咲さん!」
背後から理汰の声が聞こえて来た。
今日はイベント応援だと伝えてあるので、何かのついでに顔を見に来たのだろうか。
すぐに隣に並んだ理汰が、智咲の前に立つ親子連れを見て怪訝な顔になる。
「えっと、こちらは?」
「ああ、えっと、元同僚の野田くん。ほら、いつもお野菜送ってくれる・・・・・・」
智咲の説明で、すぐに元カレの野田だと理解したらしい理汰が、わざとらしく智咲の手を捕まえて来た。
「いつも智咲さんから野菜のおすそ分けを貰ってます。羽柴です」
愛想のよい笑みを浮かべた理汰に、野田が一瞬面食らった顔になって、すぐに破顔する。
「ああ、そうでしたか・・・え、羽柴って・・・もしかして?」
「うん。そう、羽柴さんの息子さん・・・で・・・・・・・・・か、彼氏」
こうなっては仕方ない、と開き直って交際中である事を報告すれば。
「そっかぁ!よかったなぁ、智咲ちゃん!!いやあ、安心したよ。このまま一人だったら心配だって、松本とも話してたんだよ」
「一人になる心配はありませんので」
きっぱり言い返した理汰を慌てて睨みつける。
こればっかりは誰にも分からないはずなのに、何をそんな自信たっぷりに。
「ちょっと理汰!」
気色ばんだ声を上げた智咲と笑顔の理汰を交互に見やって、野田がうんうん頷く。
「智咲ちゃん、お似合いだよ。ほんとよかった」
心底嬉しそうな笑顔が返って来て、そういうことなら、是非とも野菜持って帰れよ、と太っ腹な野田が野菜販売コーナーを指さして見せた。
・・・・・・・・
「なんで来たのよ」
野田からご祝儀代わりだ、と大量の野菜を押し付けられて、駐車場に停めた理汰の車に運びながら智咲は不満の声を上げた。
「野菜安いから、ゴロゴロしてるなら車出せって言われて・・・」
「で、永子さんは?」
「別の部署の人に捕まってる・・・・・・・・・感じいい人だね、野田さんって」
「いい人よ・・・・・・だから、幸せになってくれてよかったと思ってる」
そして、あの手を選ばなくて正解だったのだ、と今日はっきりと自覚できた。
それは、智咲の自信になった。
この選択で、よかったのだ。
「で、智咲さんは俺と幸せになるんだよね?」
「・・・・・・それは・・・まあ、前向きに検討中」
「おお、ちょっと進歩した。母さんずっと待ってるからさ、出来るだけ早くお嫁においでよ」
つないだ手を揺らして、理汰が楽しそうにそんな事を言った。
「飲みに誘うみたいなプロポーズやめてくれる!?」
あまりにも気安過ぎる求婚に、智咲は目を白黒させる。
うっかり頷いてしまいそうになったじゃないか。
危ないと胸をなでおろす智咲を見下ろして、理汰がからりと笑った。
「それくらい、気楽に考えてってことだよ」
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