第47話 ultramarine-2
「あ、そういえば、メディカルセンターの羽柴さんって独身なんですってー。師岡さん知ってました⁉」
コピーしたテキストを課員の机に配りながら、井元が思い出したように言った。
いきなり飛び出した理汰の話題に、智咲は飛び上がらんばかりに驚いて、キーボードを叩く手が一瞬止まってしまった。
なんでこのタイミングで理汰の話題なのか。
「え・・・いやぁ・・・」
知ってるも何も現在進行形で私が付き合ってるわ、なんて言えるわけがない。
困り顔の智咲を横目に、松本もうんうん頷き始める。
「研究者って出会いの場が少ないのかなぁ・・・いい人なのに勿体ないよな。井元さん、どうなの?」
「へっ⁉」
思わず声が出てしまった。
世話好きの松本がこんな風に言うのは珍しいことではないが、理汰は困る、理汰だけは。
「なんで師岡さんがびっくりするんですかぁー・・・あ、羽柴さんのことちょっといいなって思ってたんでしょ?仲良さそうにしゃべってましたもんねぇ」
「ああ、打ち合わせに代打で行った時も、師岡が風邪ひいたって伝えたら、彼、心配そうな顔してたよ」
「え、そうなんですか⁉」
普段なら、こうやって会話の矛先を向けられても余裕で、若くて可愛いあなたの勝ちよと言ってやれるのに、今日ばかりはそうはいかない。
もうこの際、付き合っている事を伝えてしまうべきか、いやでも理汰とはこの先も顔を合わせる可能性があるので、やっぱりやめておくべきか。
「・・・・・・」
悩んで悩んで結局答えが出せないまま、文章が途中で止まったままの液晶画面を睨みつけること数十秒。
「あ、羽柴さん!」
井元が急に大きな声を上げた。
「はえ!?」
ぎょっとなってフロアの入口を振り向けば、スーツ姿の理汰がキョロキョロと視線を彷徨わせている。
間違いなく智咲のことを探しているのだ。
声のした方に目を向けた彼が、井元を見つけて、すぐに近くに座っている智咲に気づいた。
ふわりを相好を崩して微笑まれて、眉根を下げて困り顔を返す。
松本と井元が揃って智咲の顔を見て、え?と目を見開いた。
どうやらこれ以上隠し通すのは無理そうだ。
「智咲さん」
柔らかい声で名前を呼ばれて、ああああもう!と開き直って立ち上がる。
推進機構を尋ねてくる市民はほとんどいないが、医療関係者が時折訪問するので、カウンターが設置されていた。
「なに、なんで来たの?」
「講演会早く終わっちゃって体空いたから。職場どんなとこなのかなぁって気になって。ほら、俺も市民だから、庁舎見学する権利あるでしょ」
「あるけど・・・あるけども」
教授のお供で講演会に出かけている理汰とは、駅前で待ち合わせをする予定にしていたのだ。
終業まで40分ほどあるので、待ち合わせには早過ぎである。
近くのカフェでお茶でもして待っていてくれればいいのに。
頭を抱えそうになりながら呻く智咲の背後から、井元の猫撫で声が聞こえて来た。
「羽柴さぁーん。こんにちはー」
「井元さん、先日はどうも」
「今日はどうされたんですかー?」
「この後彼女と待ち合わせで、時間が出来たんでちょっと寄ってみました。お仕事中にすみません」
「待ち合わせ?いいなぁー・・・師岡さん今日はいつもより華やかですもんねぇ」
したり顔で擦り寄って来た井元が、にやにやしながら智咲を見つめてくる。
「あ、ほんとだネックレスしてる」
しっかり首元のダイヤモンドに気づいた理汰が柔らかく目元を和ませた。
「いや、これは別に」
「おしゃれしてくれてありがとう」
息が止まるかと思った。
理汰のデートの相手は智咲だと言外に告げられて、井元がほくほく顔で頷いて、じゃあまたメディカルセンターでーと自席に戻っていく。
この後松本とどんな風に盛り上がるのかは言わずもがなだ。
「~~っあんたは永子さんのとこにもちゃんと顔出しなさいよ」
「え?いいよ。家で会うし。それより、下で待ってるから」
庁舎の一階はフリースペースになっていて、公共事業や施設の紹介映像を眺めながらソファで寛げるようになっていた。
「定時で帰れるよね?」
「・・・・・・帰るけど・・・」
その為に朝早く出勤して仕事を片付けたのだ。
「良かった。教授が一杯って誘って来たの断って戻って来たんだから、ちゃんと俺の事癒してよ」
言外にに飲んだ後のことを言われて反射的に頬が染まった。
理汰は母親公認になってからこうやって明け透けに誘ってくるから困るのだ。
それも、平日休日関係なしに。
「・・・飲んだら真っ直ぐ帰ってよ」
「え、なんで、嫌だよ。そっち寄る」
「だから、私と一緒で遅くなるのは」
「もう筒抜けなんだからいいんじゃない?母さんも何も言わないよ」
「言われないから嫌なのよ・・・」
智咲と一緒に出かけて夜更けに帰る=そういうことをして来た、と思われるのが嫌だ。
いや、実際そうなんだけど。
「むしろ何もない方が不健全でしょ・・・イテっ」
カウンターに乗せられた理汰の手をぺしりと叩いて睨みつける。
降ってくる眼差しは相変わらず甘ったるくて、ああまた今夜も流されるんだろうな、と思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます