第46話 ultramarine-1

「会議続きで疲れただろ?ほら、糖分補給」


ノートパソコンと資料を片手に自席まで戻ったら、松本が小さな袋入りのラムネを机の上に置いてくれた。


持つべきものは気さくで気が利く同期上司である。


「わあー助かるわー・・・ありがと。でもなんでラムネ?珍しいね」


「うちの子がおまけの玩具欲しさに何個か買ってさ。食べきれないから持って来たんだよ」


「あーそれで・・・この手のお菓子って昔からあるわよね」


「子供の頃買ったもんな」


懐かしそうに頷く松本に頂きます、と声を掛けて有難く小粒のラムネを口に放り込む。


しゅわしゅわと溶けていく酸味と甘みが何とも心地よい。


そういえば久しぶりにラムネを食べた気がする。


コンビニで選ぶのはいつもミントかガムかチョコレートばかりだ。


「うん。買った。いやー糖分が沁みるわぁ・・・」


ぐるぐると肩を回しながら、打ち込んだ議事録に目を通す。


後日部署内ミーティングで全員に連携しなくてはならないので、しっかりと内容を纏めておかなくてはならない。


「今日は早朝出勤してたし、集中力も切れる時間だよな」


「え、そうなんですか?」


コピーから戻って来た井元が、松本の言葉に目を丸くした。


毎朝開庁の1時間前には出勤して仕事を捌いている松本と違い、智咲の出勤時間はせいぜい始業の20分前だ。


「うん、今日はちょっと早めに来たのよ」


「師岡さんシンポジウム案件もあるし、振れる仕事あったら回してくださいねー」


「ありがとね。この後会議資料のまとめ手伝ってもらうつもりだから、よろしくー」


「はーい。あ、今日予定あるからその恰好なんですねー?ネックレスなんて珍しいなと思ってたんですよ」


若者の観察眼は恐ろしすぎる。


今朝選んだアシンメトリーフリルのトップスは、首元が広く開いていたのでなんとなく寂しくて、アクセサリーボックスにしまいっぱなしのシンプルな一粒ダイヤのネックレスを付けた。


智咲が唯一持っているヒカリモノである。


「へ⁉いや、予定ってほどの予定じゃ・・・」


実は夜から理汰と飲みに行く約束をしているのだが、服装はここ最近常にこんな感じにしているつもりだったのに。


頬を押さえる智咲に、隣の席から松本がにやっと探るような笑みを向けてくる。


「え、師岡にもとうとう春が?」


「松本くん余計なこと言わない」


「ですよね?私もそう思ってたんですよー。リップの色も増えたし」


「そ、そんなとこ見てんの⁉」


「お昼休みにトイレで会った時に、化粧ポーチがチラッと見えたから。いつものブランドじゃないやつだーと思って」


「・・・・・・ず、ずっと使ってたのが廃盤になってね・・・・・・新しい定番を模索中なのよ」


入庁当時からベージュ一択のリップで貫き続けて来た智咲だが、ここ最近は艶のあるコーラル系や、パールピンクにも手を伸ばすようになった。


唇に色が乗るとそれだけで血色がよく見えるから、地味顔に華を持たせるには一番手っ取り早いのだ。


誰のためって・・・?


自分のためである。


「いまの色似合ってますよー。上品な落ち着きもあるし」


「あなたたちも私の歳になったら似合うようになるのよ」


いや、でも自分が20代の時でも、井元のようなチェリーピンクは選んだことがなかった。


言われてみれば智咲の人生は、昔からピンクに縁が無かったのだ。


「女性はね、年齢を重ねるとそれに応じた魅力が増えてくるから」


「さすが係長いいこと言うー」


「これは皺が増えたって嘆く奥さんをフォローするときのセリフ」


「出来る男は家庭でもしっかりしてるわ」


マイホームパパもしながら仕事もしっかりこなす松本は、妻への愛情表現も忘れることはないらしい。


「言わなきゃ伝わらないことのほうが多いからねぇ。夜までワンオペ育児させてるから、フラストレーションはその日のうちに吐き出して貰わないと、次の日がキツイんだよ」


「なるほど・・・勉強になるわぁ」


「お、そろそろ師岡も将来の事考え始めたんだ?」


「・・・・・・さあねぇ、どうでしょう」


肩をすくめてラムネを頬張りつつパソコンに向き直ると、松本は追及を諦めたようだった。


こういう引き際の良さも、同僚としては助かっている。


課員に目は配るけれど、必要以上にあれこれ詮索してこない彼の距離感は物凄くやりやすい。


臆面なく言葉にして愛情を示してくるのは、理汰も同じだ。


永子の教育の賜物なのだろうが、付き合い始めてからこちら、智咲は一度も自分の年齢がネックになったことがない。


そうさせないように理汰が上手く立ち回ってくれているのだろう。


当然、ジェネレーションギャップはあるけれど、そこに卑屈にならずに済んでいるのは、理汰から向けられる愛情が少しも陰らないからだ。


もうこの際開き直って、理汰が年上好きで良かったと思うことにしてしまおう。


学生時代にそのきっかけを自分が与えてしまったのだとしても、知った事か。


だって理汰は、智咲がいいというのだから。


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