第39話 peacock blue-2

「失礼しまーす。羽柴補佐、いま休憩中ですよね?ちょっとよろしいでしょうか」


「あれ、佐古井さん、どうしたの?」


呼びかけに答えた理汰が部下の女性の名前を呼んで手招きしている。


会議で一緒になることはあっても、上司としての彼の顔を見たことはほとんど無かった。


何やら相談事を持ってきたらしい彼女の様子に、ちょっとワクワクしてしまう。


佐古井とは何度か顔を合わせたことがあったが、気のいい研究員だ。


智咲の横の通路を通って、佐古井が一番前の理汰のいる席まで辿り着く。


「フロア施錠の履歴が一か所抜けてて、さっき施設管理からチェックが入ったんです」


「見せて?いつの分だろう・・・俺の入力漏れかなぁ」


差し出されたタブレットを真横から覗き込んだ理汰が、考えるような表情になる。


肩が触れ合いそうな距離に、見ているこちらがどきりとしてしまった。


これが平常運転だとか言われたら、真っ先に物申したい。


離れろ離れろと食い入るように二人を見つめていると、視線に気づいた佐古井がひょいと顔を上げてこちらを見てきた。


慌てて視線を逸らしてスマホを確認する振りをする。


なんだこの張り込み中の刑事みたいな妙な緊張感は。


「あ、ごめん。俺だ。推進機構と打ち合わせの後、フレックスで中抜けした日だな」


理汰が思い出したように佐古井に謝罪した。


「あ、そうだ!そうですよー。いきなりちょっと抜けるからとか言って結局私が退勤するまで戻られませんでしたよね?あの日、何時に戻ってこられたんですか?」


「えっーっと・・・22時くらいかな?」


「おそっ!どこでナニしてたんですかー?お母さまになにかあったのかもって教授が心配されてたんですよー」


顰め面の佐古井に向かって理汰があーそれはねぇと口を開く。


「・・・・・・ちょっと彼女がね、風邪ひいて寝込んでて心配で・・・・・・手間かけてごめんね」


はい、これで完了、と照れたように笑った理汰がタブレットを佐古井に戻す。


間違いなくそれは、あの日、智咲が熱を出して寝込んでいたの時の事だ。


「ああ、それであんな血相変えて飛び出して行ったんですね。で、彼女さんは元気に?」


「あーうん・・・・・・いまはもう、すっかり」


理汰の視線が大会議室の端に座る智咲を捉える。


だからなんでこっちを見てくるのよ!?


ちらっと持ち上げた視線を射抜くように捕まえられて、また慌ててスマホを睨みつける羽目になった。


本当にもう、社内恋愛では無いはずなのに、物凄く心臓に悪い。


「へー・・・良かったですねー。ありがとうございまーす」


ここで胸を押さえたら明らかに不審だけれど、そうしないと大騒ぎする心臓の鼓動が大会議室に響き渡りそうで怖い。


タブレットを手に理汰の元を離れた佐古井が軽快な足取りで智咲の長机の横を通り過ぎようとした瞬間、智咲のカバンに佐古井の持つタブレットがぶつかった。


ぐらついたカバンがそのまま床に落下する。


「あ!す、すみませんー!」


慌てて謝罪を口にした佐古井が、荷物を拾おうとしゃがみ込む。


「いえ、私の置き場所も悪かったので」


真っ逆さまに落下したカバンの中からは、化粧ポーチや手帳、ハンカチ、ファイルや財布が綺麗に飛び出してしまった。


一緒になって荷物を集めていく智咲に、佐古井がしょげた顔を向けてくる。


「そそっかしいのでよくやるんですー私ー・・・ほんとすみませ・・・・・・あ!」


伸ばした手の先に、智咲の家の鍵がついたピンクのイルカのキーホルダーを見つけた彼女が嬉しそうに表情を明るくした。


「これ、カップルキーホルダーですよね!?いいなーぁ・・・」


丁寧に取り上げたそれを羨ましそうに眺める佐古井に、思わず言葉に詰まる。


「う、え・・・はい」


「私もいつか素敵な彼氏からプレゼントして貰いたいなって思ってるんです・・・けど・・・え・・・」


智咲に向かって差し出したキーホルダーを、佐古井の後ろから伸びてきた節ばった大きな手が掴んだ。


「佐古井さんは、早く研究所ラボに戻って」


静かな声で窘めた理汰がどうしてここに居るのかと佐古井が目を丸くしている。


「え?え?」


ぽかんと間抜けな声を上げた部下は無視して、理汰が智咲の手のひらに改めてピンクのイルカをそうっと乗せた。


その優しい仕草に一気に涙腺が緩んで体温が急上昇する。


それは二人きりの時にするやつで今じゃない、絶対に。


「智咲さん、はい。失くさないでね」


「~~っっ!!!」


「え!?え!?えええ!?」


二人を交互に指さして真っ赤になっている佐古井の背中を押してハイ仕事戻ってね、と理汰が促す。


何度もこちらを振り返りながら佐古井が会議室を出ていって、ようやく二人きりになったところで理汰が可笑しそうに肩を震わせた。


「顔真っ赤だよ」


言われなくても自分でも耳まで赤いことを自覚していた。


だってしょうがないじゃないか。


こんな形で暴露する羽目になるなんて思ってもみなかったのだから。


「うるさいな!あんたは平常運転ね!」


「でもネクタイは、智咲さんの。ねえ、それより、今日の格好ちょっとおしゃれ過ぎない?俺と水族館デートした時より可愛い気がするんだけど」


トントンと首元を示した理汰が、智咲の格好を上から下まで確かめてむうっと眉を顰める。


ご指摘の通り、トップスから靴まで新品でやってきました。


というか、最近西園寺メディカルセンターに来るときは常にそうだ。


「気のせいです。もう、そのネクタイばっかり選ぶのやめてよ。新しいのプレゼントするから」


「え、ほんと?それは嬉しいな。じゃあ、俺も智咲さんにプレゼントしていい?」


「洋服はこないだ沢山買ったからいらないんだけど?」


欲しいものは自分で揃えられるから、誰かに何かを貰う感覚がむず痒くてしょうがない。


ましてや、年下の彼氏から。


「洋服じゃなくて・・・・・・ここに、だめ?」


そっと手を伸ばした理汰が、無防備な智咲の左手を捕まえて思わせぶりに薬指を撫でる。


「っへ!?」


予期せぬお伺いに素っ頓狂な声が出た。


「驚くことじゃないと思うんだけど。ペアリング、いや?」


「そ、それはあの、嫌じゃないけど。そういう場合は私が買うわ」


だって長く社会人をやっているのだから。


理汰に何かを買わせるという行為自体がやっぱり慣れない。


勇んで発言した智咲に、理汰がやれやれと肩をすくめた。


「・・・・・・男前な発言はしまっておいてください」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る