第40話 powder blue-1

「はい。お土産。いつもの智咲さんの好きなやつと、こっちは新製品レモネード風味だって」


瓶入りのモスコミュールと、同じブランドのアルコール度数の低いレモネード風味のカクテルを二本揺らした理汰に、ひとまずありがとうと口にする。


「もうウチに来るときは手ぶらでいいのに」


「じゃあそれ、俺も智咲さんに言っていい?」


「いや、それは良くない。というか、いつも持ってくのは永子さんへのお土産だからね」


智咲が羽柴家にお邪魔するときの手土産は大抵がアルコールだ。


そしてそれをなぞるように、理汰も智咲の部屋に上がり込むときには毎回アルコールを持参する。


有難いし、飲まずに素面で二人きりという状況にまだ慣れていないので、アルコールはむしろ必須アイテムでもあるのだが。


「だって点数稼いどかないと」


お邪魔しますと行儀よく靴を揃えた理汰がひょいと屈んで智咲の頬にキスを落とした。


「稼がなくても家に入れてあげるわよ。今日遅かったね、忙しいの?」


「教授との打ち合わせが長引いて。寂しかった?」


「寂しいほどではない」


だってずっと独りだったし、それが当たり前に肌になじんでいる。


むしろ二人のほうがずっと慣れない。


きっぱりさっぱり言い切った智咲の背後で、理汰の笑う気配がする。


どうせ予想通りの答えだろうとリビングに足を踏み入れようとしたら、伸びてきた腕に腰を攫われた。


ぐうっと遠慮なしの力加減で抱き込まれて、両手に瓶を持ったままの状態で羽交い絞めにされる。


最近の理汰は加減を知らない。


数年ぶりに大風邪を引いて寝込んで、いい具合に肉が落ちて、少しだけ体重が戻って、ほどほどに落ち着いてくれていて良かった。


三十路を過ぎてから一気にあちこちに余計な脂肪がくっついた身体は抱き心地は良いかもしれないが、あまり魅力的とは言い難かったので、今ぐらいがちょうどよい。


「じゃあ会いたかった?」


「・・・・・・会いたかった、から・・・・・・腕解いて」


分かった分かったと頬ずりする理汰の頭に凭れかかれば。


「じゃあキスして」


甘ったれた返事が返って来た。


これだから年下男子は困る。


理汰はとくに自分の使い処をよく分かっているのだ。


そして、最終的には智咲が理汰に絆されることもよくよく理解している。


智咲のほうが年上なのだから、手のひらで上手い事、と思っていたのだが、実際お付き合いが始まってみれば手のひらの上で転がされているのは完全に智咲のほうだった。


人間は年齢ではない。


積み重ねて来た経験がすべてなのだ。


「これじゃあ出来ないから、腕解いて?」


まずはそれからだよ、とちらりと後ろに視線をやれば。


「どうして?出来るでしょ?」


ふわりと笑った理汰が指を伸ばして顎を捕まえてきた。


最初から唇を開かせるキスの催促に抗う暇もなく飲み込まれる。


巧みに内側の柔らかい粘膜を舐めた舌先が、悠々と口内に忍び込んできてすぐに気持ちのいいキスが始まる。


ついこの間まで知らなかった理汰の舌の温度に、一瞬で心まで灼かれた。


息苦しさはすぐに甘ったるい心地よさに切り替わる。


理汰のキスは巧みだ。


器用に舌裏を舐めて仰のかせた後で舌の付け根を擽る鮮やかな手腕に飲み込まれて指先から力が抜けそうになる。


唇を解かないままそれを悟った理汰が、智咲の手からカクテルの瓶を受け取った。


その先を予告するように舌の表面を舐められて、ぞくりとした快感が走った途端、キスが終わる。


二人の隙間で出来た銀糸をぺろりと舐めとった理汰が、嬉しそうに目を細めた。


「もどかしそう」


この数週間で、智咲が知っていた幼い理汰はもうどこにもいないのだと思い知らされた。


誘うように落とされるキスは甘ったるいだけじゃなくて、ちゃんと智咲の身体の奥に火をつけるそれで。


明らかに女の扱いを分かり切っている彼の唇は、躊躇なく智咲の理性を切り崩してくる。


申し訳程度の恋愛すら20代で終わってしまった智咲にとって、理汰が仕掛けてくるすべては堪らなく心地よくて、恐ろしいくらいに中毒性があった。


それでもまだ主導権は渡したくなくて、その時を先延ばしにし続けている。


「・・・・・・っビール飲むなら冷蔵庫に」


「んー・・・・・・今日は飲まない」


「え、そうなの?」


「うん。これは、家入れて貰うための免罪符だから」


アルコールが免罪符の彼女ってどうなんだろうと悩みかけて、思考を引き戻す。


「いや、そんなのいらないって言ってるでしょ・・・?あんたと私・・・・・・付き合ってるわけだし」


「うん。そうだね。あ、部屋今日も片付いてる。俺がいつ来るか分からないから油断できないんだ?」


楽しそうに笑った理汰が、リビングの手前で智咲のつむじにご褒美のようにキスを落とした。


悔しいけれど全くその通りである。


彼氏が毎日家に来ると分かっていながら洗濯物と食器を放置できるほど強気な彼女ではいられない。


「今日は早めに帰れたから・・・あんたが来て寛げないのが可哀想だなと思ったからね」


「俺喜んで家事やるよ?母さん仕込みなの、知ってるでしょ?」


「もう経験済みですっ・・・私より綺麗に洗濯物畳んであったわ」


寝込んだ智咲を介抱した理汰に、家を片付けて貰ったことは記憶に新しい。


あの時はまだ恋人ではなかったし、お一人様満喫中だったから、下着が上下セットでなくてもヨレていてもルームウェアがくたくたでも何ら問題無かったが今は違う。


増えたのはクローゼットの洋服だけではない。


あの時理汰が見て触った下着はほぼ全て一新されている。


だから、あの時の記憶はどうか失くしてください。


色気よりも快適性を追い求めていた日々と別れを告げて、今更ながら寄せて上げる方向に切り替えた上下セットはそれなりに見栄えのするものばかりだ。


「いつでも言ってよ。手伝うから。一緒に住んだら家事は半分ずつしよう」


俺なんでもやるよ、と軽口を叩く彼が本気だということももう分かっているのだ。


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