第34話 moonlight blue-2
言わなきゃ、言わなきゃ、と思えば思うほどスマホに触れる指先は冷たくなっていって思考が鈍っていく。
熱が下がったら、元気になったら。
ほんの少しだけ先送りした執行猶予にホッとして目を閉じること数時間。
智咲は、鳴り続けるインターホンと、スマホの着信音で目を覚ました。
ここ最近ネットでは何も買っていないけれど、実家の母親が突然荷物を送ってくることは時折ある。
まあ、不在でも宅配ボックスがあるからこちらは問題ないだろう。
怠さに追加して増えた頭痛に顔を顰めながら、真っ先に頭に浮かんだのはやっぱり仕事のことだった。
連携不足で何か確認が必要なことが出てきたのかもしれない。
どのことだろうかと心配になりながら着信画面を確かめることなく電話に出た。
「もしも」
『智咲さん!?』
「・・・り、理汰・・・?」
寝不足の最大原因である理汰の声に、一気に意識が覚醒する。
久しぶりに理汰の焦った声を聞いた。
永子と智咲が駅前で酔いつぶれて電話をした時以来の声かもしれない。
『良かった。インターホン鳴らしても出ないし、メッセージも既読にならないから心配になって』
いつもの数倍早口でまくし立てられて、どれくらい彼が焦っているのかが伝わって来た。
「・・・・・・へ・・・あんた今どこに」
『家の前。出てこれる?色々買って来たから』
がさがさとビニール袋が擦れる音が聴こえた。
恐らく今日の打ち合わせに代理で出席した松本から、智咲が風邪を引いた事を聞いて心配して来てくれたんだろう。
途轍もなく有難いし、これまでだったら彼にどう思われようが全く気にしなかったので這ってでも玄関まで出ていったかもしれない。
けれど。
「ごめん無理」
『起きれないほど具合悪いの?さっき管理人さん来てるの見たから鍵借りて』
違う方向に誤解した理汰の心配そうな声に、ちょっと待ってと身体を起こす。
「っ待って。違うの、起きれるけどボロボロだからいま顔見せたくない。悪いけど、荷物ドアノブにかけといて」
智咲の認識が間違っていなければ、理汰と智咲は現在告白した人と告白された人に当たるはずだ。
さし飲みの席で雪村から言われたセリフが頭をよぎった。
理汰はただ、側に居たいだけ・・・
少なからず好意を向けてくれている相手を前に、ズタボロの姿をさらしたくないという最低限のプライドをどうにか理解して貰いたい。
けれど智咲の願いは虚しく理汰は一ミリも譲ろうとはしなかった。
『猶更心配だから帰れないよ。鍵借りてくるから、待ってて』
「ちょ、ほんとに、無理だから」
自分もそうだし部屋は片付いてないし、とにかく誰かに会える状態ではない。
そして、いま一番こういう状況の自分を見られたくない相手が彼だった。
『俺も無理。顔見ないと帰れない。だから開けて』
鍵開けてくれるまでここで待つよ、と言い切った理汰の声に迷いはなかった。
頑固なのは間違いなく母親譲りだ。
このまま何時間も廊下で理汰を立たせておくわけにはいかない。
「・・・・・・・・・・・・ほんとに・・・い、一瞬だけでいい?」
疲れを理由に片づけも洗濯も放棄したままのリビングは、まあまあな惨状だ。
三日溜った洗濯物はそろそろ限界だし、出しっぱなしのマグカップはストックがなくなりそう。
愛用のロボット掃除機様も、床が散らかっているままなので全力を発揮できず待機状態。
とても他人様に見せられる状況ではない。
玄関のヒールも出しっぱなしで揃えたかどうかすら怪しい。
が、それら諸々をどうにかする時間も気力も体力も今はない。
『うん。顔見て荷物渡したらすぐ帰るから』
「・・・・・・分かった」
管理人をここに連れてこられるよりはと意を決して重たい身体をベッドから下ろした。
ふらつきながらもどうにか壁を伝って玄関まで辿り着く。
施錠とロックを外した途端、先に外からドアが引き開けられた。
一気に眩しくなった視界が理汰で埋め尽くされる。
玄関に踏み込んだ彼が伸ばした腕の中に閉じ込められるのと、智咲が掠れた声を出すのが同時だった。
「・・・・・・あの・・・理汰」
「本気で心配した・・・」
「あ、え、うん・・・ごめん・・・・・・あの、買い物ありが・・・」
「熱何度?なんか食べた?っていうかこの感じだと食べてないよね?智咲さん、なんかやつれてない?」
心配そうに顔を覗き込まれて、ドすっぴんプラス寝癖まみれの自分を思い出して慌てて顔を伏せる。
「み、見ないで」
酔ってそのまま羽柴家のソファーを占領して朝まで寝こけたことだってあるのに。
もう二度と理汰には寝顔も寝起きの顔も見られたくない。
「熱高そう。ちょっとお邪魔するね?」
顔を見た途端前言撤回した理汰に、智咲は気色ばんだ声を上げた。
話が違う。
「っは!?す、すぐ帰るって・・・・・・」
「そんなの嘘に決まってるでしょ?玄関開けて貰うための口実。むしろこの状況で帰ったら困るの智咲さんじゃない?」
転がったままのヒールを避けるように靴を脱いだ理汰が、後ろ手に玄関の鍵をかけた。
「ひ、人上げられる状態じゃないの。ほんとに部屋散らかってて」
「うん。気にしなくていいよ。前は散らかってても入れてくれただろ」
寄った智咲を家まで送るのは理汰の役目で、足元がふらつく智咲をリビングまで抱えて運んでくれたこともある。
家事は週末にまとめて一気に片づける癖がついていて、平日は最低限のことしかしてこなかったし、それを理汰に見られてもなんら恥ずかしくはなかった。
が、今は違う。
あの時とは、状況の智咲の気持ちも何もかもが違うのだ。
そして、もう二度と元の形には戻れない。
「でも、もう・・・違う・・・から」
「・・・・・・なにが違うの?」
「それ・・・は・・・だから」
これを言ってしまったら、確実に二人の関係は壊れてしまう。
アラフォー女子の独り身の実情を曝け出せない気持ちになってしまったのは・・・
もう理汰のことを、家族のように思えないからだ。
彼の前で見栄を張りたい自分が生まれてしまったからだ。
言ってはいけない、これ以上踏み込ませてはいけない。
ぐらぐら茹るように熱くなっていく身体とごちゃ混ぜの思考が止まらない。
足先から力が抜けていく。
駄目だ、と思った瞬間、世界が一気に暗転した。
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