第33話 moonlight blue-1

『え、ほんと声死んでますけど、大丈夫ですかー?』


スマホ越しに聴こえてくる井元の甲高い声がいつも以上に頭に響く。


若さと元気が心底羨ましくなるのはこういう時だ。


二十代ならこれしきのことで寝込むことは無かったはずなのに。


高熱からくる軽い眩暈と戦いながら吐いた自分の息の熱さにさらに気持ちが滅入る。


本格的に寝込むのは、三年前のインフルエンザ以来だ。


「うん・・・ひっさしぶりに38度超えた・・・三十路過ぎてからの風邪はほんとにキツイわ・・・とりあえず、スマホは握ってるから、困ったことあったら連絡して」


若手の世話係も任されているので心細い思いをさせては忍びないと伝えれば。


『それは誰かに頼ってどうにかしますから大丈夫ですけどー・・・師岡さんってたしか一人暮らしですよね?病院とか行けますー?』


あっけらかんとご心配なくの返事と一緒に、こちらへの心配が返って来て、有難いやら寂しいやらでなんとも複雑な気持ちになる。


最近の若い子は本当に素直だ。


自分の力量をきちんと見極めて、必死に足掻くことをしない代わりに、何でも大抵のことはそつなくこなす。


誰かに頼ったり協力を願い出ることにも全く抵抗がない。


与えられた仕事は何が何でも自力で完遂して根性を見せなくてはと必死に意気込んでもがいていた入庁当時の自分との落差と、時代の変化に愕然とする。


溢れんばかりの生真面目さだけで猪突猛進に突き進もうとした智咲をいなして諭して導いてくれたのは永子だった。


あれから14年も経つのだから、いろんなことが変化して当然なのだ。


また自分が一人だけ遠い場所に置き去りにされたような気がして、ぎゅっと目を閉じた。


病気の時はマイナス思考になりがちだから、無理にでも明るいこと、目の前のことを考えなくてはまずい。


ここには他に誰もいないのだから。


「置き薬あるから、飲んで寝とく・・・申し訳ないけど、今日のメディカルセンターとの打ち合わせ、係長にお願いするメールを」


熱だろうが体調不良だろうが最低限のことだけはしなくてはならない。


社会人なのだから。


『あ、はい!係長が見たってーあ、ちょっと電話代わりまーす。お大事になさってくださーい』


井元がそう言って保留に切り替わってすぐに聞き慣れた声が聞こえて来た。


『あ、もしもし、師岡?久しぶりに高熱だって?メール見たよ』


同い年で先に昇進して役職付きになった松本とは、同じ部署で働くのはこれで二度目だ。


彼の人となりも分かっているしその分頼み事もしやすい。


抱えている仕事も多く、課長同行も多い彼に仕事を振るのは申し訳ない気持ちでいっぱいだが今回ばかりは目をつぶって貰うしかない。


「申し訳ない・・・ちょっと動けそうにない・・・あ、良かった。メール見てくれたんだ。さすが仕事早い」


子煩悩なパパでもある松本は、どうにか早く家に帰ろうと、みんなが登庁する一時間程前から出勤して仕事を片付けている。


こういう地道な努力が信頼と親愛と評価を生むのだ。


『いや、師岡の体調のほうが心配になったよ。メールの誤字がえげつないことになってた。ほんとに平気か?』


やばい、文章を打つことに必死になってそこまで見ていなかった。


なんせベッドで横になりながら打ったので、送信出来ただけで良しとか思ってしまったのだ。


ちっとも良しじゃなかった。


「わー・・・そこまでちゃんと見れてなかった。意味通じた?」


『うん。前回までの報告は把握してるし、いつも任せきりだからたまには顔出さないとと思ってたんだよ。課長も来月は一緒に挨拶に行きたいって言ってるからそのあたりもついでにすり合わせしてくる。それより師岡、家どこだっけ?要るものあるならメディカルセンターのついでに届けるけど』


庁舎勤務の数少ない同期の申し出は有難いけれど、さすがにそこまで甘えるわけにはいかない。


昨夜はしんどすぎてシャワーだけ浴びてすぐベッドに入ったので、ブローしないままの髪はぼさぼさ、肌コンディションは言わずもがな最悪である。


こんな状態で玄関に出られない。


「いやいや・・・松本くんにそこまでして貰うのは申し訳ないから。ありがとう。薬飲んで寝ときます。じゃあ、打ち合わせと、後、井元さんたちのことよろしく」


『それは分かってるけど・・・ここんとこ残業続いてたし、仕事中も難しい顔してること多かったけど、なんかあったなら相談してよ。僕一応上司だしさ。頼りないとは思うけど』


「いや、そんなことないよ。助けて貰ってるよ」


昔から目端の利く男ではあったが、若手だけではなく、智咲のこともきちんと見てくれていたことにジーンと胸が熱くなった。


松本の指摘の通り、ここ最近仕事に集中出来ていなかった。


そのせいで、メールの重複送信やら凡ミスをしてしまって、そんな自分にへこんで自己嫌悪に陥っていたのも事実である。


『こういう時くらい自分優先にしてちゃんと休んで。僕らももう若くないしさぁ』


「・・・ほんとね・・・健康の有難さを痛感してる・・・寝ます。じゃあ、ほんとによろしく」


松本からのお大事に、の声に通話をオフにして、スマホを枕元に放り出す。


仕事は振ったし、急ぎの案件はない。


イレギュラー対応が起こっても、松本が上手く対応してくれるはずだ。


あとはとにかく体力の回復に努めるだけ。


「・・・はぁー・・・・・・」


高熱の原因が、仕事だけじゃない事も、分かっていた。


会議室での理汰からの告白を受けてから、ずっと熟睡できていないのだ。


好きになって欲しい、って。


それは当然異性としてという意味で。


理汰が、私をそういう目で見てるってことで。


いやいやいや、枯れ気味どころかすでに枯れ果てて砂漠状態の日常を生きてるこの私に?


いったい自分のなにがよくてどこが気に入ってそうなったのか?


気安さや居心地の良さを恋愛感情だと勘違いしているのではなかろうか。


でも、理汰のあんな顔は初めて見た。


そこには、親愛の情は一ミリも含まれてなかった。


ただ慎重に、一人の女性として智咲に手を伸ばしていいのか迷っている理汰がいた。


あのネクタイを飽きもせずずっと使い続けていたのが、そういう理由ならば、智咲はずっと長い間その気持ちを無視してきたことになる。


7歳も年上の私を?


理汰が望めばいくらだって可愛い女の子が寄ってくるだろうに。


彼の隣に並ぶのは、やっぱり快活で明るくて、永子とも上手くやっていけそうな・・・・・・それこそ井元のようなタイプがきっと似合う。


彼女は人懐っこくて松本を始め、機構の上司陣にも気に入られているし何より愛嬌がある。


年齢的にも理汰とちょうど釣り合いが取れる。


ああ、やっぱり、理汰に似合うのは若くて可愛い女の子なんだ。


悩むまでもなく答えなんて出るはずなのに、ぐるぐる同じところを回っていつまでもその結論を言葉にできないのはどうしてだろう。


あんたは私なんかで時間を浪費させちゃいけないのよ。


もっともっと眩しくてより良い未来を選べるんだから。


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