第28話 majolica blue-2
これがデートだったら、智咲はどんな表情を理汰に見せてくれるんだろう。
椎名の前で恥じらって、彼の恋人のように頬を染めて挨拶をするのだろうか。
今日の思い出にと、喜んで自分へのお土産を選ぶのだろうか。
明確に引かれた線の向こう側には、簡単にはたどり着けない。
だから、これは自分を鼓舞するために買ったのだ。
智咲がどれだけ自分を範疇外だと追い出しても、意地でもそちら側に言ってやるという意思表示のつもりでもあった。
そして何より、自分とお揃いのものを彼女が持っているという事実に、まるで子供のように胸が高鳴った。
さすがにお店を出てすぐには渡せなくて、万一これがカップル仕様だと気づかれたらその場で断られてしまう可能性すらあると心配になって、いったん持ち帰って、後日それとなく届ける事にしようと心に決めて、自分の分は早速その日のうちに家の鍵をぶら下げた。
手のひらにすっぽり収まるイルカは小さめで目立たないけれど、これまで使っていた革製のキーケースの数倍は目立つ。
何より、三十路手前の男が持つにはいささかファンシー過ぎやしないだろうかとも思ったが、一度つけてしまったら外すのは躊躇われた。
結局そのまま愛用することが決定して今に至るのだが。
今頃、彼女も職場で同じようなひやかしに合っているのだろうか。
ちょっと罪悪感を覚えるような気もするが、これで智咲は理汰に知らん顔を出来なくなった。
さすがにお揃いのキーホルダーと言われれば、鈍い彼女もこちらの意思に気づくはずだ。
あわあわして助手席から逃げ出した智咲は、いつものように後ろを振り返って手を振ることはしなかった。
エントランスの中まで一直線に駆け込むところまで見届けてから、自宅に戻って、スマホを確かめたけれど、案の定智咲からのメッセージはなし。
驚かせた自覚も、困惑させた自覚もあった。
それでももう逃がせないけれど。
気になる、彼女のことをもっとちゃんと知りたい。
永子の部下ではない、師岡智咲のいまを知りたい。
募っていた思いが、昨夜のやり取りで完全に愛情に切り替わった。
自分が愛情を向ける相手はこの先ずっと智咲ひとりでいいと、思ってしまった。
同じように彼女から愛されたい。
いもしない誰かを待ち続けて、ここまで来てしまっただなんて、嘆かせたくはない。
もともと連絡不精の智咲なので、あんなことを言われた後で自分からメッセージを送ってくるとは思えない。
それでも、数分おきにスマホをチェックしてしまうのはどうしようもない。
理由が無くては会えない自分の立場が死ぬほどもどかしい。
いっそ母親に助けを乞おうかとも思ったが、智咲の気持ちが固まっていない状態で強引な手に出れば逆に裏目に出かねない。
彼女の過去の恋愛遍歴は円満に別れた元同僚の野田以外さっぱり分からないから、次の手も立てられない。
好きだと心のままに情熱的に口説いていいならそうするが、いまだ智咲にとっては永子の息子のままである理汰からそんなことをされれば、彼女が尻尾を巻いて本格的に逃げる可能性のほうが大きい。
頭を悩ませていると、奥のスペースから教授が顔を出した。
「羽柴くん、ああ、良かった探したよ」
「どうされました?教授」
セミナーに引っ張り出される以外は、いつも研究室に籠って顕微鏡と睨めっこしていることのほうが多い教授が事務スペースに出てくるのは珍しい。
パソコン仕事は理汰と佐古井にお任せでひたすら手書きの記録と研究に没頭している彼は今日も眠たげな表情をしている。
「それがねぇ、来週奈良の神原教授の講演会に呼ばれてね・・・スケジュール調整を頼みたいんだが」
教授同士の横の繋がりは意外な縁に繋がることも多く無下には出来ない。
自分でも読めない手帳のスケジュール表を睨みつけるのは早々に諦めて、理汰を探してくれて本当に良かった。
机の上のノートパソコンを開いて、教授のスケジュール表を引っ張り出す。
こういった予定変更は日常茶飯事なので慣れっこだ。
佐古井もこの後の指示を予想してかこちらの会話に聞き耳を立てている。
聞いた曜日の中で、リスケ可能なものと、代理を立てるものを割り振っていると、見慣れた会議名が飛び込んできた。
すぐに彼女の顔が思い浮かんだ。
「承知しました。あ、推進機構との研修会の打ち合わせ入ってますが、俺代わりに出ておきますね」
「ああ。そうだね、そっちもよろしく頼むよ。がん治療を第一回目の研修議題にするなんて、あちらの課長さん、もうがんセンターのこと耳に入ってるのかねぇ」
医療都市計画を推進中の宝来市には、がんの治療研究を目的としたセンターがあり、西園寺製薬との共同プロジェクトを興す予定があるのだ。
ますます智咲の仕事は忙しくなるだろうし、メディカルセンターとの連携も増えていくだろう。
「さあ、どうでしょう。教授のセミナーが好評だったからじゃないですかね?」
「そうかい?だといいんだけどねぇ」
「次回の教授のセミナーはいつかっていう問い合わせも多いみたいですよ?」
人前に立つことを好まない教授だが、専門分野の事になると大いに熱弁を振るうタイプなので、上手く乗せておいて損は無い。
機嫌よく出張に出かけて貰うのも大事な部下の役目だ。
「日帰りはきついから向こうで一泊して戻りたいな」
「では、そのように。佐古井さん、特急とホテルの手配頼むね」
「はい!承知しました!すぐ手配します」
ここ最近、医療都市推進機構はイノベーションチームとの共同プロジェクトである医療都市シンポジウムの打ち合わせがメインになっている。
そのため、メディカルセンターに彼女が足を運んでも、理汰と顔を合わせる機会はほとんどなかった。
急遽教授から振られた打ち合わせの内容を確かめながら、これは使えるなとほくそ笑む。
オメガバースの事前勉強会をきっかけに、課員への定期研修を設けてはどうかという次課長の要請を受けて、推進機構のメンバーを対象にした勉強会を実施することが決まったのは先月のことで、シンポジウムが終わり次第定期開催予定になっていた。
その打ち合わせの会議には確実に智咲も出席する。
ひとまず、来週は顔が見られそうだと理汰はこっそり頬を緩めた。
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