第27話 majolica blue-1

「あ!このイルカって!!」


承認サインを入れた申請書を受け取りに来た研究所ラボの補助事務員が目ざとく机の上を指さして興味津々の表情でこちらを見つめてきた。


入社2年目の佐古井は研究所ラボに勤める研究員の中ではかなり若手且つ数少ない女性スタッフの一人である。


「ああ、この間行った時のね」


「やだーやっぱりデートだったんじゃないですかー!羽柴補佐ってばお土産のクッキーだけ渡してそそくさと研究室に籠っちゃったから怪しいと思ってたんですよー、で、どうでした?カップルには持って来いの雰囲気のいいフロアがあるって口コミで上がってましたけど!?」


「ああうん、そうだね。ほかにも、家族連れや子供連れも多くいたよ。ってこの話前もしたと思うけどな、佐古井さん」


大学の研究室は男所帯だったし、みなそれぞれの研究に没頭していて、当然プライベートをペラペラしゃべる人間なんていなかった。


メディカルセンターの研究所ラボも同じような雰囲気ではあるのだが、採用担当の最終権限を持っている事業部長である西園寺が才能と人柄で厳選して集めた研究者が詰めているせいか、大学の研究室よりも雰囲気がずっと明るい。


佐古井のような女性スタッフは、前の研究室だったらば確実に浮いていただろうが、ここでは言葉数の少ないコミュ障気味の研究者たちとも上手くコミュニケーションをとってくれている。


室長である教授から研究所ラボの研究室の管理については一任されている(押し付けられているともいう)理汰としては、こういう部下は扱いやすくて本当に助かるのだが、少々好奇心が旺盛すぎるきらいがあるのが難点だ。


あの日、お土産ショップの片隅で、カップルに人気のペアキーホルダーを見つけて手に取ったのは、水族館に行くと零した理汰に、佐古井が人気のお土産はこれです!と見せてきたHP画像のなかで大きく紹介されていたから。


「そういう話は聞いてませんよー!彼女さん、どうでした?羽柴補佐とデートできるんだから、そりゃあ、お洒落してきたんでしょうねぇ」


いいなぁ、いいなぁ、と佐古井が目を細める。


「・・・・・・ああ、うん・・・綺麗だったよ」


実のところそれほど期待をしていなかったので、完全デート仕様の智咲を見た時は心底驚いた。


服装はベーシック一択の彼女は、着飾ることを好まない。


だからいつも羽柴家にやって来るときは楽なゆるめのデニムやお腹いっぱい食べられるスウェット生地のワンピースが常だった。


宅飲み目的で訪れるのだから当然といえば当然なのだが、明日は智咲に会えると勝手に嬉しくなっていた理汰は、いつも通りの智咲を見るたびどうしてももどかしい気持ちを抱かずにはいられなかった。


けれどあの日の智咲は違った。


普段よりも華やかなメイクと柔らかい印象の洋服は、彼女の女性らしい体つきをより一層魅力的に映してくれた。


理汰のためにだけ選ばれた洋服だと思うと、堪らなくなった。


こっそり彼女の姿を写真に収めたのだけれど、これがバレたら本気で怒られる気がする。


水族館の暗がりにふわりと広がるプリーツスカートの陰影まで、未だにはっきりと思いだせるのに、どうして肝心の事がいつも言えないのだろう。


思考の海に沈みそうになった理汰に向かって佐古井が真剣な顔で口を開いた。


「それ、ちゃんと彼女さんに言ってあげました!?褒め言葉は、10回でも、100回でも言われたいもんですよ、女子は!」


彼女ではないし、ぎりぎり友人と呼べるかどうかの関係性なのだけれど、そのあたりはもう詳細に語る必要は無いだろう。


万一語って佐古井にばっさり、それはもうナシですね、と言われたら本気で凹んでしまいそうだ。


「・・・・・・お世辞はいいって叱られたよ」


「それは、羽柴補佐の言葉の熱量不足ですよ!何やってるんですか!その顔とその声を最大限に生かしてメロメロにしないと!」


出来ることならそうしたいけれど、これだけ長い時間を一緒に過ごしてきても、一度も智咲は理汰を意識してくれなかった。


これでも結構女子からチヤホヤされてきたのに。


「俺の顔も声もさほど好きじゃないみたいなんだよ」


「そんな人います!?違うでしょ、それは外見よりも内面のほうがずっと好きって意味でしょう?」


佐古井の言葉に一瞬心臓が止まった。


そうだ。


智咲はいつも理汰の外側ではなくて、昔から変わらない中身だけを見て接してくれている。


だから、外側がどれだけ成長しても、肩書を持つようになっても、理汰への態度が一ミリも変わらない。


「・・・・・・そう・・・だといいんだけど」


外見を褒められることが増えたのは大学に入ってからだし、研究所ラボに入ってからの理汰と智咲の接点は、母親を介したものでしかない。


家で寛いで過ごす、構えないカッコつけない自分しか見せた事が無かった。


だから、あの水族館デートでは精一杯彼女をエスコートしようとしたのだ。


あれを成功と呼んでいいのかどうかわからないけれど。


上手く踏み込めたと思った矢先、するりと躱された感はぬぐえない。


「え、あの、羽柴補佐。デートしたんですよね?」


大丈夫ですか?と尋ねられて、俯きかけた顔を必死に持ち上げた。


下を向いてどうする。


そんなところに智咲はいない。


「俺としては、全力でデートだよ・・・」


苦い顔で言い返せば。


「・・・・・・大丈夫ですよ!ペアのキーホルダー受け取ってくれたんですから、両想いですって!」


元気出してください、と鼓舞してくる無邪気な佐古井に、ピンクのイルカはほぼ騙し討ちのように受け取らせてきたと言ったら、間違いなく幻滅されるだろう。


研究所ラボのレアキャラ研究者かなんだか知らないが、実際はそんなもんだ。


あの数時間で、智咲の心をにさざなみの一つもたてることは出来なかった。


自分へのお土産なんて全く考えもしてない智咲を横目に、ああ本当に彼女にとってこれはデートの定義に入らないのかと悔しさが募った。


どこをどう捻じ曲げてそれっぽくしてみても、私と理汰は違う、という彼女の境界線は変わらない。


久々のデートだと勇んで着飾って出かけてくれたのかと抱いた期待は、理汰への責任感という一言で粉々に打ち砕かれた。


それでも理汰のため、という言葉はどこまでも胸に刺さったけれど。


彼女が守ろうとする羽柴理汰は、永子の息子である羽柴理汰で、一人の男としての羽柴理汰ではない。


分かっていたけれど、やっぱり事実を目の当たりにすると痛かった。


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