第24話 ink blue-2
永子が智咲にこの手の質問をしてくるのはかなり珍しい。
けれど残念ながら、智咲と雪村はそういう関係ではない。
昔も今もこれからも。
「予感はー・・・全くないですね。多分、雪村くんそういう気配出す相手とはさし飲み行かない気がする。私は完全に先輩だって分かってるから誘ってくれたんじゃないかなぁ。これからシンポジウムまで連携もさらに増えてくるしまあ、挨拶代わりの飲み的な?」
仕事場の同僚と飲みに行くのは色々勝手が分かっていて楽ちんだけれど、たまには社外の人間と飲みたくなる彼の気持ちは物凄く理解できた。
智咲自身がそうだからだ。
部署のメンバーで飲みに行くと、どうしても先輩面してしまうし、世話焼き係に回ってしまう。
若手の話題に相槌を打って、聞き慣れない単語に質問を繰り返すのも新鮮で楽しいけれど、職場の師岡智咲ではない顔で飲みたくなる時だってあるのだ。
そういう時、智咲はいつも羽柴家を頼って来た。
足掻いてもがいていた若かりし頃の智咲を知る永子と飲む時は、なんにも気負わずにすむ。
そのまま眠ってしまっても、理汰がいるので風邪を引く心配もない。
「・・・・・・ふーん。そう。じゃあ、あんたはまだ誰にもときめいてないわけだ」
おお、ひさしぶりにときめきなんて単語を聞いた。
「永子さん、私もう36ですよ?胸のときめく柔らかい部分は、たぶんもうどっか行っちゃったんじゃないかなぁー」
ときめきもきらめきも若い子たちに任せます。
私は見守り隊です、と立場を明確にしてしまえば一気に気持ちは楽になる。
「なによそれ。こないだうちの息子とデートしたのに?」
思い出したように数週間前の水族館デートもどきのことを口にした永子に、そうだったと改まった表情で口を開いた。
「あ、そのこと言おうと思ってたんです!!もう、理汰巻き込むのは可哀想だからやめてあげてくださいよ。おばさんに付き合わされて理汰が可哀想だから」
デートもどきに一瞬気持ちがふわふわしたのは事実だが、冷静に考えれば、あれは若いイケメンと一緒におでかけというスペシャル体験への高揚感だ。
枯れ果てた泉に枯渇した心が見た蜃気楼である。
智咲の真剣な言葉を受けて、理汰が手羽先を頬張りながら憮然と口を挟んできた。
「俺は別に可哀想じゃなかったよ。楽しくなかった?」
なんでそうなる?
ここは一緒にもう勘弁してと言うべきところなのに。
そう思ってみれば、今日はこの家に来てから理汰の笑顔を一度も目にしていない。
いつもなら料理の準備を早めに済ませて一緒に乾杯してくれるのに、今日はほとんどキッチンに籠っていて、永子が呼ぶまでこちらに来ようとしなかった。
「楽しかったけど、あんたの会社の知り合いに会ったときはひやひやしたわ」
「なんでひやひやするのよ?デートですって言ってやればいいじゃない、ねぇ、理汰」
面白がる永子のからかい半分の口調にげんなりする。
「言おうとしたら、逃げられたの。俺はちゃんと紹介するつもりだったよ」
「紹介されるこっちの身にもなりなさいよ!」
そんなことされたら一気に寿命が縮まるわ。
長生きするつもりなんて無いけれど、望まないドキドキで寿命が縮むのは嫌だ。
智咲の言い分を心底理解できないという風に理汰が言い返して来た。
「なんで?別に智咲さんがペラペラ喋らなくても、俺が上手く挨拶してデートですって言うだけでしょ。大したことじゃない」
なにが駄目なのと開き直られても困る。
理汰には大したことじゃなくても、智咲にとってはそれが物凄く大したことなのに。
「色々申し訳なかったのよ!」
だから逃げた。そりゃもう全力で。
あの時の智咲のコマンドは間違いなく、いのちだいじに、だ。
喚いた智咲を見つめて、永子が疲れた声を上げた。
「智咲、あんたねぇ・・・」
「だ、だって、理汰の名誉のためにも私と一緒だってバレないほうが」
「智咲さんがいう俺の名誉ってなによ。ないわ、そんなもん」
呆れた声のツッコミが飛んできた。
「あのね、理汰。あんたはいま人生で一番いい時期に来てるのよ。仕事も順調で出世コースまっしぐら、ちょっと余裕が出来てきてプライベートにも目を向けれるし、まだまだ若いし身体も無理がきく。でもいまって一瞬なのよ。ぼんやり適当に寄り道してたらあっという間に過ぎちゃうの。だから私なんかとデートしてる場合じゃない」
ほろ酔いの頭で必死にこれからを生きる理汰への助言を口にした智咲に、理汰が可笑しそうに眉を持ち上げる。
こちとら真剣に話したというのにどこに面白い要素があったんだろう。
「へえ、いいこと聞いたな・・・・・・智咲さんから見て、俺っていま売り出し中の男なんだ?」
首を傾げる彼に向かって、こくこく頷く。
どこに出しても恥ずかしくないほど立派に育ったと、他人の息子ながら自慢したいくらいなのに。
「うん、そうね。だからこそ、ちゃんと幸せになってほしいわ」
そしてそれを永子と一緒に見届けるのが自分の使命だと思っている。
だから当然変な女を選んだ時には全力で反対するつもりでいた。
理汰に限ってそんな心配はないだろうけれど。
「・・・・・・ふーん。あ、俺、今日は飲まないから、帰り送るよ」
曖昧に頷いた理汰が、空のグラスを差し出して来た智咲の手を押さえて首を横に振る。
羽柴家での飲み会の帰りは、エントランスまで二人が下りてタクシーに乗り込む智咲に手を振ってくれるのが常だった。
てっきり今日もそのパターンだろうと思っていたのに。
「え?なんで、いいわよ。いつもみたいにタクシー呼ぶから一緒に飲もうよ」
せっかく宅飲みなのに一人だけノンアルは気が引ける。
もう一度グラスを差し出した智咲に向かって、永子が手を振って来た。
「いいわよいいわよ。今日は美味しいお酒は女二人で飲み干すのよ!ほら、ワインも開けちゃおう、理汰、持ってきて」
西園寺メディカルセンターで顔を合わせる機会は増えたけれど、こうしてゆっくり話せることはあまりないのに、頑なに飲まないと言われてがっかりした。
そりゃあ車で送って貰えるのはありがたいけれど。
智咲の手にワイングラスを握らせた永子が、勢いよく柔らかいロゼワインを注いでくれて、あっという間にいつもの飲み会の雰囲気が戻って来て、それと同時に理汰も笑顔になったのでまあいいか、とそれ以上深くは考えなかった。
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