第22話 indigo-2

「恋人って、なんですかね・・・?」


目を伏せた雪村からの不意打ちの質問に、うーむと眉をひそめた。


「んー・・・・・・心の拠り所・・・的なもんかな・・・?」


「それって別に恋人じゃなくても良くありません?自分の真ん中にいつもいて、その誰かの幸いの為に生きようと思えるなら、関係性に名前なんて必要ないと思うんですよね」


まるでそう思う誰かがいるような口ぶりに、ああ、きっとそうなんだな、と確信が持てた。


そして、物凄く雪村らしいなとも思った。


「それでも、その誰かのことを二人以外の世界に、一番特別だって示したいから、関係性に名前があるんじゃない?男でも女でも」


残念ながら智咲自身は、この人だと必死に縋りつきたくなる相手には、巡り合えなかったけれど。


自嘲気味に笑ったら、雪村が虚を突かれたような顔になった。


あ、最後の一言は完全に不要だったなと、失言に気づく。


けれど、今更言い訳がましく言葉を続けるのも変な気がして、そのままにしておいた。


智咲を見下ろした雪村が、明るい陽射しの差し込むはめ込み窓の向こうを眺めて、ゆっくりと息を吐いた。


「俺、ちょっとしゃべりすぎましたね」


「そんなことないわよ」


「師岡さん相手だと、ほんと色々調子が狂う・・・・・・俺のこと好きじゃないくせに、俺の事知ろうとしないでくださいよ」


「いやいや、それなら雪村くんこそ、私のこと全く好きじゃないくせにポロポロ本音零すんじゃないよ」


「・・・・・・師岡さんは、昔からブレないから・・・気が緩むというか」


「この歳になるとね、融通が利かないって言うのよ、それは」


茶化すような口調に、同じ口調で返してたった今知ってしまった秘密をしっかり飲み込んで蓋をする。


彼が気を緩めてしまうのは、智咲が他人のことを面白おかしく吹聴する人間ではないと信用してくれているからだ。


大学時代から10年以上経っても、その信頼が揺らいでいないことが素直に嬉しい。


「師岡さん、まじでそのうち飲みに行きましょ。俺も、たまには誰かと話したいです」


「うん、行こう行こう。社交辞令でなしに」


「スケジュール確認して連絡していいですか?」


「いいよ。うちは基本定時上がりだからご多忙なサラリーマンに合わせるわ」


智咲の返事に雪村が頷いた直後。


「智咲さん」


エレベーターホールの手前で向こうから歩いて来た白衣姿の理汰が、智咲に笑顔を向けて来た。


「理汰・・・・・・お疲れ様」


こうして会うのは水族館デートもどき以来だ。


私服姿の理汰も見栄えするなと思ったけれど、やっぱり彼には白衣がよく似合う。


やたらめったらこれはデートだと言われたことが甦って来て、妙な気恥ずかしさを覚えた途端、理汰が智咲を見つめて口を開いた。


「智咲さん、こないだお土産俺の車に忘れて帰ったでしょ」


「え、うそ、忘れてないよ!?」


荷物はちゃんと手に持っていたし車を降りる時にも確認したつもりだ。


身に覚えのない忘れ物が何か分からずに首をかしげる智咲に向かって、理汰が目元をふわりと和ませた。


「俺が渡そうと思ってた水族館のお土産。渡しそびれたから次会う時持って行くよ」


「それ忘れ物じゃないでしょ・・・・・・でも、うん、ありがと」


「研修会のメール送ってるからまた見ておいて」


「分かった。なる早やで返事するね。悪いけど忘れてたらリマインドよろしくね」


「うん。じゃあ、打ち合わせ頑張って」


「ありがと。あんたもね」


軽く手を振ってカフェテリアに入って行く理汰の後ろ姿を一瞥して、雪村がエレベーターのボタンを押した。


「デートの相手って彼ですか」


「えっ・・・・・・デートというか・・・理汰は、元上司の息子さんなのよ・・・昔からの知り合いなの・・・だから、まあ・・・大雑把にいうと友達?」


「大雑把に言うと友達?わざわざそれ用の洋服買って気合入れて・・・それってどう考えてもデートですよね」


可笑しそうに肩を震わせる雪村を睨みつける。


「いい歳した大人が、年下の男の子と二人で出かけるからって気合入れて服買って・・・なんかさ、恥ずかしいでしょ・・・内緒よ」


「誰にも言いませんけど・・・いいじゃありませんか、いい歳した大人だってデートくらいするでしょう」


「そりゃそうだけど・・・私と理汰じゃ申し訳ないし」


「・・・俺には彼が浮かれてるように見えましたけどね」


からかうように微笑む雪村に、乗せられてなるものかと表情を引き締める。


「色々諦めて独りを満喫し過ぎてるアラフォーを気遣ってくれてるのよ。だって私と理汰が並ぶとまるで姉弟みたいでしょ?」


「・・・・・・そうですか?」


「やだ、雪村くんもとうとう遠慮を覚えたの?」


「少なくとも俺には姉弟には見えませんよ」


「あー・・・そう」


「いくつで誰を選ぼうが、当人の自由だと思いますけどね。法律で禁止されてるわけでなし」


「・・・まあ、そうだけどさ・・・」


始まりが学生と社会人だったからなのか、やっぱり理汰は永子の息子だという考えが真っ先に頭を過るのだ。


だってそれが一番居心地が良いから。


「・・・・・・それでもなんか・・・デートじゃないのよ」


「師岡さんのデートの定義ってなんです?」


「え・・・」


いきなり質問を振られて思わず答えに詰まってしまった。


だってもう何年も誰にもときめいていないのだ。


待ち合わせにソワソワする気持ちも、髪型やメイクが気になってしょうがなくなるのも、ドラマや漫画の世界の出来事に成り果てている。


「・・・よくわかんない」


「分からないなら、デートじゃないって断言出来ないんじゃ?」


「・・・・・・う・・・それは・・・そうね」


「わざわざ師岡さんに渡すためだけにお土産買って、慌ててそれだけ言いに来るなんて・・・なんかもう、健気ですよね。女冥利に尽きません?」


「・・・・・・理汰を好きな女の子たちから刺されそうで怖いわ」


「羽柴、モテるらしいですよ。研究職で研究所ラボから出てこないからセキュリティチームと並んでレア度が高いらしいです。でもうちに来てから一度も浮いた話は出てないって」


「ふーん。よく知ってるわね」


「身近に面倒なお喋りが居るんですよ」


心底嫌そうに言って雪村が肩を竦める。


「雪村くんがそこまではっきり毛嫌いするのも珍しいね」


どんな美人が近づいてきても一律低温対応で通している彼がこうもはっきり嫌悪感を示す相手というのは、ちょっと気になる。


と、智咲の言葉に雪村が思い出したようにまじまじとこちらを見つめ返して来た。


「ああ・・・そういえば、ちょっとだけ師岡さんに似てます」


「っはあ!?ちょっと、それ遠回しに私が嫌いって言ってる?」


拳を握って剣吞な表情を返せば。


「別に嫌いなんて言ってませんよ・・・・・・・・・ああ・・・そうか、嫌いじゃないのか」


虚を突かれたように雪村がポツリと呟いた。

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